のびパンチ

あっという間に過ぎていく。。。

奈良の旅2007秋

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奈良の旅。
季節がずれてしまいましたが。。。


奈良県天理市の南部、柳本町から渋谷町にかけて、
行燈山古墳(崇神天皇陵)や渋谷向山古墳(景行天皇陵)をはじめ、
大型の前方後円墳がたくさん造られていて、
この地域の古墳群を総称して、柳本古墳群と呼ばれています。

今回は、天理市の南に隣接する桜井市から歩きました。


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渋谷向山古墳(しぶたにむこうやまこふん)は、
現在、第12代景行天皇陵とされています。

というのも、
この陵は、
江戸時代の終わりごろまでは、第10代崇神(すじん)天皇の陵とされてきたんだそうです。
日本書紀など、少ない資料が根拠になっているそうなので、
実際は、誰のお墓なのか、確定されているのは少ないんだそうですね。

景行(けいこう)天皇は、
神武天皇からかぞえて第12代目の天皇で、
第10代崇神(すじん)天皇の孫にあたり、
また、
息子の、日本武尊(やまとたけるのみこと)は、有名ですよね。

柳本古墳群の中ではもっとも大きな前方後円墳だそうで、
周囲の濠は、3段階に分かれていました。



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黒塚古墳は、
古墳時代前期(3世紀後半から4世紀)に造られたと推定される前方後円墳。

平成9,10年の発掘調査によって、
後円部の、竪穴式石室の存在が明らかになり、
副葬品として、三角縁神獣鏡の過去最多の33面が出土して、
大注目を浴びました。
これらの三角縁神獣鏡は、
古代国家成立の過程を解明するうえで、とても重要な資料だそうです。


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竪穴式石室は、
全長8.3mの、川原石と板石を合掌式に積み重ねた特殊な様式で、
石室中央には、長さ6mのクワの巨木をくり抜いた木棺が置かれていたそうです。

黒塚古墳展示館内には、石室が復元されています。
そして、
古墳後円部の石室の上には、
石室の状態が焼き付けられたタイルが置かれて、
すごくリアルな感じがします。



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行燈山(あんどんやま)古墳 は、
第10代崇神(すじん)天皇陵とされています。

古墳時代前期を代表する前方後円墳で全長約240mで、
4世紀半ばに造られたと推定されるそうです。

崇神天皇は、
実在した最初の天皇だろうと言われるのですが、
没年は、西暦258年にあたるそうですが、
陵が造られたのは4世紀半ばと推定され、約1世紀のずれがあります。。。



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櫛山(くしやま)古墳は、
古墳時代前期、すなわち4世紀前半に築造されたと推定されているそうです。
行燈山古墳(崇神天皇陵)を濠に沿って後円部へ回り込むと、
行燈山古墳の少し山側の高い位置に隣接していました。

中央に円部、その西側に前方部、東側に後方部を築いた、
イメージとしては、丸い飴を紙で包んだような、不二家のミルキーみたいな形。
とても珍しい墳形で、双方中円墳と呼ばれるそうです。

この古墳は、天皇陵ではないので、歩くことができます。

昭和20年代の発掘調査の際、
中円部から全長 7.1mの竪穴式石室が発見され、
石室からは、副葬品が出土したそうです。
また、後方部の頂上で、白い玉砂利を敷き詰めた遺構が発見され、
祭祀の跡か、または埋葬施設の可能性があるそうです。

中円部も、大きくえぐれていて、双方中円墳の形がよく判らなかった。。。

夕暮れ時、
この古墳は、あまり訪れる人もないらしく、
小さな山を探検しているような気がしてきました。。。





気が付くと、
行燈山古墳の後円部に日が沈もうとしていました。


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箸中の国津神社

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奈良県桜井市箸中(はしなか)の国津神社は、
箸墓(はしはか)古墳の後円部の東側、
ホケノ山古墳へ向かう旧道に面していました。


奈良県奈良市の東側、東山中(ひがしさんちゅう)と呼ばれる山深い地域では、
古くから、奈良盆地とは異なる、山の文化が伝えられてきたそうです。
そして、
この山の文化と重なる地域を中心として、
「国津神社」、「葛(くず)神社」、「九頭(くず)神社」という神社が、
数多く分布しているそうです。
国津神社の読み方は「くにつ」ですが、「くづ」と読まれることもあり、
やはり、「くず」に通じていると考えられているそうです。

三輪山のふもとにも、
いくつかのくず神社が鎮座しているそうで、
ここ、箸中の国津神社もそのひとつ。。。


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拝殿の脇に掲げられた由緒によると、

祭神は、
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 (まさかあかつかちはやひあめしほみみのみこと)、
天穂日命 (あめのほひのみこと)、
天津彦根命 (あまつひこねのみこと)、
活津彦根命 (いくつひこねのみこと)、
熊野樟櫲樟日命 (くまぬくすひのみこと)

合祭神は、
素戔嗚尊(すさのおのみこと)

あんまり長くて。。。合ってるかなあ。

この男神五柱は、
古事記や日本書紀で、
素戔嗚尊と天照大神が天の安川を挟んで、誓約(うけひ)をしたとき、
素戔嗚尊が、天照大神の身につけた玉に霧を吹きかけたりして生まれてきた神です。

そして、
国津神社の南側を流れる巻向川の対岸地区には、
国津神社(九日社)という神社があり、
天照大神が、素戔嗚尊の十拳剣(とつかつるぎ)を振って生まれた、
三柱の女神が祀られているそうです。

ところで、
国津神社、葛(くず)神社、九頭(くず)神社の祭神は一定ではないそうですが、
大国主命をはじめとする出雲系の神を祀る場合が多いそうです。

そう考えると、
ここに祀られている祭神は、ちょっと異色なのでしょうか。。。


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そして、
国津神社は「太陽の道」の上にあります!


桜井市のHPによれば、

箸墓を中心に東西約200キロの直線上(北緯34度32分)に、
「太陽の道」と呼ばれる、古代の祭祀遺跡が並んでいるという説がある。

東の端は、伊勢の斎宮址。
西の端は、淡路島伊勢の森(伊勢久留麻神社)。
この二つの「伊勢」のあいだを、古代遺跡や古い由緒をもつ神社が点在していて、
共通点が太陽神の祭祀に関係があり、
磐座・岩石が信仰の対象となり、
女性の祭祀者のイメージが感じられるとされ。

太陽神の祭祀に深いかかわりをもった古代の「聖線」、
すなわちこれが「太陽の道」と名付けられたゆえんである。
桜井市では、長谷寺、三輪山、桧原神社、国津神社、箸墓が線上に浮かぶ、
古代王朝の政治的効果を狙って策定されたと考えられているが、
地図や磁石のない時代に東西の直線を引くことができたとするなら、古代の測量技術に驚嘆する。

というものだそうです。

そもそもは、
奈良在住の写真家・小川光三氏が発見し、
著書『大和の原像 知られざる古代太陽の道』が発端となり、
元NHKのチーフ・ディレクター水谷慶一氏が、
1980年NHK総合で、
『箸墓』を起点として計測された北緯34度32分の東西軸をテーマにした番組を放映、
また著書『知られざる古代』を出版するなど、

一躍、北緯34度32分線が世の中の脚光を浴びるようになったそうです。


ミステリードラマより面白い!




狛犬は3対です。

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鳥居の脇には、
明治13年に奉納された、ちょっとたてながでスマートな狛犬。


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本殿の前には、
嘉永6(1853)年に建立された、狛犬。
台座の模様が初めて見たようなきがします。


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そして、
本殿の扉の脇には、とても小さな木像狛犬が鎮座していました!


この記事を書くにあたって、
手元の資料がおぼつかないため、
桜井市をはじめとして、
いろいろなHPを参照させていただきました。
お礼をもうしあげます。






最後の画像は、
箸墓古墳からみた国津神社の杜。

これは、太陽の道 なんですね。。。


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纒向遺跡(まきむくいせき)は、
奈良県桜井市の三輪山のふもと、
JR巻向駅を中心に、東西約2km、南北約1.5kmにわたる、
弥生時代末期から古墳時代前期の遺跡群。

古代纒向の地は、初期ヤマト政権が誕生した地とされいます。


イメージ 1

桜井市埋蔵文化財センターでは、
「ヤマト王権はいかにして始まったか − 王権成立の地 纒向 」
と題して、
纒向遺跡の発掘調査に関する特別展が開催されていました。

画像は、
平成19年の発掘調査によって出土した「木製仮面」です。
纒向遺跡にある、
祭祀に用いられた遺物が多く発見される土坑から出土し、
古墳時代前期(3世紀前半)のものと考えられるそうです。

この木製仮面は、
ちょうど人の顔が隠れる程度の大きさです。
木の広鍬を加工したもので、
口の部分は鍬の柄を挿す形のままになっていました。

木製品は、複製品を展示する場合がありますが、
ここに展示されているものは、一部の漆器類を除いて、ほとんどが本物。
これも、本物!
彫り跡が、あまりにもくっきりとして、
本物ですか?!って、聞いてしまいました。。。

館内の展示物は撮影が許可されていました♪


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纒向遺跡の発掘されるさまざまな木製品のうち、
農耕具・土木用具として使用された鋤(すき)や鍬(くわ)は、
機械化が進んでいなかった時代、
鍬は農耕具として使われていましたが、
鋤は主に土木工事用の道具として、
現代のスコップの役割を果たしていたと考えられているそうです。


イメージ 3

3世紀から4世紀にかけて、
纒向の一帯が、
日本最初の「都市」あるいは「首都」としての機能を果たしていたと考えられる根拠のひとつとして、
これらの土器の存在があるそうです。

発掘調査の統計では、
他の地域で作られて搬入された土器が、全体の15%を占め、
そのうち一番多いのは東海地方からで、
次いで、山陰地方や吉備から。
そして、河内、近江、北陸、播磨、阿波。。。遠くは九州の土器もあるんだそうです。

そんな遠くからも盛んに物資の交流があったんですね。
3世紀4世紀。。。ですよ。。。。。




弥生時代後期の墓は、
古墳時代の前方後円墳などに比べて、
規模も小さく、高さも低いものだったそうです。

弥生時代末期になると、
次第に大規模なものが築かれるようになり、

古墳時代にはいると、
前方後円墳が、大和において完成されてくるそうです。


イメージ 4

箸墓(はしはか)古墳は、
現在、
第七代孝霊天皇の皇女、
倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として、
宮内庁の管轄下におかれていますが、
卑弥呼の墓(邪馬台国畿内説)という説も出て、注目を浴びています。

全長約280m・後円部径約160m・前方部前面幅約147m、
纒向遺跡において、最大の前方後円墳で、
3世紀後半の築造と考えられているそうです。

北西部分に濠が残っていて、
画像左後方に、三輪山が見えています。


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現在、宮内庁の管轄下にあり、立ち入ることが出来ません。

後円部は、
低い石垣の向うは、鬱蒼とした森になっていました。
道を挟んで居住地です。


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すぐ近くにいると、
鬱蒼とした森なんですけど、
東側にあるホケノ山古墳に登ると、
箸墓古墳の後円部がよく見えました。 





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ちょっとした丘のように見えますが、

ホケノ山古墳です。

箸墓古墳から歩いて5分ほどのところにあり、
3世紀後半に築造されたと考えられる、
全長約90m、後円部径60m・高さ8.5m、前方部長30m・高さ3.5mの
帆立貝式の前方後円墳です。


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発掘調査により、
前方部斜面で、木棺とつぼ2個を埋めた埋葬施設が発見され、
復元されていました。

木棺の長さは2.2mですが、巾は45cm。。。かなりスリムな感じです。



ホケノ山古墳からの、三輪山の眺めです。

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大神神社

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大神神社は、「おおみわじんじゃ」と読みます。。。
私のパソコンでも、
「おおみわじんじゃ」と入力すれば「大神神社」と変換されます。


大神神社は、
三輪明神とも呼ばれ、
三輪山全体をご神体として、古くから信仰されているそうです。

「日本最古の神社」とも言われていて、
日本で最も古い神社のうちの一つだそうです。


国道に面した大鳥居から外参道が始まります。
この大鳥居は、
昭和天皇ご親拝と、御在位60年を祝って、昭和61年に建てられたそうです。
高さ32.2m、柱間23mもあり、
かなり遠くからでもそれと判るほどの偉容を誇っています。


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両側に松並木が続く外参道は、
野菜売りが露天を広げ、
参拝に訪れた多くの人で賑わっていました。


イメージ 3

二の鳥居には、「三輪明神」の額が掲げられています。
紋章は菊。

この日はお天気が良くて、
参道には、
七五三を祝う晴れ着姿の家族連れが多く見受けられました。



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手水口は、なんと、酒樽。。。珍しいですよね!

境内には、
日本酒は勿論、ワインやビールが奉献されていました。

それは、
崇神天皇の時代、
旨い酒を以って人心をまとめたことから、
三輪の神さまは酒・醸造の神さまでもあり、
全国の酒蔵や、醸造元からの信仰を集めているからだそうです。

「味酒(うまざけ)」は、三輪の枕詞なんだそうです。。。なるほど!


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大神神社の拝殿は、
寛文4(1664)年、徳川4代将軍家綱によって建てられ、
大正10年に国の重要文化財に指定されているそうです。

とても立派な建物で、
修復されているのか、それほど古い感じはしませんでした。

大神神社は、
三輪山がご神体のため、神殿はないそうです。

祭神は、
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が主祭神、
大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)を配祀。

ご神体と祭神の関係がよく判らないのですが。。。
祭神を祀っているのに、神殿がないのも。判りませんでした。

拝殿の奥には、
「三輪鳥居(みわとりい)」と名づけられた、
明神型鳥居を三つ組み合わせた独特な形式の鳥居が、三輪山に向かって建てられていて、
そこから先は、禁足地です。
その存在は有名ですが、
私たち一般の人は、その鳥居すら拝観することはできませんでした。


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平成の大造営事業で、平成9年にできたばかりの祈祷殿。
両側に、
儀式殿と参集殿があるのですが、大きすぎて一枚には収まりませんでした(笑)

使用されている木材は、
大部分が台湾檜で樹齢1500年の原木もあるそうです。


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左は、夫婦岩。
右は、山麓の辺津磐座で、小彦名神(すくなひこなのかみ)が鎮まるとされています。

三輪山の山中には、磐座(いわくら)が点在しているそうです。
磐座は、
古代の祭事において、そこに神が降臨するといわれる神聖な所


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境内には多くの摂社・末社が祀られています。

そのひとつ、狭井神社は、
ゆっくり歩いて10分ほど奥へ入ったところにありました。

大神神社の境内を流れる狭井川は、別名薬川と呼ばれ、
この水を飲むと病気をしないと信じられていたそうで、
くすり道と呼ばれる参道の両側には、
薬品メーカーから奉献された灯篭がズラリと並んでいました。


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狭井神社は、
正式には、狭井坐大神荒魂(さいにますおおかみあらたま)神社

祭神は、
・大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)
・大物主神(おおものぬしのかみ)
・媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)
・勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)
・事代主神(ことしろぬしのかみ)


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拝殿の脇には、
霊泉・狭井の御神水が湧いていました。
設備が整っていて、誰でも汲むことができます。
とてもやわらかくて、美味しいお水でした。

また、
狭井神社の境内には登山口があり、
社務所へ届出をして、ここから三輪山へ登るそうです。




記念に、霊泉のペットボトルを購入しました。


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西へ。。。奈良

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先週末は、
ん、もう、朝7時に、
新しくなった東京駅「銀の鈴」で待ち合わせ。
床には、東京の地図がプリントされていました。


イメージ 2

久し振りに東海道新幹線に乗って、西へ。。。

天気が良かったので、
車窓からの富士山を見るんだ!
と、
ものすごく眠いのをガマンしていたのに。

わかるかしら?

まあ、なんとか見えたのですが、
すっきりとはいきません。。。


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名古屋で乗り換えて、
近鉄の特急で奈良を目指しました。


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濃尾平野を流れる木曽川、揖斐川、長良川。。。
画像は、
揖斐・長良川が合流して、海へそそぐあたり。
とても長い鉄橋を渡りました。


イメージ 5

三重県へ入ると四日市のコンビナート。


イメージ 6

うつらうつらするうちに、
山なみをこえて、のどかな集落の点在する地域へ。




おりたったのは、大和八木駅。

駅前には、
古事記や日本書紀に記された、
神武天皇東征のシンボル「金色のトビ」が。。。

今回は、
奈良市よりも南の地域、
桜井や橿原(かしわら)一帯の、古墳や神社をたずねあるきました。

古代史に詳しい方たちの旅行に、便乗させていただいたのですが、
とにかく、歩く歩く。。。
古代のロマンを味わうには、体力が要る!と実感しました。。。


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