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石船神社の深い杜は、 明神山と呼ばれていますが、 その中腹からは、清水が湧いています。 その清水をひいて、 参道の中ほどに、 手水舎が建てられていました。 明治39年に、 地元の船大工の有志によって寄進された「嗽吐舎」 読み方がちょっと判らないけど。。。 こざっぱりと整えられて、 清清しく、 柔らかな湧水で口を漱ぐと、 杜からは野鳥のさえずりが聞こえていました。 |
新潟の神社・寺
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岩船港にそそぐ石川のほとり、 日本海を見渡す高台に鎮座する石船神社。 現在の社殿は、 火災によって、明治32年に再建されたそうですが、 縁起が9世紀初めと伝えられ、 歴史ある神社に相応しく、 狛犬は、とても興味深いものでした。 鳥居をくぐり、 参道の石段を登り始めて、 すぐ脇に、 参道を挟んで向かい合っているのは、 明治43年10月に奉献された狛犬。 素晴らしい! と、感じました。 阿の下顎だ欠落しているのが残念ですが、 とても堂々とした風格があります。 丸い台座には、 牡丹の装飾が施され、 凝った造りになっています。 目がこれでもか!という程、釣りあがっているのに、 あまり恐ろしげではありません。 たてがみと尾の巻き毛は、 向きが交互になっています。 形の上では、それほど珍しいことをしてないのに、 生き生きと美しく、 品格があります。 石工のセンスの冴えを感じます。 2対目の狛犬は、 石段を登りきった境内の入口にありました。 阿像に押さえ込まれた子獅子は、 阿像の尾の先を咥えています。 やんちゃな子獅子を押さえる前足は、 ふっくらと優しそうです。 阿像が子獅子を押さえ、 相対する、吽像は、毬を押さえています。 この狛犬は、 大正9年10月吉日に奉献されています。 東京池上本門寺前・内藤石材店 !!! と、台座に刻まれています。 狛犬で有名なのは、 溝の口の内藤石材店と思いましたが、 関連があるのでしょうか? 前に流れる尾は、 阿吽像ともに、 社殿に向かって、手前は巻き毛が三つあり、 社殿側は、大きな渦が一つになっています。 そして、 後ろから見ると、 尾が二手に分かれた形が、 まるでお尻のように見えて、これもちょっと楽しい。。。 そして、 3対目は、偶然見つけることが出来ました。 拝殿の奥に棟続きで祀られている神殿は、 手前に柵が廻らされています。 神殿の右脇に、小さな祠が祀られています。 その祠には、そっぽを向くようにして、 苔むした阿像だけが据えられていました。 如何にも違和感があります。 そして、 神殿の反対側に回り込むと、 なんと、 そこには吽像が、祀られていました。 神殿入口を挟んで、阿吽像が向き合っているのです。 狛犬は、 長年そこに祀られていたようで、 海に面した側だけが、風化しています。 明治29年に消失した社殿を、 この場所で、 守り続けていたのでしょうか。 台座には、 「天保十???年 九月 建立」 と、刻まれていました。 天保は、1830年から1843年。。。 そして、 最初の、狛犬は、 石工は勿論、 大きさも違っていますが、 台座の形や、耳の垂れ方など、 この狛犬の形式を受け継いでいるようにも見えました。 |
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新潟市から北東へ約50km、 日本海に注ぐ石川の河口は、県北随一の商業港・岩船(いわふね)港です。 岩船の港を見おろす小高い丘は、 広い神社の杜です。 その中腹に鎮座する、 石船(いわふね)神社を訪れました。 石船神社は、 延喜式で、磐舟郡8座の筆頭。 加茂市の青海神社と並んで、県社です。 起源は、 大同2(807)年、 北陸道観察使・秋篠朝臣安人が、 京都の貴船明神を勧請されたことに始まるそうですが、 元々、 石祠が祀られていたそうです。 日本書記によれば、 前年の淳足柵に次いで、 大和朝廷による北方支配の拠点として、 大化4(648)年、磐舟柵(いわふねのき)が築かれたそうです。 遺跡が発見されていない為、 磐舟柵の位置は特定されていませんが、 磐舟という地名は、 それ以前から存在し、 この神社の境内および周辺で、 古墳時代の遺物が発見されていて、 この一帯に、磐舟柵があったと考えられているそうです。 社殿は、明治29年に火災で焼失し、32年に再建されたそうです。 拝殿の入口は、 日本海を向いていて、 風の避けのためか、手前に引き戸が設けられています。 全体に、 覆い堂の中に建てられている感じで、 外側からは、簡素なつくりです。 木鼻はありませんが、 凝った彫刻が施された拝殿入口。 拝殿のなかには、 港町らしく、船絵馬も奉納されています。 しかも、この絵馬は、 比較的新しいものかもしれませんが、 模型のように立体的に組み立てられていました。 御祭神は、 饒速日命(にぎはやひのみこと) 罔象女命(みずはのめのみこと) 高靇神(たかおかみのかみ) 闇靇神(くらおかみのかみ) 神殿の扉は閉じられていました。 両脇には左大臣・右大臣が、目を光らせています。 神殿に廻らされた玉垣の中、 神殿の脇に、 小さな祠が、祀られています。 他の合祀とは別格のようで、 きっと特別なものだと思いますが、 確認はできませんでした。 境内には、 いくつもの神社が、合祀されていました。 下の画像は、境内からの眺望です。 岩船港の向うに、 日本海が広がっています。 ここからの夕日は、 さぞ、美しいことでしょう。。。古代の昔から。 石船神社の狛犬については、また次回。。。
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長岡藩の米百俵は有名ですが。。。 その米百俵を贈ったのは、「三根山(みねやま)藩」 三根山藩は、 新潟市(旧・巻町)峰岡、角田山の麓に位置し、 三根山藩址は、 旧北国街道の面影を、今も残す街道筋にあります。 三根山神社は、 三根山藩址から、ゆっくり歩いて10分ほどの集落にあります。 周囲に石垣を廻らせ、 社殿は、それ程、大きくはありませんが、 風格があり、大切にされている様子が感じられます。 三根山藩とゆかりが深いそうですが、 ご祭神は、判りませんでした。 狛犬は、カマエ型。 石の鳥居を潜り、石段を登って、 もう一つの鳥居の先、 燈籠の手前に、 参道を挟んで向かい合っています。 全身が毛むくじゃら?! 体の表面には、もこもこした彫が施されています。 尾の毛並みも、うねるような感じ。 たてがみは、それほど多くありません。 顔は、 どちらかというと大作り。 耳は後ろ向きに、立ち加減、 歯は大粒で、太い牙が目立ちます。 目も大きいけれど、怒気や威嚇という感じはないようです。 全体に曲線的な感じがします。 歴史がありそうですが。。。 鳥居を挟んで、道の向かい側には、 峰岡大神宮が建てられています。 「米百俵」とは、 戊辰戦争に負け、焦土と化した長岡藩に対し、 明治3年、その窮乏を見舞う為に米百俵が贈られた。 ときの大参事小林虎三郎は、 その売却代金を、窮乏救済には使わず、 人物の育成の為、英断を以って、国漢学校設立の資金とした。 国漢学校は、多くの優秀な人材を輩出し、 長岡高等学校へと引き継がれ、 長岡における近代教育の基礎を築いた。 その故事を山本有三が戯曲化し、人気を博した。
前総理・小泉純一郎氏の引用により有名になりました。 |
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新潟市青山にある、 御幣稲荷神社(ごへいいなりじんじゃ)の参道は、 赤い鳥居のトンネル。 かつては、 三百数十の鳥居が並んでいたそうですが、 新潟地震によって、 現在の場所に移ってきたそうです。 お稲荷さんなので、 狛きつね!です。 向かって右側が玉を、左側は巻紙を、 それぞれ、くわえています。 昭和3年に奉納されていますが、 台座には、ぎっしりと名前が刻まれて、 当時の、氏子の多さを物語っているようです。 むかし話「青山の五平狐」によると、 この神社の付近では、 イタズラ狐の五平が、 通りすがりの人を騙して、ひどい目に合わせていたとか。。。 この御幣稲荷神社は、 イタズラ五平狐を祀ったともいわれますが、 ご祭神は、 宇賀之魂命(うがのみたまのみこと)だそうです。 家から、歩いていけるので、 今年も、 初日の出の時刻に合わせて、 のび・さくらと一緒に、初詣ででした。 去年までは、 五平狐にちなんで、 油揚げが山のように奉納されていましたが、 今年は、不思議と何も載っていませんでした。 小さな社殿ですが、 歴史は古く、 寛文元(1661)年の創建、一説には12世紀末に建てられたとも。。。 湿地帯の多いところでしたが、 この辺りは、低い丘が続き、 昔から人の暮らしがあったんですね。 この神社、 五平狐のむかし話とともに、 地元の人に大切にされています。 |





