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「さん養神社? 私は、ここに嫁に来てから55年経ちますけど、 田中の神社は、須門神社しか知りませんよ。。。」 旧広神村田中集落にあるはずの「さん養神社」を探し廻って見つからず、 「須門神社」にたどり着いて、 鳥居の向かいで尋ねると、庭仕事の手を休めて話してくれた。 「ここはね、格があるんですよ。」 大同元(806)年の創祀と伝えられています。 古くから地元の信仰を集め、 明治40年の合祀のときに、須門神社になったそうです。 拝殿は文化5(1805)年の建築。 狛犬は、阿像・吽像とも、全身巻き毛に覆われています。 体は参道を挟んで向き合い、 顔は鳥居の方を睨んでいます。 阿像は、舌の先が出ているように見えるのですが。。。 顔は、あまり怖くないですよね。 どことなく、育ちの良さを感じます。 地元に愛されるタイプかもしれない。。。 境内の杉。 この周辺は、杉の太さが違うんですよ。 他の地域だったらご神木の注連縄が張られるレベルが、普通にずら〜っと並んでいます。 木鼻の前髪が、ちょっとナウい!(笑) 神社の後ろ側には、 八海大明神の御霊泉「みたらせ泉」のが湧き出していました。 そして、この道ですが、何となく時代を感じさせる。。。 由緒書きによると、明治33年、今の鳥居側に国道が敷かれたため、 神社を、東向きから西向きに変えた。。。 と、いうことは。。。 そうです! こちら側が、元々の参道だったんです! 現在は、集落の東側に、新たに広いバイパスが通っています。 神社からみると、東に元々の参道、西に旧国道、さらに東に今の252号線。。。 ということになります。 さて、 探していた「さん養神社」ですが、 魚沼市観光協会のサイトに記載されています。 http://www.city.uonuma.niigata.jp/kankou/learn/shrine/sanyoujinjya.html でも、地元田中集落の人が知らないとなると。。。 と思っていたのですが、 先ほど、この記事を書こうとして、気が付いたのですが、 魚沼市観光協会の 「さん養神社」の画像は、須門神社によく似ているみたいなんです。 とても、???な気持ち。 ???な気持ちを、 観光協会に問い合わせてみました。。。 「『須門神社』の境内に、『さん養神社』があります」 「でも、地元の人たちは『さん養神社』とは呼ばないんです」 ということだそうです。 初めて訪れる土地で、地元の人が知らない名前で探すのは困難です 「そうですよね。。。 HPの書き方を直しますね。 わざわざ、ありがとうございました。」 なかなか言い出しにくい事柄だっただけに、丁寧な応対に、ほっとしました。 須門神社の由緒書きの中には、 合祀の経緯が記されていますが、 さん養神社のことは見当たらないようですが、 須門神社とさん養神社の関係については、 宮司さんに直接聞いてくださいとのことで、 電話番号を教えていただきました。 連絡してみたのですが、ご不在の様子。。。 観光協会のHPの変更をちょっと待ってみようかしら。。。
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新潟の神社・寺
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柏崎市椎谷は、幕末まで椎谷藩の陣屋があったところです。 戊辰戦争によって、集落は焼き討ちに合い壊滅状態になったものの、 長い石段を登り、山の中腹にある椎谷観音堂は、 平安時代に創建され、 今も日本海を見渡すように佇んでいます。 観音堂に隣接する香取神社、 その由緒は。。。 (画像は、香取神社拝殿の木鼻の彫刻です) 香取神社は、椎名藩の歩みと共に、この椎名の地を見守り続けています。 椎名藩の藩祖は、堀直政の四男・堀直之です。 そもそも、元和2(1616)年、直之は大坂の陣による軍功が認められて、 越後国沼垂郡に5500石を与えられ、旗本となり、椎谷に陣屋を置きました。 直之→直景→直良→直宥(なおさだ)と継いで、関東・上総の地で、大名となります。 元禄11(1698)年、第4代藩主・堀直宥(なおさだ)は、 越後国蒲原三島二郡に転封されて1万石を領し、 椎谷に居住したのが正式な椎谷藩の始まりだそうです。 そして、堀直宥(なおさだ)が、上総からこの椎谷へ転封されたとき、 元領地内の下総・香取本宮より謹請し、椎谷部落の鎮守と定めて、 この地に香取神社が建てられたそうです。 寛政12(1800)年、御領分21カ村の庄屋より寄付10両を以って本殿を再建。 天保11(1840)年、現在の拝殿を造営。 明治以降も、約200戸の氏子によって、神輿舎造営や、拝殿の改修が施されているそうです。 香取神社の祭神は、経津主命(ふつぬしのかみ) 経津主命は、人格神ではなく、霊剣が神格化した神。 経津は、剣の切る勢いを現しているそうです。 ご利益は、外交の祖神として、 勝運の神、交通安全の神、および国家鎮護、諸産業の守護神。。。 北前船の寄港地として栄えた椎谷に相応しい祭神。ですね。 享和2(1802)年に寄進された永寿丸鳥居。 椎谷栄寿丸の 船主・小三郎と 水夫5名との連銘がある明神鳥居で、 「長州赤間関松屋伊兵衛清道」と銘記されています。 北前船によって、山口県から運ばれてきたと考えられています。 そして、この狛犬の正体は。。。
どこから、いつから、 謎は、深まるばかり。ですね。 |
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椎谷観音堂に隣接した香取神社は 江戸時代、航海の無事を祈って奉納された、 永寿丸鳥居や船絵馬が文化財として保存されています。 永寿丸鳥居は、椎谷観音堂の参道、あの長い石段の途中にあります。 画像は、椎名観音堂の記事の中の、猫が下を歩いている鳥居が、それです。 享和2(1802)年、椎谷永寿丸の船主と水夫の名があり、 戊辰戦争の折、大砲の弾が当った跡が残っています。 さて、狛犬ですが。。。 一見したところ、右も左も、吽像のように見えます。 しかし、右の吽像は、なんだかちょっと不自然。。。じゃないですか? 阿像の下顎が欠けてしまい、その跡を綺麗に削ったのかな?という気もします。 そして、一体だけの、阿像。。。 最初の画像の、神社に向かって左側、杉の木と灯篭の間にも小さく写っています。 最初、狛犬だとは気が付きませんでした。 あまり大きくありませんが、かなりリアルで迫力があり、 素晴らしいものだと思います。 そして、ポーズですが、 逆立ちといってもこのように後足が完全に中に浮いているものは、 初めて見ました!!! 狛犬を拝見するたびに、 どんどん判らないことが増えていくのですが、 今回は、特に、魅かれるものがありました。 この型の狛犬は、珍しくはないのかしら。。。? |
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柏崎からの帰り道、海岸線を走っていると、 石段の上に赤い仁王門。 一旦通り過ぎたが、ど〜も気になる。 ちょっとだけ、覗いてみようかな。。。 この辺り椎谷(しいや)は、江戸時代、椎谷藩(1698〜1871年)の陣屋があった所。 戊辰戦争(1868年)においては、水戸藩と薩長による激戦の舞台となり、 椎谷は、戦禍による大被害を被った。 今も、陣屋跡が遺跡として残っている。 海岸は海水浴場になっているが、今は閑散としている。 道路脇の駐車場に車を置いて、少し急な石段を登り始めた。 途中、集落の道を跨ぐが、 その傍らに簡素なつくりの閻魔堂がある。 最初の画像は、そこに祀られている閻魔さま。。。 柏崎は、明治時代、屋根瓦の製造が盛んだったことから、 冬季の余技として土人形づくりが起こったそうです。 太平洋戦争後は、すっかり消えてしまいました。 こうして綺麗に残っているのは、珍しいのではないかと思います。 仁王門は、もう少し登ったところ。 遠くから見たときよりも、ずっと時代を感じさせる佇まいです。 仁王像は、格子の中に金網が張られて。。。 全体を撮ることができませんでしたが、 あまり大きくはありませんが、迫力のある像でした。 ほんの僅かな部分だけですが、こんな感じです。 仁王門までたどり着いてみると、 さらに緩やかな石段が続き、先が見えません。 先に進もうか躊躇していると、 画像では、小さくなってしまいましたが、 杖を突いて、老人が下りて来るのが見えました。 とりあえず、あそこまで行ってみようかな。。。 そこで石段は左に折れて、 この石段の伝説が。。。 暴れ者の清八は村人に懲らしめられて改心し、 観音堂で 剃髪(ていはつ)し、頓入(とんにゅう)と称した。 そして、罪滅ぼしに、一大発願し、 独力で18年の歳月を要し300段の石段を築き、 その完成後、穀を断って寛政6年(1794)6月15日入定した。 遺存の石段、入定窟、鉄鉢は頓入沙弥の強烈な信仰心を示すとともに 往時の観音信仰の深さを物語るものである 頓入の入定窟の遺跡からの眺めです。 妻入りと呼ばれる家並みの向こうに柏崎原発、 そして、米山が望めます。 石段は、ゆるやかで歩きやすく、 季節柄、野草を眺めながらゆっくりと進むことができますが、 300段!ちょっと長いよね。。。 すると、いつの間にか、黒い猫が! 「ついておいで!」と言うように、 ときどき、後ろを振り返りながら、 悠然と登っていきます。 猫に連れられて、 ゆるやかな九十九折の石段をしばらく進むと、 綺麗に舗装された道路に出ました。 そこには、広い駐車場もあります。。。 気が付くと猫は、悠然と去っていくところでした。 さらに石段は続きますが、 もう観音堂が見えています。 左手には、香取神社がありますが、 これはまた次の機会に。。。 観音堂にたどり着きました! 茅葺屋根が印象的で、 どことなく温かみがあって、開放感のあるお堂です。 椎谷観音堂は、平安初期の創建と伝えられ、 寛永元(1624)年焼失、今の建物は明和7(1770)年に再建されたそうです。 日本海に面した山の上にあって、 潮風に洗われて風化したような風情があります。 地元の人でしょうか、散歩がてらという感じで、 お参りする人を何人も見かけましたが、 みんな、あの石段を登ってきたのか、 すぐ下の駐車場からなのか。。。。。 茅葺の屋根は、 とにかく分厚くて、立派でした。。。 新緑がすがすがしい 椎谷観音堂の大欅は、 約800年前の椎谷地図に載っていることから、 樹齢1000年以上とみられています。 本堂の東側には、 椎谷藩主の遺品や仏額絵馬、船絵馬などが収納されているそうですが、 今回は、拝見できませんでした。 また、観音堂から10分ほど下ると、不動堂があります。 先日の記事で紹介したひょうたん池は不動堂への途中にあります。 行きは下りですが、戻りはなかなか遠いですよ。。。 観音堂の裏には天拝山への登山道が続いています。 しばらく歩いてみましたが、様子がわからないので、 途中で引き返してしまいました。 裏の竹やぶは、今、筍がたくさん出ていて、 この日も、草刈りを兼ねて、 地元の方のグループが、竹薮に入っていました。 駐車場に戻ると、
この春初めての日本海の夕焼け、 またもや、こんな時間になってしまった。。。 |
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国道113号線は新潟市街地と東港を結ぶ幹線道路で、 朝夕の通勤時は相当な混雑ぶり。 新潟市街から新潟空港をやり過ごして、 松浜橋の手前辺りが下山 広い国道から切れ込むように細い道を一歩入ると 昔ながらの佇まいがわずかに残る たまたま通りがかった小さな辻で見つけた下山神社 境内はさほど広くない様子で 参道のすぐ脇に大きな倉庫があり 鳥居からは拝殿が見通せない この辺りは、 北側は海が近く、東には阿賀野川、 ほんの少し上流で阿賀野川と分かれ信濃川河口につながる通船川が南側を流れている。 通船川は水路のような川だが、元は阿賀野川の本流だった。 かつては、阿賀野川と通船川に挟まれた中州のような土地、 水との戦いの歴史があるんだろうな。。。 と思って見渡しても その片鱗を見出すことは難しかった。 113号線から一日市インターへ通じる新しいバイパスが出来て、 新しい住宅地も増えて、周囲はすっかり整備されている。 狛犬ですが、右が阿像で 左が吽像
でもこの吽像、下顎が欠けたのか んあ〜!になっていた |





