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東北自動車道を黒石インターでおりて、 岩木山へ向かって西に5kmほどのところ、 旧道が交差するところに鎮座しているのは、 猿賀神社 この神社の創立は古代にまでさかのぼると伝えられ、 近世においても津軽家の祈願所と定められ、 東北および北海道の人々の信仰を集めているそうです。 「鏡ヶ池」と「見晴ヶ池」の2つの大きな池を中心とした、 約15,000坪の広大な社領は、 蓮で有名な池の周りには遊歩道があり、 公園と一体となって、開放的に整備されています。 社殿は、 池の西側(岩木山側)にあり、 南に面した旧道から北へ向かって参道が続きます。 三の鳥居を過ぎると、 右手には、社務所と手水舎があり、 何基もの石碑が点在し、高浜虚子の句碑もあるのですが、 三味線や獅子の石碑は独特な感じがします。 境内社や狛犬も興味深い佇まいで鎮座していますが、 それは、のちほどご紹介したいと思います。 重厚な佇まいの拝殿は、 バランスがとれていて、あまり大きく感じませんでした。 昭和13年に建てられた、62坪の入母屋造りだそうです。 蟇股(かえるまた)は、三態の龍の彫刻が施され、 また、 木鼻(きばな)は獅子。 いずれも素晴らしいものでした。 本殿は、 拝殿より高く、神門の中に建てられていていました。 透塀が廻らされていて、詳細は見えないのですが。。。 文政9(1826)年に造営され、 向拝には、昭和32年に付け加えられた阿吽の巻龍の彫刻が施されているそうです。 主祭神 上毛野君田道命(かみつけぬのきみたみちのみこと) 相殿神 保食神(うけもちのかみ) 旧社格 県社・別表神社 創建は、社伝によると、 上毛野君田道は、 仁徳55(367?)年勅命を受けて、東北地方平定途上、 伊寺(いじ)の水門(みなと)で戦死し、その地で産土神として祀られました。 その200年のち、大洪水がおこり、 田道命の神霊が白馬にまたがり流木を舟にして流れに乗り、 現在の猿賀に遷座されたと伝えらているそうです。 桓武天皇の時代、坂上田村麻呂東征の折に、 田道命の霊に導かれて大勝したことから、 延暦12(793)年、田村麻呂は現在地に祠を祀り、 大同2(807)年8月15日、勅命により社殿を造営して、 奥州猿賀山深砂大権現として勧請したそうです。 以来、 猿賀の深沙宮(じんじゃぐう)と呼ばれ、 明治4年、現在の猿賀神社と改称されたそうです。 伊寺の水門とは、北上川の河口にある現在の宮城県石巻港かと思っていたのですが、 秋田県鹿角郡猿賀神社に「田道将軍戦没の地」の墓があるそうです。 このあたりの関係はよくわかりませんでした。。。 本殿の西側には、上毛野君田道命の神霊碑が祀られていました。 毛野氏とは、 関東北部の毛野国(群馬県・栃木県)を本拠地として、 関東北部一帯に大勢力をもった古代豪族で、 第10代崇神天皇の第1皇子である豊城入彦(とよきいるひこ)命を元祖とする、 皇別氏族とされているそうです。 また、 「猿賀石」という大石が近くにあるそうです。 これは、坂上田村麻呂征夷のおり、 賊首大丈丸(一説に大田丸)を葬りその上に据え置いた石と伝えられているそうです。 家に戻ってから由緒書を見て気がついたので、見損なってしまいました。 とても、残念です! ここを訪れたのは、9月8日、 拝殿の脇では、 旧8月14日から三日間催される「十五夜大祭」に向けて、 大きなボンボリを手入れしている真っ最中でした。 |
青森の神社・寺
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