|
「菅谷(すがたに)のお不動さま」 と親しみを込めて呼ばれる菅谷不動尊は、 正式には、 真言宗醍醐派、諸法山菅谷(かんこく)寺 新発田市街から、車で約20分ほど、 大峰山の南麓、静かな菅谷の里です。 仁王像。 格子の隙間からのぞいてみました。 何故か、 体の表面に小さな紙のようなものが、 たくさん引っ付いていました。 これは、猿かな? ちょうだい!と、言っているみたい。。。 山門には、 たくさんの生き生きとした動物の彫刻が施されています。 開山、開基は、約800年前、 源頼朝の叔父にあたる慈応護念によるものだそうです。 護念上人が、比叡山で仏道修行中のおり、 平家の圧迫から逃れるために、 諸国行脚に出ることを余儀なくされます。 その際、 帰衣していた比叡山無動寺の、 「不動尊像の御頭」を笈に納めて、行脚に出たそうです。 そして、 数ヶ月の後、 ここ、越後国蒲原郡菅谷の里にさしかかり、 不思議な霊感によって、ここを結縁の地と感じて、 庵を結び一宇を建立して、尊像を安置したそうです。 ご本尊の不動明王像は、 ご由緒によると。。。 本尊の不動明王は 約三千年前 印度のビシュカツマの御作で 栴檀(センダン)の香木に真心をこめて彫まれ 祀られること千四百六十余年 その後 印度から支那を経て 更に伝教大師によって我国に将来された 所謂三国伝来の尊い御像であります 爾来 比叡山無動寺に安置されること三百五十年。。。。。 ということは、 ご本尊って、頭部だけですよね。。。 見てみたい!!! さらに境内の石段を登っていくと、 落差10mほどの「みたらしの滝」があります。 滝壺の畔の不動明王像に水をかけると、 眼病平癒に霊験があるそうで、 脇には、柄杓が並べられていました。 不動明王像は、ちょっと離れていて、 なかなか水が届かないんです。 何回もかけてしまいました。 最近、目が疲れやすいのは、PCの所為だと思うんですか。。。 1253年の落雷による火事で、 伽藍が悉く焼け失せた際に、 この滝壺の中のタニシによって、本尊が守られたのだそうです。 その故事にちなんで、 毎年、 滝壺には、タニシが放されます。 みたらしの滝から、 さらに、 山道のような道を登ると、 山の中腹の木立に包まれた境内の奥に、 簡素なつくりのお社に、 日吉神社が祀られていました。 そこは、 高い梢から、柔らかな光がそそぐ、 清清しくて、 とても気持ちのいい空間です。 手前の石塔は、「湯殿山」 裏には、文化十酉年四月(1813年) と、刻まれています。 小さな鳥居が三つあるんですけど、 全部、タイプが違うのが、面白いです。。。 来た道とは別の、 竹林の中をぬけて下りてくると、 歴代の僧侶の墓所に出てきました。 その脇のちいさな石仏、 やわらかな微笑を浮かべて、 日向ぼっこをしているみたいでした。。。。。 |
新潟の神社・寺
[ リスト | 詳細 ]
|
新潟県加茂市の青海神社は、 8世紀半ばの創建と伝えられ、 新潟県で、最初に県社に指定された、由緒ある神社です。 狛犬は、 弐の鳥居の先に鎮座していました。 本殿に向かって、 右側には吽像が鎮座しています。 年代を示すものは見つけられませんでしたが、 風化が進んでいて、かなり古いもののようです。 あごひげがカールしないで、縦に流れ、 喉がかなり深く凹んでいます。 右の前脚で、珠を掲げているのは、珍しいと思います。 左側もやはり、吽像です。 一見、珠を咥えているように見えますが、 これは、アゴの肉が、丸く張り出しているんです。 左側の狛犬の台座には、 「昭和三十九年十月吉日」と刻まれています。 通常、狛犬は阿吽で一対を成しています。 この狛犬のように、 吽像だけで向き合っているのは、とても珍しいと思いますが、 よく見ると、 右側はとても古そうです。 この狛犬は、作られた時期に差があるのではないかしら。。。 青海神社の年表によると、 昭和36年9月の第2室戸台風で、 境内の大杉200本が倒れるという被害にあったそうです。 もしかしたら、 その時点で、2対あった狛犬の阿像が両方とも被害にあったのでは? というふうにも、思うのですが、 そうすると、 左側の台座に刻まれた昭和39年は、 台風被害の後のことになるので。。。 謎になってしまいました! 拝殿は、雪囲いのシートが貼られていて、 彫刻が見えにくかったのですが。。。 木鼻は、 正面に向かっているのが、象で、 脇に張り出しているのは、獅子のようです。 どうちらも、迫力があって、見事な造りです。 挙鼻には、 みごとな彫刻で、一対の獅子が彫られています。 しかも、右側が、阿。 そして、左側は、吽。 になっていて、まるで、狛犬のようです。 他にも優れた彫刻が施されていました。 雪囲いがはずれた頃、 また、訪れたいと思います。 池には、 ツガイのマガモがいました。 加茂山だからでしょうか。。。 |
|
加茂の友人に聞くと、 昔、 京都からこの地に移り住んだ人は、 この川が、故郷の賀茂川に似ているので、 加茂川と名づけた。。。 小さい頃から、 そう教えられてきたそうです。 青海神社は、 8世紀半ば(青海神社の記録では726年)、 この地を開拓した青海首一族によって祀られたそうで、 信濃川の支流・加茂川のほとりからはじまる参道が、 長い石段を、ず〜っと登って、 加茂の町を見渡す、加茂山の中腹に鎮座しています。 拝殿は、 まだ、 雪囲いのシートに覆われていました。 社殿は、 天保14(1843)年、 越中井波の棟梁・松井角平によって、再建されたそうです。 地元の人には、「お明神さま」と呼ばれているそうです。 拝殿入口の額には、 「加茂大神」 と書かれていました。 創建時、 青海神社の祭神は、椎根津彦命と大国魂命。 延暦13(794)年、 この地が、 京都の賀茂神社と賀茂御祖(みおや)神社の、神領となったことから、 これを勧請し、 賀茂別雷命(かもわけいかづち)と、 多多須玉依姫命(ただすたまよりひめ)・賀茂建角身命(かもたけつぬみ)が、 祭神に加わったそうです。 京都から勧請された賀茂神社は、 当初、この場所に建てられていたそうで、 その跡地に、 天明7(1787)年に青海神社由緒碑が、建てられています。 この石碑には、 びっしりと、由緒が刻まれていますが、 ほとんど読めませんでした。。。 境内には、 たくさんの境内社が祀られています。 また、 加茂山は、 現在、公園としても利用されていて、 特に、加茂市の花、雪椿の樹園は、見事です。 いつもは桜の頃からが見頃なのですが、 今年は、 雪椿の開花も早まるかもしれない。。。 |
|
豪快に笑っているような顔の高麗犬は、 湊稲荷神社の「願懸け高麗犬」です。 回してみましたが、判るかしら? この「願懸け高麗犬」は、 男性は阿像、 女性は吽像を、 願い事を唱えながら、回すと願い事が叶うとか。 回して願懸けする高麗犬は、 日本中で、この湊稲荷神社だけ。 参拝者があとを絶たず、 高麗犬の回転軸が摩滅して、 半年ごとに修理が必要なほどだそうです。 回転するように作られていますが、 ぐるぐる回るのではなくて、 両手でどっこいしょ!というくらいの力が必要です。 昔、 新潟が、港町として活況を呈していた頃、 入港した船乗りは、七番町辺りの遊廓で過ごし、 遊女に港まで送られて船に戻ったそうです。 遊女たちは、船乗りを港に送って戻る途中、 この神社に参拝し、 西風が吹いて出港が延びるようにと、 狛犬を西に向けて祈ったそうです。 現在の高麗犬は平成7年に代替わりしたもので、 これで3代目。 初代は、もう残っていませんが、 先代は、嘉永七年銘で、拝殿前に保存されています。 湊稲荷神社は、 かつての花街と港のちょうど中間、 新潟市歴史博物館の近くに鎮座しています。 ご祭神は倉稲魂神、大己貴神、大宮能売神、保食神、太田神。 享保元(1716)年に、米沢から遷座されたそうです。 狛狐はイタズラをしないように(?)、 前脚を縛られていました。 右端は、拝殿に保存されている先代の狛犬。 檻(?)に入っていますが、 重たそうで、 これを回すのは、かなり大変だったのではないかと思います。 神殿の脇にまわると、 お役御免になった、 かつての狛犬や狛狐が、 ずら〜っと並べられていました。 神殿の脇に並んでいた狛狐、 犬っぽいんですけど、 なんともいい味なので、 最後の一枚です。 |
|
見慣れた街並みに、 意外なものを見つけました。 よく通る道なのに、 いままで、 屋根を見上げたことはなかったんですね。。。 たまたま眺めてて、 風景の中に、 何か違和感があったんですよ。 よく見ると、 お寺の屋根のテッペンに、 大きな狛犬が?。。。 だけど、 狛犬だったら、 阿像・吽像で一対なのが普通で、 阿像だけっていうのは、何故かな? それに、 お寺に狛犬は、あまり聞いたことがない。。。 これは、行ってみなくちゃ!ねっ! このお寺は、 新潟市の繁華街・古町(ふるまち)の近くにある、 寺裏(てらうら)通りのつきあたり、 鍛冶小路(かじこうじ)に面した、 「法音寺」 開基は天文3(1534)年の、 曹洞宗のお寺で、 この建物は、大正6(1917)年に再建されたそうです。 で、 屋根の像については、 案内板によると、 「本堂屋根頂上の獅子は、法音の具現化」 だそうです。 獅子の像ですが、 いわゆる神社の獅子・狛犬では、ありませんでした。 それにしても、 意外なところに、デ〜ン!と潜んでいました。。。(笑) |





