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「しほの山 さしでのいそに すむ千鳥 きみがみよをば やちとぞなく」 古今和歌集に、詠み人知らずとしてこの歌が収められています。 「しほの山」は、塩山市の市名ともなった「塩ノ山」、 「さしでのいそ」は、 このあたり、山梨市の笛吹川の丘陵「差出の磯」のことで、 下流に万力林が続き、南に富士山を望む景勝地だそうです。 この日は、曇り空で、眺めもイマイチでしたが。。。 歌に詠まれたとおり、 差出の磯の付近は、 コチドリ、イカルチドリ等の生息地として、 保護区になっているほどの千鳥の名所、 チドリは、平成18年、山梨市の鳥に指定されているそうですが、 出会ったのは、チドリではなくて、キジ!!! 差出の磯のあたりの切り立った崖の上に鎮座しているのは、 差出磯(サシデノイソ)大嶽山(ダイタケサン)神社 ご祭神は、 大山祇神(オオヤマズミノカミ) 大雷神(オオイカヅチノカミ) 高オカ神(タカオカノカミ) 笛吹川を遡ったところにある大嶽山那賀都神社とは、関わりがないそうですが。。。 息を切らして登ってみると、 視界が広くて、 ここからの富士山はきれいだろうな! あいにく、富士山は見えませんでしたが。。。 大嶽山神社の拝殿近くからの眺めは、 「関東の富士見百景」に選定されているそうです。 |
山梨
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甲州市の丹波山村を過ぎて、 青梅街道をさらに南下していくと、 柳沢峠を越えてしばらくして、 甲府盆地の広がりが見えてきました。 このあたりは、ビューポイントなのですが、 雲が多くて、遠くの山並みは今ひとつ。。。 里に下りてくると、 野生の藤や桐の花が満開で、 新緑の山は美しく彩られていました。 最後の画像は、 古墳にしては大きすぎるようで、 小高い丘なのかもしれませんが、気になって。。。 この丘の正体が判明しました! 「塩ノ山」という、標高552mの山で、 ここ「塩山(えんざん)」という地名の元になっているそうです。 古今和歌集に、 「しほの山 差出の磯にすむ千鳥 君が御世をば 八千代とぞ鳴く」 と詠まれ、 古来、塩ノ山は宮廷歌人の憧れの地だったそうです。。。スッキリ♪ この歌に詠まれている「差出の磯」は、 先日訪れたのですが、 そこで鳥に出会ったのですが、千鳥ではありませんでしたよ。 |
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青梅街道で多摩川を遡ると、 奥多摩湖から上流は、山梨県丹波山村に入り、 丹波川(たばかわ)に沿って道が続きます。 ナメトロと呼ばれる切り立った渓谷を左手に見ながら、 しばらく遡ると、 「おいらん淵」 脇の駐車場に車を停めて、 鉄柵で囲まれた展望台に立ちましたが、 滝の全容は見えなくて。。。。。 おいらん淵のさらに奥には、 鶏冠山(黒川山)の山中に黒川金山があり、 武田家の隠し金山といわれ、信玄のときに最盛期を迎えて、 軍資金の多くがここから算出されたそうです。 武田氏滅亡後、江戸時代に再度採掘が行われ、 現在も、黒川山の山中には、黒川千軒と呼ばれる遺構があるそうです。 武田氏滅亡の折、 金山の秘密が漏れることを危惧して、 五十五人居た遊女を柳沢川の上に吊った宴台の上で舞わせ、 舞っている間に藤蔓を切って宴台もろとも遊女たちを淵に沈めた… その故事から、 いつしか、「おいらん淵」と呼ばれるようになったそうです。 ウィキペディアによると、 実際に、この悲劇があったのは、 更に上流のゴリョウ滝の辺りであったとされ、 現場には小さな碑が残されているそうです。 また、 戦国時代には、遊女をさして「おいらん」という呼び方はなかったそうで、 黒川金山の発掘調査では、遊郭の存在は未確認だとか。。。 滝の上にまわっても、 崖の上からでは、滝壺は見えなくて。。。 すぐ脇まで降りてみると、この光景! 吸い込まれそうでした。 立入禁止ではなかったけれど、 そうとう足場が悪いので、お勧めできませんけど。。。 |
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むか〜しむかし、 日本武尊(ヤマトタケル)が東征の帰途、 箱根から甲斐国へ入るときに、 この峠を越えたので、御坂(みさか)峠と呼ばれるようになったんだそうです。 この日は、 午前中、雨が降っていたので、 あまり混雑しないだろうと期待したのですが。。。 山越えの峠道は、更に西方ですが、 旧137号線の旧御坂トンネルを一宮側から貫けると、 河口湖側の天下茶屋付近には、たくさんの車が停まっていました。 旧御坂トンネルの河口湖側にある天下茶屋は、 現在の建物は再建だそうですが、 昭和13年9月半ばからひと月あまり、太宰治が滞在したところ。 天下茶屋の向かい側から山道へはいるとすぐ、太宰治の碑が建てられています。 富士山に向かって、 「富士には 月見草が よく似合ふ 太宰治」 と「富嶽百景」の一節が彫ってあり、 背面には、太宰治の師である井伏鱒二が、 「惜しむべき作家太宰治」と題した言葉を寄せています。 太宰治の没後、昭和28年10月に立てられた太宰最初の碑だそうです。 この場所からの富士山は、富士三景のひとつに数えられ、 太宰は、著書「富嶽百景」の中で、 「風呂屋のペンキ画だ。 芝居の書割だ。 どうにも註文どほりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかつた。」 と評した、 ゆったりと裾を広げた富士山の姿を眺めることができるはずなのですが。。。 午前中の雨はあがって、 強い日ざしが射し込んできましたが、 肝心の富士山の雲は切れてくれません。 富士山は、芝居の書割のような、注文どおりの景色を、恥ずかしがっていたのでしょうか。。。 |







