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東京都八王子市上恩方町の醍醐路。 振宿集落から下流の森久保集落への間は、両側から山が迫り、 醍醐川は、 その間を逆S字を描いて、くねるように流れています。 現在の醍醐路は、 切通しができ、峰をショートカットしていますが、 かつての古道は、されに南側で峰を越えていたそうです。 古道の峠、真峰嶺(まみね)峠からの眺めで、 杉林の間に、上流側(西側)の振宿集落が見えます。 今回は、下流側(東側)から山道を10分ほど登りましたが、 峠近くは、切り通しになっていて、 空堀の中を歩いているような感じがしました。 真峰嶺峠には、住吉神社が祀られています。 住吉神社は、 明治5年10月、龍蔵神社に合社されましたが、 昭和5年頃には、非公式に元の真峰嶺に戻されたそうです。 そのためでしょうか、 龍蔵神社には、両社の祭神が祀られていることになっていますが。。。 祭神 底筒男命、中筒男命、表筒男命 醍醐川に沿った、森久保、振宿、醍醐の三集落の鎮守として、 永享12年庚申(1439)の創建と言い伝えられているそうです。 醍醐川の流域とはいえ、 峠に海運と戦勝の神さまが祀られているのは、何かワケがありそうな気もしますが。。。 住吉神社本殿の造営は明らかではないものの、 龍蔵神社の本殿は、寛文元(1661)年に造営されていて、 ともに三集落の鎮守であり、様式が似ていることから、 同時期のものではないかとも考えられるそうです。 峠道をはさんで向かい側、 住吉神社を見下ろすような位置に、 山神宮の小さな祠が祀られていました。 祭神 大山祇命 最後の画像は、 山神宮から見た、住吉神社です。 |
神社・寺
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東京都八王子市上恩方町振宿の鎮守、 龍蔵神社には、 二対の狛犬が鎮座しています。 一対目は、 拝殿手前の石段の脇、 高い台座の上に祀られていて、 台座には昭和15年と記されています。 鼻から口元にかけて、 凹凸が少なくて、愛嬌がありますよね。 二対目は、 拝殿のすぐ前に鎮座している、 とても小さな狛犬です。 台座には寛政8(1796)年の銘がありました。 大正期に拝殿が造営される以前は、 ここに本殿が鎮座していたそうなので、 この大きさで釣り合いが取れていたのでしょうね。 円筒形の胴、 狛犬離れした(?)顔立ちが、とてもユニークで味わいがあります。 |
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東京都八王子市上恩方町振宿集落に鎮座する、 石船山龍蔵神社は、通称、 龍蔵神社。 醍醐川の龍神淵から1kmほど下流。 醍醐川には木橋が架かり、 昼間でも鬱蒼とした北斜面の石段をのぼると、 境内は、そこだけ陽がさしていました。 境内には、かつて、 杉の大木が6本余りと、太い切株が残っていたそうです。 拝殿造立の際に切り倒したり、その後枯れてしまったり、 昭和58年に、目通り4.21mの大木を伐採したところ、 推定樹齢は、500余年だったそうです。 本殿は、 寛文元年(1661)に、名主・山室次郎左衛門によって再建され、 大正15年、それまでの本殿の位置に、現在の拝殿が造営され、 その折に、本殿は現在のような覆屋がつくられたようです。 創建年代は不詳ですが、 寛文元年(1661)再建時の棟札に700年以上とあり、 1000年以上の歴史があると伝えられています。 「新編武蔵風土記稿」によれば、 「神体船の帆柱に、龍の巻きし像なり。 船の長さ二尺、帆柱も二尺、いづれも木にて作れる。石船龍蔵とも云い村民の持ちなり」 とご神体についての記述があります。 振宿集落と醍醐集落の鎮守として、 明治5年に住吉神社が合社され、 旧社格は、村社。 祭神 岩瀧姫命(龍蔵神社) 底筒男命,中筒男命,上筒男命(住吉神社) 祭神の「岩瀧姫命」は、どういう神さまか判らないのですが、 一部の伝承として、 かつては「豊玉姫命」が祀られていたという説があるそうです。 雨乞と安産の神さま。 雨乞祈願は、戦後以降は、あまり行われないそうですが、 安産の神さまとして、今も多くの信仰を集めていて、 拝殿の扉には、 安産祈願のお礼詣でに奉納された旗が掛っていました。 |
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板碑(いたび)は、 五輪塔や宝篋印塔とともに、供養塔として、 鎌倉時代から室町時代(13世紀〜15世紀)にかけて、盛んにつくられたそうです。 中世の歴史や社会を知る上でも貴重な資料といわれ、 北海道から九州まで分布しますが、 特に埼玉県を中心とした関東に多くみられるそうです。 栃木で産出される青石(緑泥片岩)でつくられ、 頭部が山形になり2条の切り込み線があるなどの特徴を持つものは、 「武蔵型板碑」と呼ばれるそうです。 多摩地域でも、武蔵型板碑はわりに多く残っているようで、 寺院や資料館などでも時折見かけますが、 石の青緑色がとても綺麗で、数百年を経ているようには見えません。 八王子市郷土資料館に展示されていた武蔵型板碑。 八王子市大和田・山根遺跡の発掘調査の折に、 一か所から、8基の板碑が立った状態で発見されたそうです。 文字や模様に貼られた金箔が残っていました。 紀年銘は、共に、正中2(1325)年。 あきる野市の二宮神社は武蔵六社宮の一社。 神社境内に隣接する、「二宮神社考古館」に展示されていた武蔵型板碑で、 紀年銘は、左:応永34(1427)年。右:延文5(1360)年。 最後の画像は、 青梅市柚木の真言宗豊山派 愛宕山明王院即清寺は、 平安時代中期元慶年間(880年ごろ)の開山と伝えられる古刹で、 境内に立てられた「三佛結集板碑」は、 文明5(1473)年に、 当山24世宥海律師をはじめ5人の僧集団によって、造立されたそうです。 |
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東京都青梅市梅郷に鎮座する下山八幡神社、 吉野街道から始まる参道は、梅の並木になっていました。 梅郷(ばいごう)は、 その名の通り、江戸時代から、梅の実の産地だったそうです。 広々とした境内の奥に拝殿があり、 向って右手後方には、 隣接する柚木地区・愛宕神社の奥宮が祀られている愛宕山を望みます。 この一帯が「梅郷」と呼ばれるようになったのは、 青梅市に編入されてからのことで、 以前の村名は、「下村」だったそうです。 しかも、江戸時代より昔は「下山村」だったのが、 いつのまにか「山」の字が抜けて「下村」になったそうです。 この神社名の「下山八幡神社」には、 そんな元々の村名が受け継がれているようです。 拝殿の造営時期は判らなかったですが、 屋根は新しいようですが、建物はもっと古いようです。 宝暦5(1755)年造営の棟札に、 長久2(1041)年2月鎮座と記されており、 天正19(1591)年には、 徳川家康より社領5石を付与されているそうです。 江戸時代の地誌(新編武蔵風土記稿)には、 「入間郡北野村天満宮の神主栗原左衛門が支配に属せり」 と記されています。 この北野村天満宮は物部氏との関わりのある式内社です。 また、下村の小名に鍛冶屋ヶ谷の地名が見られます。 本殿は、 宝暦5(1755)年に再建されたもので、 三間社流れ造り。 青梅市の有形文化財に指定されています。 神社庁のサイトによると、 祭神は、 応神(おうじん)天皇 仁徳(にんとく)天皇 安閑(あんかん)天皇 また、 弘安4(1281)年の銘がある木彫神鳩が祀られているそうです。 境内社は、 本殿の左側に、稲荷社。 本殿の右側にもお社がありましたが、祭神は判りませんでした。 本殿のちょうど真後ろの山裾には、 小さな祠が鎮座し、 脇には、石祠も祀られていましたが、 いずれも祭神はわかりませんでした。 |







