|
東京都 西多摩郡 檜原村 藤倉 中組。 東京都西多摩郡檜原(ひのはら)村は、 払沢(ほっさわ)滝をはじめとして、 50以上の滝が落ちるという、 秋川の源流域の、山深い地域です。 武蔵五日市方面から、 秋川に沿うように、檜原街道を遡っていくと、 檜原村の中心地・本宿で、 南秋川(秋川本流)と、北秋川に分かれます。 さらに、北秋川を10kmほど遡ると、 藤倉のバス停のところで、 切り立った崖が目の前に立ちはだかり、 川は、北秋川と惣角沢に、 道も、二手に分かれています。 その崖をよじ登り。。。なんちゃって! なぜか、Yahooの地図には出ていないけれど、 整備された道路が通っています。 しかも、切り立った尾根は幅が狭いので、高架道です! ちょうど尾根のところに鎮座しているのは、 藤倉春日神社 古くからの藤倉地区(藤原、倉掛)の鎮守。 創建の時期は不明ですが、 再建は永禄3年(1560)9月と伝えられています。 拝殿と、本殿の覆屋は、比較的新しいようですが、 道路拡幅に伴って、整備されたのかもしれません。 祭神は、 天児屋根命(あめのこやねのみこと)、 大山祇神命(おおやまつみのみこと)、 猿田彦命(さるたひこのみこと)、 武甕槌命(たけみかづちのみこと)、 伊弉諾命(いざなぎのみこと)、 伊弉冉命(いざなみのみこと) 明治40年6月4日、 山神社、日枝神社、鹿島神社、山神社(倉掛)、熊野神社が合祀されたそうです。 (檜原村史より) 新編武蔵風土記稿には、 末社として、稲荷社、疱瘡神社が記されていますが、確認できませんでした。 画像は、 道路の先の民家です。 このあたりは、標高が800mくらいではないかしら。。。 神社の正面は、道路をはさんで断崖のきわまでが、 10mほどのちいさなピークになっていて、 地元では愛宕山と呼ばれているそうです。 ある書物は、 寛文検地の水帳には、 藤倉春日神社の一帯を「殿の上」と記してあり、 また、 16世紀まで檜原一帯を統治した、 平山氏の居城・檜原城の鎮守は、春日神社であることから、 この愛宕山に平山氏に縁の居館があったのではないか。。。 という説を紹介しています。 春日神社の正面が愛宕山というのは、珍しい! というより、 この山に囲まれた土地には、 火伏の神様である愛宕神社がふさわしい気もします。 尾根に沿って社殿の奥には、 かつて、 寒沢寺の境内だったところに、 旧藤倉小学校の校舎が建っています。 明治7年に、檜原小学校の分校として開校、 明治34年に、校舎が新設され、 昭和3〜40年代には、生徒数は100人を超えていたそうです。 愛宕山の山頂は、 藤倉小学校の運動場に使われていたらしく、 広場のようになっていました。 すみっこの壊れた倉庫で、 運動マットと、 とび箱が、 その記憶をとどめているようでした。。。 |
神社・寺
[ リスト | 詳細 ]
|
あきる野市小和田。 五日市町史によると、 字柏原の 五霊神社 と、字石神の 石神神社 を、 大正8年に、 字御嶽山の 御嶽神社 に合祀して、 小和田地区全体の産土神としたと記されています。 五霊神社と石神神社は、 上の地図に載っていますが、 前回、小和田を訪れた時は、見つけられず、 結局、 広徳寺にたどりつき、さらに、金剛ノ滝を歩いてきました。 諦めきれず、リベンジです! 車をおいて、細い道に入っていくと、 行き止まりの所に小さなお社が見えたのですが、 同時に、周囲からの視線を感じました。 農作業の手を止めて怪訝そうに見つめる婆さまに、 おそるおそるたずねた途端、 嬉しそうな笑顔になって、 あれは、うちの屋敷神のお稲荷さん。 毎年、2月の初午に、お赤飯と煮物を供えるんだよ。 「ごりょうさま」に行きたいのかね。 道かと思って入り込んだのは、なんと、個人のお宅の通路だったのです。 五霊神社 は、 広徳寺の北200mくらいの所、 子供の遊具がある広場の片隅に、 東向きに鎮座していました。 祭神は、鎌倉権五郎景政 縁起は不明ですが、 五霊神社神体の神鏡(懸仏)裏面には、 広徳寺守護 御霊大神社、三浦権五郎景政是也 不知本躰本尊 直降而擁護 応永二十七年十二月十八日 具弁白奉氏子 と銘があり、 新編武蔵風土記稿には、 広徳寺の項に、 鎌倉権五郎景政を祀る 御霊権現祠 の記述があります。 石神神社も見つけられず、 集落のはずれで、 ちょうど昼休みに戻ってきた爺さまに出会いました。 ちょっと笑って、 指さす方には、森しか見えません。 あそこの林の中に、桐の木があるだろ? そこなんだけどね。 道が細いんでわかりにくいんだよ。。。ほんとうに、わかりにくい(笑) 遊歩道のような細い道を30mほど入ると、 広場の、 ログハウスの集会所の脇に、 石神神社 は、南を向いて、鎮座していました。 祭神や由緒はわかりませんでしたが、 すぐ後ろは秋川の崖になっており、 社殿は、大きな岩の上に、土台を組んで建てられています。 御嶽神社には、もう行ったかい? あそこはね、広徳寺から尾根道で行けば、すぐなんだよ。 けど、 曲がり角に何にも書いてないから、知らない人はわからないだろうなあ。。。 「すぐ」と聞いて、 ちょっと元気になり、行ってみることにしました。 広徳寺から、 先日通った金剛ノ滝への道で尾根に出ると、 その先は尾根の南側へ出てしまうところに、 工事中のロープが張ってあり、分かれ道になっています。 分かれ道から、2〜3分下っていくと、 集落からの石段とぶつかるところに、 御嶽神社の鳥居が建っていました。 参道は、北向きにゆるい石段を登っていきます。 石段を登りつめると、 秋川をのぞんで眺望が開け、 参道は右に折れて、 御嶽神社は、西を向いて鎮座していました。 創建の時期は不詳。 宝暦11(1761)年2月2日の付けの神道裁許状があり、 当時の社名は、「金峰山蔵王権現」。 拝殿内には、現在も「金峰山」の扁額が掲げられています。 明治35(1902)年11月、「御嶽堂」から「御嶽神社」に改称。 大正8年10月15日、無格社石神神社(小和田字石神)と無格社五霊(ごりょう)神社(小和田字柏原)を合祀。 祭神は、 日本武尊(やまとたけるのみこと) 布都御魂神(ふつのみたまのかみ) 鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ) 旧社格は村社。 また、 新編武蔵風土記稿によれば、御嶽社の神体は丸石。 拝殿前に鎮座している一対の石像は、 御嶽神社なので、 狛犬ではなく、眷族の狼だと思うのですが、 おっとりと素直な性格のように見えます。 拝殿の右側には、 2基の石祠が祀られていました。 神木は、大きなコブが特徴的なヒノキ。 境内は高台にあるので、眺望がよく、 新緑の木立の間からは、 眼下に秋川が流れ、 川に沿った五日市の街並み、 対岸の山並みを見渡すことができました。 |
|
東京都あきる野市小和田234 道に迷っているうちにたどり着いたのは、 臨済宗龍角山広徳寺。 応安6(1373)年、開基。 鎌倉建長寺70世心源希徹禅師を請じて開山したと伝えられています。 総門、山門ともに造営時期は明らかではないようですが、 あきる野市指定文化財で、 総門は室町時代の面影を残しており、 山門は、江戸中期をさかのぼらないと推測されています。 山門をくぐると、 2本並んだ大銀杏の間から、本堂が見えます。 境内の告知板に掲げられていたのは、 若葉して御目の雫ぬぐはばや 芭蕉 元禄元(1688)年 天平宝字七(763)年五月六日に入寂した 盲目の鑑真和上。 45歳の芭蕉が、 奈良 唐招提寺 開山堂で、 鑑真和上坐像 を拝して詠んだそうです。 鑑真和上像の盲だ瞳に深い悲しみを見いだし、 世にあふれる若葉で、 その涙の雫を拭いとってさしあげたいと思ったのでしょうか。 本堂の裏手の、 タラヨウ( 多羅葉樹 ) 目通り幹囲2.45m。樹高19.09m。 都内では最大のもので、 東京都指定天然記念物。 竹林の近くにある、 カヤ ( 榧 ) 目通り幹囲5.35m。樹高24.45m。 東京都指定天然記念物。 新緑がとても美しく、 ゆったりとした佇まい。。。 次第に訪れる人が増えてきて、有名なところだと気が付きました。 |
|
東京都あきる野市戸倉464番地。 戸倉城山の北側・西戸倉集落の高台には、 登り口に、 山口神明社 が、鎮座しています。 かつて、 戸倉城鎮護の社として、 搦手(からめて)の登り口であることから、 この周辺の小字は、山口とされたそうです。 案内板の前にいた一行に挨拶をすると、 よかったら一緒に登りましょう! と、誘ってくださった。 この案内板を描いた、中田氏が案内してくださるという。 めったにないチャンス! 声をかけていただいたことも嬉しかったし、とても行きたかったけれど。。。 登り口からの標高差約210m。 軽登山靴は履いているものの、 ザックや水は準備していなくて、 何かあって、迷惑をかけてはいけないので、諦めました。。。とても残念。 杉木立の中、 まっすぐな階段を登りつめると小さな広場があり、 石垣の上に、 山口神明社 が東向きに鎮座しています。 祭神は、 天照大神 (あまてらすおおみかみ) 天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 稲取命 (いなとりのみこと) 素戔嗚尊 (すさのおのみこと) 五日市町史には、 嘉禎2(1236)年、戸倉本郷の小宮左衛門次郎直家が勧請。 小宮上野介憲明が再建。天文年間(1532~55)、戸倉城主大石定久により再建。 と、戸倉城に縁の神社であることが記されています。 ところが、 江戸時代に編纂された新編武蔵風土記稿には、 創立の年代は未詳、西戸倉集落の産(土)神。 金幣を神体とし、また円径3寸ほどの古鏡2面あり。 とあり、戸倉城との関わりや、祭神の記述はありません。 まるで、別の神社みたい。。。 境内社は、 社殿手前の石垣の両脇に石祠。 拝殿の右側に、稲荷社。 本殿の左奥には、鳥居が建って、八雲神社。 八雲神社の真後ろには、石祠が祀られていました。 |
|
東京都あきる野市戸倉星竹。 星竹集落は、 金毘羅尾根南麓の斜面に、 秋川をはさんで戸倉城山に向い合う、小さな集落です。 林業が盛んな秋川流域では、 このあたりで、秋川の川幅が広くなることから、 上流域からの木材をあつめて、 大きな筏を組んで江戸まで運ぶ元締めとして、 星竹集落は、林業で栄えた豊かな集落だったそうです。 秋川に注ぎ込む沢に沿った道をのぼっていくと、 ちょうど集落の中心に、 星竹 神明社が、 南向きに鎮座しています。 祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ) 創立は未詳ですが、 永享4(1432)年、 山下義親が、足利義教の富士遊猟に従者として訪れた際に、 事故があって、当地に住み着き、 その後、星竹集落の元締めの一人である黒山氏とともに、 当社を創建したと伝えられています。 境内社は、 拝殿の右奥に、稲荷社が祀られ、 また、 拝殿右側には、石祠が祀られていましたが、 祭神はわかりませんでした。 資料によると、例祭は2月21日ですが、 一般には、 9月第1週土曜日の祭礼に奉納される、 豪壮な「 嵐除けの獅子舞 」が、有名です。 祭りは、 山口神明社(西戸倉)の境内末社・八雲神社の天王祭から始まります。 戸倉城山の山頂にある八雲神社の奥宮へ、 五色の幟を立てて、行列を組んでお参りします。 その後、 獅子舞(星竹)と棒使い(西戸倉)が奉納されます。 獅子舞は、 3匹獅子(太夫、雌獅子、雄獅子)と、花笠4名で構成され、 お囃子にのって、舞われます。 一般に、棒使いは獅子舞の最初と最後に演じられますが、 この祭りでは、途中にも演目が入るのも特徴だそうです。 昨日の記事の、わんこの飼い主さんも、 星竹に住んでいた頃は、祭りに参加したそうで、 獅子舞は、星竹で、 棒使いは、向かいの西戸倉の人がやるんだ。 と懐かしそうに話してくださいました。 |







