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宮目神社は、 延喜式神名帳に記された古社ですが、 その社地に玉敷神社が遷ってきたことから、 現在は、玉敷神社の摂社として鎮座しています。 宮目神社の小さな社殿の前に、 一対の狛犬が鎮座していました。 ちょっと戸惑ったような表情に愛嬌があり、 耳が少し前の方に垂れていて、昔のおかっぱ頭のように見えます。 台座には、 「嘉永七年寅十一月吉」の銘があり、 江戸時代末期、嘉永7(1855)年に奉納されたようです。 この年に、何かがあったのかしら。。。 渦巻きは、顔のまわりにいくつかあるだけです。 背中全体に、短い毛が彫られて、 尾は、立ち上がりはほとんど無く、両脇に流れています。 最後の画像は、 阿像に押さえ込まれた子獅子。 く、く、苦しいよ〜! と歯を食いしばっているみたい。。。。。こりゃあ、ワンパクだわ。 |
埼玉の神社・寺
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玉敷神社の狛犬は、 一対で、拝殿の前に鎮座していました。 ことさら怖い表情というのではないんですけど、 前足が太く、 タテガミの渦巻が大きく、 渦巻きの中央が尖ったように盛り上がって、 全体的に力強くしっかりとして、迫力を感じます。 阿像、吽像、ともに子獅子がいます。 台座には、 狛犬奉納の銘の最後に、 「大正八年十一月三日建設 石刻師 加須 石川意至」 と記されていました。 また、 狛犬の手前にの石燈篭には、 「明治四十年二月吉日」 「加須町 石刻師 石川意至」 の銘があり、 近隣の加須町を中心に、 石川意至という石刻師が、明治後期から昭和初期に活躍したようです。 子獅子も、とても生き生きと表現されていて、 ちゃんと阿吽! 阿像は、玉を持っています。 アゴは、 正面は、エラが張った四角い顔に見えますが、 横から見ると、あご髭が前に突き出していて、 ノドがすっきりと切れ込んでいます。 下アゴの部分は、欠落し易く、 ときどき下アゴのない狛犬を見かけます。 そのため、 ノドをアゴ髭で覆ってしまうことが多いので、 このようなスッキリとしたノドは珍しいと思います。 尾は、 大きな膨らみを持って立ち上がり、 左右に分かれて、脇に流れています。 狛犬の作者が判ることは珍しくて、 他の神社でも、 「石川意至の狛犬」に出会えるかしら。。。興味が増します! |
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玉敷神社(たましきじんじゃ)は、 埼玉県北埼玉郡騎西町大字騎西に鎮座しています。 延喜式神名帳には「武蔵国埼玉郡 玉敷神社」と記載されているそうですが、 中世から江戸時代後半まで、久伊豆大明神とも称していたそうです。 騎西町は、中世武士団である武蔵七党のひとつ私市(きさい)党の本拠地であり、 久伊豆大明神は、私市党の氏神であったことから、 久伊豆神社は、その勢力範囲の埼玉県の元荒川流域を中心に分布しています。 いきなりですが、クイズです! 「久伊豆神社」は、どう読むのでしょうか? 私は、てっきり「クイズ神社」だと思い込んでいて、 そのキュートな名前に興味があったのに。 正解は「ヒサイズ」だそうです。 何故、埼玉なのに伊豆なのかは、謎なのですが。。。 補筆 2008年8月23日 埼玉の神社にお詳しいスネコタンパコさんから、 「菖蒲町では、久伊豆神社を、「クイズ神社」と呼んでいる」 と、教えていただきました。 玉敷神社をはじめ、「ヒサイズ」と読む場合が多いようで、 ウィキペディアでは、「ヒサイズ」あるいは「キュウイズ」と書かれています。 そして、 元荒川一帯に鎮座する久伊豆神社は、 地域によっては、「クイズ」と呼ばれていることが判りました。 スネコタンパコさん、ありがとうございます。 旧道に面した一の鳥居から北へのびた参道は、 かつては広い社叢だったと思われる中を真直ぐに進みます。 途中、二の鳥居の手前で細い道が横切り、 三の鳥居の手前には社務所があります。 この参道は、200m以上はありそうです。 ゆっくり歩きながら、 参道の長さは、どういう風に決まってくるのかしら? などと考えてしまいました。 社伝によると、 文武天皇の大宝3(703)年、 東山道鎮撫使として武蔵国にきた多次比真人三宅磨によって創建と伝えられ、 あるいは、 成務天皇6(136?)年、兄多毛比命が武蔵国造として赴任したときに、 出雲大社の分霊を遷座したという説も伝えられているそうです。 元々は、現在地(騎西町騎西)の北に位置する正能村(騎西町正能)に鎮座していましたが、 天正2(1574)年、上杉謙信が武蔵に出兵した際に兵火に見舞われ、社殿を焼失し、 江戸時代に、一旦、騎西城大手門前に再建されたのち、 寛永4(1627)年ごろに現在地に遷座されたそうです。 主祭神は、大己貴命(大国主命) 配祭神は、天照大神、豊受大神、伊邪那岐命、伊邪那美命、軻遇突智命 延喜式神名帳記載の式内社で、旧社格は県社。 江戸時代まで「勅願所玉敷神社、久伊豆大明神」と称し、 旧埼玉郡の総鎮守であり、騎西領四八箇村の氏神。 社殿は、 本殿と幣殿が文化13(1816)年に建立、 拝殿は明治31(1898)年の修築。 境内社は、 宮目神社、白山神社、稲荷神社、琴平社、松尾社、厳島社、八坂神社、天神社の八社。 境内社のひとつである宮目神社は。。。 宮目神社は、 現在、玉敷神社の本殿の脇に鎮座する境内社のひとつですが、 延喜式神名帳に記載の、由緒ある神社です。 祭神は、大宮能売命(おおみやのめのかみ) 享保年間(1716〜36)に玉敷神社の神主が記した要用集には、 「山王大権現」と表記がされていて、 社殿の中には、たくさんの猿の像が奉納されています。 元々、宮目神社が鎮座している場所に、 江戸時代初期、玉敷神社が遷座してきたそうです。 平成13年、白樫が倒壞して宮目神社を直撃し、社殿が大破したために、 同年、現在の社殿が竣工されたそうです。 ご神木の銀杏。 樹齢500年と推定されるそうなので、宮目神社の時代からあったことになります。 神楽殿は、天保7(1836)に建立され、 萱葺き屋根で、彫刻などの意匠も素晴らしく、 とても美しい建物です。 この舞台では、 騎西町正能の氏子によって父子相伝で、 400年を超え江戸神楽の原形を伝えるという、 国指定無形民族文化財「玉敷神社神楽」が、年に4回奉奏されるそうです。 また、 玉敷神社には、 「お獅子様」と呼ばれる神宝である猿田彦の面が祭神の分霊として、 春に農村各地をめぐって、祓祭をする風習。 「明神様の御神湯」と呼ばれる霊験あらたかな神社の井戸。 子供の健康と成長を祈願して神馬像の下をくぐる「お馬くぐり」。 独特の風習がいまも大切にされているそうです。 |
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おでこなのか、前髪なのか、リーゼントなのか、 が、 鼻より高い。。。 姫宮神社の狛犬は、 参道からはあまり目立たなかったんですけど、 拝殿のすぐ近くに鎮座していました。 台座には、 天保12(1841)年の銘があります。 石工のセンスに、並じゃない個性を感じます。 歯が目立たないためか、 唇を内側に巻き込んだみたいな、丸みのある上あご。 おっとりしてるというか、 ちょっと人間的な感じ。。。。。 個性的なのは、顔ばかりでなくて、 横から見ると、とっても三角形!!! |
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東武きっての名刹・西光院の鎮守として創建された五社神社には、 2対の狛犬が鎮座していました。 2対とも、 明治時代に奉納され、 台座には、「伊勢」「太太連」と記されています。 鳥居の手前には、 溶岩でできた築山の、上に親獅子、下の方に子獅子がいます。 このタイプは、獅子山とも呼ばれ、 19世紀以降、江戸で流行したそうですが、 ここ埼玉にも来ているんですね。 江戸の職人の手によるものでしょうか。。。 台座には、明治25年と記されています。 親獅子は、 眉が太くて、奥の目がほとんどの見えない、眉頭が巻き毛になっています。 脚がしっかりとして、たくましい感じがします。 2対目の狛犬は、 拝殿の前に鎮座していました。 こちらも眉が太いのですが、 眉頭の巻毛はありません。 阿像は、 甘えるような仕草の子獅子を軽く押さえています。 蹲踞(そんきょ)タイプとも呼ばれますが、 阿吽像とも、いわゆる「お座り」をしています。 台座には明治14年の記銘があり、 1対目よりも古いようです。 阿像が、子獅子を連れていると、 吽像は、玉を持っているのをよく見かけますが、 ここでは、脇息(?)のような台に脚を乗せていて、珍しいですよね。 たてがみの巻毛は少なくて、 尾は、前に流れています。 こころもち胸を張っているようで、堂々とした感じがします。 全体的に均整のとれて、かっこいいですよね。 このところ、 昭和の狛犬が多かったのですが、 ひさしぶりに、個性的な狛犬にめぐり合えました。 |





