|
山梨県一宮町から、富士山・河口湖方面へ向かう道は、 国道137号線、通称「みさか道」。 御坂峠からの富士山は、 太宰治が富嶽百景の中で、 「富士には月見草がよくにあふ」と表現したところとして有名ですよね。 今はバイパスが整備されて、 御坂峠はトンネルで貫けられますが。。。 その御坂峠よりずっと手前、 中央高速一宮インターから5kmあまり、 十郎橋の袂から、国道137号線を右に折れて、1km位進むと、 画像の「二の鳥居」が建ち、ここから檜峰神社の社領に入ります。 舗装されているけれど、 対向車が来たらどうしようと心配になるような道を、 さらに3kmほど登りつづけ、 砂利道にかわると、 もう、その先は、釈迦ヶ岳と神座山の登山道です。 鬱蒼とした木立に囲まれて、檜峰神社は、ひっそりと佇んでいました。 石段をのぼると、境内です。 両部鳥居、隋神門、拝殿、本殿。 山の中、木のない場所は境内だけという空間なので、 トリコロールカラーの隋神門が、モダンにみえます。 さらに、 山梨百名山の釈迦ヶ岳山頂には、山宮が鎮座しているそうです。 山の精が、やあ!って言いながら普通におりてきそうな、 静謐だけれど拒絶的な感じがしない、不思議な雰囲気。 御祭神は、 大己貴命、少彦名命、高皇産霊尊、神皇産霊尊の四柱。 境内に掲げられた由緒によると、 雄略天皇御即位十二年に国幣を賜わり、 天正十七年(1585年)に建立されたものと伝えられるそうです。 現在の社殿の建立時期なのかしら?よく判りませんでした。 3ヘクタールあまりの境内林には、 ヒノキや、トチ、ケヤキ、ミズナラ等の古木が生い茂り、 まさに、野鳥の天国。 特にコノハズクの生息地として、 初夏の夕方には、 「ブッポウソウ、ブッポウソウ」と啼く声が、この深い森の中に響くそうです。 ところで、 「ブッポウソウ」と啼くのは、コノハズクですが、 古来、 「ブッポウソウ」は、仏法僧という美しい鳥の鳴き声だと誤解されていました。 次第に疑問が深まるなか、 とうとう昭和10年6月、 檜峰神社の境内に於いて、鳥類学者の中村幸雄氏によって、 ブッポウソウの鳴き声の主はコノハズクであることが実証されたんだそうです。 ここで、ブッポウソウと啼く声を聞いてみたい。。。。 最後の画像は、 境内の脇にそびえる大スギ 目通りの幹周りは約7m、樹高約31m。樹齢約300年。 |
山梨の神社・寺
[ リスト | 詳細 ]
|
甲斐国一の宮、浅間神社は、 浅間神社の略誌によれば、 今から約2000年前、垂仁天皇の代に、初めて神山の麓に鎮祭され、 その後、貞観7(865)年に、 一宮町に遷されたといわれています。 元々の、神山の麓にあたるところは、 浅間神社から南東へ約2kmの地点で、 現在は、浅間神社の摂社として山宮神社が鎮座しています。 それならば、山宮神社へ行ってみよう! とはいえ、 詳しい位置はわからなかったので、 そのあたりをぐるぐる廻っていると、 村道(?)の脇に小さな鳥居があり、 社名をあらためると、「櫃飯大明神」 「櫃飯」って、「ひつめし」ですよね。 つまり、おひつに入ったご飯のこと?! 食欲の秋にぴったりの、珍しい名前の神社です。 鳥居の奥の建物には、公民館の表札が掛かっていました。 鳥居だけ残して、神社はもう無くなってしまったのかしら? と思ったのですが、 念のため、 公民館の裏へ廻ると。。。 一見、神社らしくない簡素な建物があり、 格子の隙間から中をのぞくと、 小さな祠が祀られ、脇には一体だけですが木彫りの狛犬が!!! ご祭神はなんだろう? もっとよく見たい! でも、中は暗くて、これ以上は見えませんでした。。。 櫃飯神社の境内に咲いていた、小さな朝顔のような赤い花、 名前は判りませんが、 とっても可愛らしい花でした。 山宮神社は、 人家も途切れた細い道を山のほうへ入ったところにありました。。。 鳥居を見つけて、ホッとしたのもつかの間。 参道の入口には、 クマ注意の黄色い看板が立てられていました。 しかも、 獣が集落へ下りてこないようにするための柵が作られています。 それでも、 ゲートを開けて、登り始めたのですが。。。 あたりに人の気配はまったくないし、 どのくらい登ったら神社があるのか見当がつかない。 だんだん、どんどん不安になってきて。 とうとう、引き返してしまいました。。。怪しい探検隊、撤収(笑) う〜〜ん、残念! 次回は、是非、熊鈴を持って行かねば!。。。。 |
|
山梨県笛吹市一宮町の浅間神社は、 旧国幣中社 甲斐国一の宮 として、 一宮浅間神社と呼ばれています。 富士山の近くには浅間神社がたくさんあり、 延喜式神名帳の浅間神社には、他にも論社があるようですが。。。 この神社の南西2kmのところには、 国分寺跡があり、 この一帯は、古くから政治的中心地だったようです。 国道20号線バイパスに面して、大きな赤鳥居が建っています。 左側画像で、鳥居の後ろに見える木立が神社の杜です。 北へ向かって参道を進むと、 バイパスと平行して旧道があり、 石の二の鳥居が建てられていました。 隋神門と手水舎。 石畳の参道の両側は、掃き清められていて、 歩いているうちに、背筋がシャンとしてきました。 一方、 梢からは鳥の声、 隣接する幼稚園からは子供たちの声が聞こえてきて、 しずかな町で長い間、信仰を集めている神社です。。。 一宮町は、桃の里。 そして、 ワイナリーが、知ってるだけで3箇所もあります。。。この日は行けなかったけど。 北へ向かう参道から左側にあたる社殿は、東を向いて建てられています。 寛文12(1682)年に建てられた拝殿は、 江戸時代初期の様式でしょうか、 甲斐国一宮の格式を感じます。 神社略誌によると、 垂仁天皇8年(今から2000年位前)に、 神山の麓、現在の摂社・山宮神社に祀られたことが起源。 貞観7(865)年12月、 現在地に社殿を造り、木花開耶姫命をご祭神として祀ったそうです。 堂々とした狛犬は、昭和13年に奉納されていました。 挙鼻には、骨太な感じの龍の彫刻、 木鼻は、やはり荒削りな感じのする象の彫刻でした。 社額は「第一宮」 本殿は宝暦4(1754)年に建てられ、 2重の玉垣に囲まれて、外側からは屋根だけが見えます。 拝殿の前に高さ2mくらいの、 注連縄がめぐらした立石があり、 いにしえからの信仰の証しでしょうか。 鳥居のすぐ近くにも、やはり立石がありました。 参道のつきあたりには、神楽殿。 そして、 北側の旧道に面して、木製の両部鳥居が建っていました。 上の段は、境内社で、護国社、七社大神社。 真ん中の段は、祓門、富士石、成就石。 新しいもののようですが、ちょっと面白かったです。 下の段は、眞貞社、神明社。。。 全部紹介したかったのですが、 なんだか、盛りだくさんになってしまい、 領域オーバーで、準備した画像が入りきらなくなってしまいました。 最後は、 ちょうど、車のお祓いをしているところ。。。 |
|
雨が止んで、 境内の馬場から、御神馬が出てきました。 富士吉田市下吉田の小室浅間神社では、 毎年、9月19日の例大祭に、流鏑馬(やぶさめ)神事が行われます。 春に里に降りてきた祭神が、 秋、富士山2合目の山宮に帰るとされ、 秋の例大祭では、 流鏑馬を奉納し、 翌春まで、争いごとや火事などがないように祈願するそうです。 流鏑馬祭りが定められたのは、 安元2年(1176)のことで、 以来、約800年にわたって伝えられているそうです。 特に、馬の馳せた蹄跡による吉凶の「馬蹄占い」は、 世襲の「占人」によって行われ、珍しい神事だといわれています。 馬場にできた水たまりで、 ゴロンと寝転がって水浴びをして、泥んこのまま、 早足で、こちらへ向かって来ます。 どんどん近寄ってきます。 ち、ちか過ぎだっ! 長すぎて、顔が入らない! なんて、 慌てて、後ずさりしてるのに。。。 この御神馬、首を伸ばして、カメラを舐めた!!!(笑) とっても優しい性格のようです。 真っ白な御神馬も、 横から近づいてきた。。。 カメラは食べられないと知っているのか、 すぐ近くまでやって来て。 じっと、見つめる。。。。。すごく、きれい! 何もないと判ると、 柵をガシガシとかじりはじめた。 何もあげられなくて、ごめんね! けど、 知らない人から貰ったら、だめなんだよね。。。。。 |
|
やっと晴れ間が見えたのもつかの間、 雨雲が追いかけてきて。。。 小室浅間神社に着いたときには、また、どしゃぶり!! 小室浅間神社は、 富士山二合目の浅間神社(山宮)に対して、 里宮にあたり、 通称:富士みち、富士吉田市の旧市街に面して、 昔から富士山詣で前の禊所としても賑わったそうです。 富士吉田市の繁華街は駅周辺に移り、 鳥居の周辺には、昔ながらの商店がならんでいます。 鳥居から続く石畳の桜並木を進んで、 橋の袂にある狛犬は、 江戸末期から明治にかけて関東地方独特の、 台座が獅子山と呼ばれる築山になっています。 この境内には、 富士山噴火の溶岩がそのまま残っているので、 もしかしたら、 この獅子山は、富士山の溶岩でできているのかしら。。。 富士山下宮 小室浅間神社 ご祭神 木花開耶姫命 由緒によれば、 延暦12(793)年、征夷大将軍・坂上田村麿が東征の折り、 この地から富士の山容を拝んで、戦勝を祈願したところ大勝し、 その功業は神のご加護によるものと感謝して、 大同2(807)年、社殿を建立したと伝えられています。 以前は、 上吉田・下吉田・松山の三地区(旧瑞穂村・現在の富士吉田市)総鎮守、 山の神、田の神、氏神との重層信仰の神牡として、 郡内一円の人々の信仰を集めたそうです。 拝殿には、神殿の前に、富士山が祀られています。 木鼻は、獅子と獏。 狛犬は、昭和6年に奉納されています。 社殿は、天正年間(1573-1593)の建造で、 その後たびたび改修されているそうです。 本殿の北側にある「かつらの木」は、 樹齢600年と推定され、 南北朝時代、鎌倉で討たれた大塔宮護良親王の首級を、 この樹の根元に葬ったという伝説があるそうです。 最後の画像は、 拝殿前の狛犬、 よくみると、目と口が緑青のような緑色をしていました。。。 カメラが濡れないようにしていたので、 気が付くと、背中はずぶ濡れになっていました。 おかげで、とっても涼しくなりましたけど。。。(笑) |







