のびパンチ

あっという間に過ぎていく。。。

新潟の神社・寺

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如法寺の八幡社

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如法寺の八幡社を訪れたのは、
全くの偶然でした。。。


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三条市如法寺地区にある寺に行くつもりで、
細い登り道に入ると、そこは寺山の墓地だった。
引き返すのを躊躇って、
山側から寺へ入れるかも知れないと、
石段を登り始めた。。。

掃除はされていたが、
あまり人に踏まれた気配はない。

石段は、予想以上に長くて、
何度か折り返し、
たぶん、3百段くらいかな?息が切れた。。。。


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石段を上り詰めたところにあったのが、
「八幡社」のお社。
小さいけれど、なかなか端正な造りだった。

道は、ここから、さらに山へと続いているようで、
寺へは回りこめそうもなかった。。。


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狛犬は、
台座に明治39年と刻まれている。

吽像は、子獅子を右前足で押さえつけている。


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子獅子は相当なやんちゃらしく、
阿・吽像よりも、ずっと迫力がありました。
よく見ると、かなり怖い顔でした。


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木鼻・彫刻は、
生き生きと表情のある彫りが施されていました。

残念ながら、
建立時期などが判るようなものは見つけられませんでした。

標識もなく、
入り口も判りにくく、
そのうえ、長い石段を登らなければたどり着けない神社。。。

滅多なことでは、
知らない人がたまたま訪れる場所ではないので、

掘り出し物を見つけたような気分になっていました。


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結局、また道を引き返してくると、
農家の作業小屋、軒下に玉葱がたくさんぶら下がっていました。

今は、新玉葱が美味しいですよね。

旧下田村 升箕社

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升箕社は、もっと先ですか?」
「いやぁ、ここはぜんぜん違うよ。。。」
国道へ出る道を教えてくれてから、
「その先はまた聞いてくれ。。。誰でも知ってるから。すっごく有名だからね

五十嵐川左岸の山裾沿いに旧道を下っていき、
旧下田村の下大浦のバス停を発見しました。
下大浦は、それほど大きな集落ではありません。
集落の中を、2周、3周、それでもみつからない。。。

すっごく有名すぎて、誰でも知ってるから、
看板なんて、無いのだ!

尋ねると、
植木の手入れの手を休めて、しばらく考え込んでから。。。

「升箕社はね、
つきあたりを左に曲がって。。。家と作業小屋の間を右に入るとあるよ。
一見、他人の家の庭先に見えるけど、ちゃんと道路だから、入っていいんだよ。

って。


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升箕社(ますみしゃ)は,旧下田村(しただむら)の下大浦地区に鎮座します。

天照大神を祀っていますが、「神明社」を称さず,農具の「升」と「箕」で「升箕社」
江戸時代前期の天和3(1683)年の勧請と伝えられています。

その年、全国的な凶作で飢饉がおしよせ、
これを救うため、伊勢神宮から御輿が全国巡行にくり出されました。
下大浦に来ると突如、神輿が動かなくなったため、庄屋の屋敷に招き入れたそうです。

そして、神輿と神霊を村内の二荒社に安置し,
翌貞享元(1684)年、社殿を造って祀ったのが升箕社の起源だそうです。

それ以来、順調な作柄が続いたため、
升箕社の評判は高まり、御利益を求めて、
蒲原郡一帯のみならず、三島・古志からも、参詣者が訪れたそうです。
だから、すっごく有名なんですね。


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狛犬は、シンプルで、力強さがあります。


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阿像のお顔の蜘蛛の巣を払うと、
口中の玉がありましたが、玉は動きませんでした。


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拝殿の彫刻は、素晴らしくて、
特に正面の龍は生き生きとしていました。

木鼻の獏は、堂々として、美しかったです。


今回は、見ることが出来なかったのですが、
拝殿の、二間・四間の天井には、
安政2(1855)年、拝殿の大修理の際、
狩野派の絵師、狩野晏川貴信(あんせんたかのぶ)の手になる
躍動感溢れる見事な「竜の墨絵」が描かれているそうです。

ぜひ、拝見したいと思っていますが。。。


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帰りがけ、参道をたどってみると、
探し回っているときに何度も通った、
集落のほぼ中心のロータリーにある小さな神社の脇に出ました。

少し奥まって、升箕社の石柱が建ち、
鳥居はありませんが、参道が始まっていました。

な〜んだ、ここだったのね。。。
次回は、もう、大丈夫です。

旧下田村 八木神社

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旧下田村にある八木神社は、
その先は、
カモシカの生息地・笠掘から、八十里越えを経て、奥会津へ続く旧街道沿いにあります。

勧請開基は大同2年(807)といわれていますが、
断崖絶壁の山「八木ケ鼻」に対する信仰が、大昔からあったのではないでしょうか。
かつては、八木鼻山頂に祀られ、八木・守門大名神と呼ばれていたそうです。

社名の石碑、大変立派な石碑ですが、
字は、諸橋轍次博士によるものだそうです。
諸橋徹次博士は、「大漢和辞典」の編著で有名な大漢学者です。
この旧下田村の縁の人で、墓所がこの村にあります。
また、道の駅には、諸橋徹次記念館も建てられています。


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現在の本殿は万治元年(1657)に、拝殿は明和5年(1768)再建されています。
残念ですが、本殿は覆屋の中にあって、見ることができませんでした。

祭神は、
守門大明神と八木大明神が二社相殿で祀られているそうです。
守門大明神は、豊磐間戸(トヨイハマド)と櫛磐間戸(クシイハマド)。
八木大明神は、倉稲魂命。

ほかに、
新田義貞父子四神像(新田義貞とその三子の義顕・義興・義宗)も祀られているそうです。


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狛犬は、台座には江戸時代と推測される年号が刻まれていました。
像は、かなり損傷が激しく、
応急のコンクリートで補修されていましたが、
大変 脆い材質で出来ていて、融けて無くなってしまいそうでした。
とても、痛々しい。。。


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歌碑は、天保9(1838)年、この地を来訪した新田重基が、
祖先の新田義貞父子を偲んで詠んだ歌。

「八木やまのこかげ涼しく わき出し清水は 神の恵みとぞおもふ」

文久3(1863)年に建立されています。


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鎌倉時代以降、五十嵐氏に治められていた旧下田村ですが、

戦国時代、長尾家の領土となり、
八木神社は、高城々主・長尾景久の祈願社として大切にされ、
式日には参詣し太刀を奉納したそうです。

江戸時代は、村松藩主堀丹波守が参拝奉幣を常とし、
金品の他、神域八木ヶ鼻のハヤブサ彫刻額一対などを寄進し、
ハヤブサ彫刻額一対は、拝殿に祀られているそうですが、見ることはできませんでした。

この神社の歴史の長さを物語るように、
旧下田村の名木に指定された杉の古木が、
参道の石段を押し上げています。


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神社参道から、八木ヶ鼻への遊歩道があります。

最初の標識には「八木ヶ鼻 20分」
まあ、20分なら、なんとかなるかな?と思い、歩き始めました。

次の標識には「八木ヶ鼻 25分」
え? さっきより、長くなった?

さらに進むと、
今度の標識は「くま出没」!!!

熊と隣り合わせで、道に迷う覚悟がつかなくて、
今回は、
八木ヶ鼻登頂は、諦めることにしました。

五十嵐神社は イカラシ

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旧下田村(三条市下田)の一帯は、
鎌倉時代から約400年間、五十嵐一族によって治められていたそうです。
五十嵐家の初代は、
笠堀村の甚右ェ門の娘と吉ヶ平の雨生ケ池の竜神との間に生まれた子供と伝えられ、
わきの下の3枚のウロコがその証拠。
という伝説があるそうです。



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五十嵐神社の創立年代は不詳ですが、
主祭神は五十日帯彦命(イカタラシヒコノミコト)。

五十日帯彦、なかなか読めないですよね。
新潟では、「五十嵐」を、「イカラシ」と読むのは、
この皇子の名前に因るものなのですね。

五十日帯彦は、
垂仁天皇の第八皇子で,
越の国にくだり、この地を開墾し、
下田村飯田宮沢の地で生涯を閉じ、舞鶴の丘に葬られたと伝えられています。

五十嵐神社の社域全体を五十日帯彦の墳墓とする伝承があり、
拝殿の右手には「五十日帯彦命陵墓」と刻した石碑が建てられています。

明治時代に宮内省から「御陵墓伝説地」として認可されたそうです。

現在の社殿は、明治8年に建立されたものです。



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この狛犬は、文久2(1819)年に奉納されています。

彫りは比較的浅く、
シンプルなつくりですが、
親しみがあって、品がいい。

味のあるお顔立ちは、
毎朝昼夕、ご挨拶したくなります。

気に入って、
たくさん撮ってしまいました。


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五十嵐神社の鳥居脇の石柱には、
「県社 五十嵐神社」(大正十二年六月昇格記念)
と記されています。

明治四年、政府は、国幣社、官幣社、県社、郷社、村社、無格社と、
神社に格式をつけた際、五十嵐神社は「村社」に格付けされました。

垂仁天皇の皇子、五十日帯彦命を祀った五十嵐神社が「村社」であることを不足とし、
時の庄屋が中心となり、昇格運動が起こりました。
社殿の建立(明治8年)も、この運動と関係しています。
しかし、五十嵐神社の規模(財産・氏子・参拝者数)などを理由に、
なかなかことが運ばず、
念願かなって「県社」に昇格したのは、大正10年だったそうです。

ですが、
今も、
ヒメサユリの咲く山あいの村にある五十嵐神社は、
訪れたこの日も、
他に人の気配はなく、
味のある狛犬さまを、ゆっくりと拝見することができました。

五十嵐神社は、
現在、
全国の五十嵐さんのシンボル的な神社になっているそうです。
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国道352号線を和田川に沿って遡ると、
震災の復旧で、現在は、トンネルを含むバイパスが新しく通っている。
小平尾地区の旧道に沿って建っていたのは、
小平尾の天満宮。

寛永2(1625)年の創立で、
産土神も合祀されている。

ここにも、杉の古木の杜。
画像手前の少し盛り上がった所は、相撲の土俵。
奉納相撲が催されるのだろうか。。。

この先にある山古志の種苧原神社では、
震災の前には、
毎秋、牛の角突きが奉納されていたのを思い出す。。。

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菅原道真を祀った天満宮には、
臥牛像が奉納されていることが多い。
ここでも、参道を挟んで向かい合って一対の臥牛が。。。

角があるのは雄牛かな?
臥牛は、阿吽ではないらしい。。。いや、つい、そうかな?って思って。。。(笑)


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拝殿の脇には絵馬がたくさん掛かっている。
社務所は境内には見当たらないけれど、
もしかしたら、
お正月は、賑やかなのかな。。。


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狛犬は、体は揃って鳥居を向き、
頭を参道側へ向けている。

今までとは、えらく違う。。。


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今までとは、全然ちがってる!!!
ちょっと、東南アジアの雰囲気かな?
阿というより、ワハハという感じ。。。
陽気な狛犬!!!

尾は、花札の松みたいだ。。。


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この天満宮は、鳥屋ヶ峰の登山口につながっています。
ここを少し登ると、さらに鳥居があって、そこからが登山道。。。
2時間ほど歩くと、鳥屋ヶ峰の山頂。
天気の良い日は360度のパノラマが広がっているそうです。

う〜ん。。。

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