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あっという間に過ぎていく。。。

山梨の神社・寺

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山梨県北杜市小淵沢町上笹尾。

JR中央本線の小淵沢駅から1.5kmほど、
国道17号線より線路寄りの旧道に面して、
石の鳥居が建ち、参道は線路に向かって続きます。

大瀧神社 の社殿は、
線路の向こう側の山の麓に鎮座しています。

左側のなだらかな山は、鎮守の森のようです。



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ちいさなトンネルをくぐって線路を越えると、
左手には、杉の古木が茂る鬱蒼とした杜。



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社殿の手前には、
太い丸太をくりぬいた樋から、
湧水が、まるで滝のように落ちています。

この一帯は、
八ヶ岳南麓高原湧水群 」と呼ばれ、
八ヶ岳の伏流水が湧き出しているそうですが、
なかでも、
ここ、大滝湧水 は、『延命の水』と呼ばれ、
年間を通して12~3℃の水温を保ち、
日量22,000tの豊かな水量と、やわらかな水質で、
休日ともなれば、水を汲みの人が訪れるそうです。

もちろん、私もはりきって、トランクに積んだポリタンクを取り出しました。



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石垣の上には、
社殿は、ほぼ南東を向き、
本殿は覆屋の中に鎮座していました。


案内板によると
『武淳別命が当地巡視のおり、清水の湧出を御覧になり、農業の本、国民の生命、肇国の基礎と賞賛し自ら祭祀し大滝神社が起こったと伝えられる。』とあり、

祭神は、武淳別命(たけぬなわけのみこと)

日本書紀に記されている、
崇神天皇によって、北陸、東海、西道、丹波の各方面に派遣された四道将軍のうち、
東海に派遣された 武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)と同一神でしょうか。



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社殿の西側には、
石祠が建ちならぶ斜面に沿って石段が続き、
いちばん奥には、大きな磐座が鎮座しています。

磐座に建てられた石碑には、「 蠶影太神(こかげおおかみ)」と記されています。
「蠶」は、「朁 + 虫虫」で、「かいこ」と読みます。
養蚕が盛んな地域なのでしょうね。。。



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神社の周辺は、
湧水を利用した大きな池のある公園として整備されています。

この池の一部は、釣り堀になっていました。

湧水は、
古来、人々によって大切に保たれ、

水田の灌漑用水として用いられるほか、
ニジマス、ヤマメの養殖や、ワサビの栽培にも使われているそうです。


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南アルプスの山並みがまっ正面!
今日は気持ちよく晴れて、
一日中、甲斐駒ケ岳を見ていたような気がします。

茅ヶ岳の山麓、標高800mに位置する、
山梨県北杜市須玉町にあるゴルフ場からの見晴らしです。

平日は「安い」からと誘われて。。。私、「安い」のに弱いのよね!(笑)
久し振りに出かけたゴルフでしたが、
クラブハウスの中に、
縄文遺跡の遺物が展示されていて、ちょっとびっくり!


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説明文によると、
この上ノ原遺跡では、
ゴルフ場開発に先立って、1991年から3年間の発掘調査が行われ、
縄文中期末から平安期にかけての、
学術的にも貴重な集落跡が発見されたそうです。


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調査後の遺跡は埋め戻されていますが、
キャディさんに伺ったところ、
手前の花壇の下には住居跡が埋まっているそうです。

この集落跡からの南アルプスはとても素晴らしくて、
縄文期の人々もこの景色を眺めていたんですね。。。


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え〜、縦横無尽に走り回って、たくさん打ってきました!
ちなみに、失くしたボールは5個でした。。。(笑)


最後の画像は、
尾根の向こう側からちょっとだけ見えていた、

八ヶ岳。


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梅雨もひと休み、
韮崎市中田町の 塩川沿いに広がる田圃は、
爽やかな陽ざしをあびて、とても鮮やか。。。

河岸段丘のふもとに鎮座しているのは、

御牧子安神社(みまきこやすじんじゃ)


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石鳥居は、
元禄6(1693)年に高遠の石工によって造られたという記銘があるそうです。

石額は、
御牧神社

鳥居の脇に建っていた石神は 蠶神
養蚕の神さま。


甲斐国は古代から中世にかけて、
朝廷に献上するための馬を育てる御牧(みまき)として、
柏前、真衣野、穂坂、そして穂坂に隣接する明野など、
この一帯には牧が多かったそうです。
特に、塩川を挟んで神社の向かい側の丘陵地帯・穂坂は、
その時代に催された競馬の上位を独占するほどの名馬の産地で、
毎年、決められた頭数の良馬が朝廷に納められていたそうです。



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隋神門の紋は「立梶の葉」でしょうか。。。
諏訪大社の社紋も梶ですが、少し違うようです。
隋神像は、とても表情が豊かです。



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お社をそのまま乗せたような石灯籠は、文政7(1824)年の記銘。
舞楽殿の前は小さな広場になっていて、
周囲にはたくさんの石祠が祀られています。



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鳥居、隋神門、舞楽殿、社務所、本殿が、
斜面を登る参道に沿って並んでいます。



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案内板によると、

本殿は、
棟札などによると、享和元(1801)年に再建されたものだそうです。

本殿の木鼻は、獅子と獏ですが、
獏の木鼻は、迫力がありました。
本殿手前の石段下の地面に、
いくつもの小さな穴が穿かれた石が置かれ、
穴の底には、蝋のようなものが溜まっていました。

案内板によると、
御牧神社は、この牧の守護神と伝えられる由緒ある神社であり、
創建は、
奈良時代あるいは平安時代初期にさかのぼるものと推定され、
また、
牛馬と厩(うまや)の神でもあったそうです。

祭神は、
建御名方命(たけみなかたのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命(おおくにぬしのみこと))
事代主命(ことしろぬしのみこと)
の三神で、諏訪大明神とも称されたそうです。

現在は、
永徳2(1382)年に創建の子安神社(祭神:木花咲耶姫命)を、
昭和30(1955)年、御牧神社に合祀して、御牧子安神社と改称されたそうです。
子安神社の旧社地は、南に150mのところにあり、
天満宮(天神様)と立派な石鳥居が残されているそうです。


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甘利神社

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甘利山の中腹に、
甘利神社が鎮座していることを、
山頂付近の案内板で知り、帰り道に立ち寄ることにしました。
椹池(さわらいけ)の近くに標識があり、
そこから山に入っていきます。


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一歩踏み込むと、
木漏れ日がやっととどくような鬱蒼とした山道。

道は整備されていましたが、
訪れる人は少ないようで、蜘蛛の巣が顔にかかります。


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熊に注意 が、
ものすごくリアル!で、
あたりの気配に敏感になってしまいました。

熊鈴を鳴らして、
頼りないけど枝をひろって蜘蛛の巣を払いながら、
どこで引き返そうかと。。。(笑)


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とても長く感じたけれど、それでも10分くらいだったのかしら。

ようやく

木立の間から社殿がみえてきました。


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由緒書きなどは見当たらなかったので、
あとから調べてみましたが。。。


甘利神社

創建は昭和11(1936)年で、古い神社ではないようです。

祭神は 甘利左衛門尉昌忠

甘利昌忠(あまりまさただ)は、
武田氏の家臣で、武田二十四将の一人として数えられ、
また 奥近習六人衆にも名が挙がる人物。

甘利氏は、
武田氏の始祖である甲斐源氏・武田信義の子で、
甘利山の麓にある甘利庄を治めた一条忠頼の子・行忠が、
甘利庄内に館を構えて甘利氏を称したといわれています。

また、
甘利山は、
もと、深草山呼ばれていたそうですが、
天文年間(1532〜1555)、甘利左衛門尉昌忠のころ、
椹池(さわらいけ)の毒蛇を退治した賞として甘利郷民にこの山が与えられたことから、
甘利山と呼ばれるようになったそうです。


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ところで、
社殿の正面には、
まっすぐに下りる階段があり、
下には鳥居も建てられていました。

このルートだと、5分もかからないで、車に戻ることができました。。。


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日之城神明神社

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日ノ出城の西側は塩川の断崖絶壁、
そして、
東側には、
城への入口を守るかのように集落があり、
塩川に流れ込む三之蔵沢の急な斜面にそって鎮座しているのは、

日之城 神明神社

かつて、日一揆の叢宅だったと伝えられる日ノ出城は、
日之城という集落の名前に、その歴史を留めているかのようです。


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神明鳥居の石額には「太神宮
手水鉢の縁には、正徳2(1712)年と銘記されていました。


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隋神門


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日輪を一党の標(しるし)としたことから、
日一揆の名前が付いたそうですが、
隋神門の蟇股には、太陽の両脇に波を配した図柄が刻まれています。
これが、日一揆の標なのかしら。。。


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開放的な造りの拝殿の手前に据えられた石灯籠には、
宝珠の部分に武田氏の紋があり、
竿には弘化四年十月と記されています。
弘化4年は、西暦1848年にあたるので、もしかしたら部分的に年代が違うのかしら。。。


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本殿は、外側は覆いがつくられていますが、
拝殿からは、奥に鎮座する本殿を見ることができます。


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祭神は 天照大神
 豊受大神


大きな神社ではありませんが、
本殿には、とても見事な意匠が施されていました。


由緒書きによると、

当社の創建年代ははっきりしていないそうですが、
この村ができたころ、伊勢の皇大神宮を勧請したと伝えられているそうです。
また、
天文(1532〜1554)年間に、武田家臣・小幡日城(日浄?)が、
日ノ出城の城郭鎮護のために、社殿を大修築したと伝えられているそうです。
小幡日城は、没年が1519年とのことなので、
天文年間に入ってからの改修は、息子の虎盛(1505~1561)の年代でしょうか。。。
また、
徳川家の尊信も厚く、
慶長(1596~1614)間には、
徳川幕府より社領・社地を賜わり、社殿を改修築されたそうです。
現在の社殿の建造年代は記されていませんでしたが、このころのものでしょうか。


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舞楽殿の彫刻も素晴らしいものでした。




また、
境内には、
たくさんの石祠が、低い石堤の上に祀られていました。

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