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岩手県一ノ関から、国道4号線で北へ向かい、 月山 (現・三峰山。標高130m)を目指しました。 天台宗東北大本山・中尊寺 の前を過ぎ、 衣川(ころもがわ) を渡ると、 胆沢(いさわ)郡衣川村(現・岩手県奥州市衣川区)。 衣川を西へ向かって、さかのぼっていくと、 月山の美しい山容が見えてきます。 月山の山頂には、 中尊寺の奥院・月山神社 が鎮座し、 その本殿の前には、安倍一族の守護神・荒覇吐(あらはばき)神が祀られています。 かつて、月山は女人禁制で、 麓に近い 荒沢神社 より奥へ登ることは許されなかったそうです。 江戸後期、麓に 三峰神社 が勧請されたことから、 月山は、三峰山 と呼ばれているようです。 奥州は、古代において、 「坂上田村麻呂の東征」と、「前九年後三年の役」という、 大きな転換期がありました。 坂上田村麻呂に征圧され、延暦21年(802)、胆沢城に鎮守府がおかれた後も、 衣川を境界線として、 南側の平泉中尊寺は陸奥守、 北側は、豪族・安倍氏によって実質的に統治されていました。 中尊寺の山号・関山は、 衣川に設けられた衣川関に由来するそうです。 ところが、 永承6年(1051)、 蝦夷の支配者・安倍頼良と陸奥守・藤原登任の衝突から、 前九年の役が勃発します。 源頼義の陸奥守就任によって、 一旦は下火になるものの、 頼義と、頼時の子・安倍貞任との間で、 戦いが再燃し、 康平5年(1062)、厨川柵で貞任の戦没により、 安倍氏は終焉を迎えました。 月山の参道および境内には、 小さな祠がいくつも鎮座していますが、 今回、確認できたのは、古いと思われる順に、 和我叡登挙(わかえとの)神社、荒澤神社、月山神社、三峰神社の、4社です。 麓から登りながら、訪れた順番で、ご紹介したいと思います。 三峰神社 月山(現・三峰山)の麓に鳥居が立ち、 石段を登ると、宮司・荒澤氏の居宅の奥に、 社殿が鎮座しています。 祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉冊尊(いざなみのみこと) 大口眞神(おおぐちのまがみ) 享保元年(1716)、秩父の三峰神社を勧請して、創建。 「往古、日本武尊(やまとたける)東征の折、秩父・三峰神社で戦勝祈願した」 という故事に倣い、 源頼義・義家は、前九年の役(永承6年(1051))において、 伊弉諾尊・伊弉冊尊を奉祀したそうです。 後年(約650年後)、 村人は、三峰神社へ赴いて勧請を願い出たものの、断られ、 ふたたび馬を献上して勧請を許されたのが、現在の三峰神社だそうです。 三峰神社から山頂への参道が続いていますが、 いったん麓へ下りて、 山裾をまわり込むと、 月山神社の鳥居と、その右手に石段があります。 右側の石段を登りきったところに鎮座する小さな祠(画像の一番左側)が、 月山が女人禁制だった時代、 ここまでは女性も立ち入ることができたと云われる、 荒沢神社 祭神 猿田彦命 嘉祥3年(850)、慈覚大師が社殿を建てたときから、 荒沢地蔵権現 と称するようになったと伝えられています。 この年は、月山神社の創建、中尊寺開山と同じ年です。 その後、長治2年(1105)藤原清衡によって再興されたそうです。 祠の前には、男根を模した石棒がならび、 祠は、地面から立てた120cm以上の御神体の上部を覆っています。 15分ほども登ったでしょうか。。。 石鳥居が建ち、 手前には狛犬(昭和11年)が鎮座して、 奥には、月山神社の拝殿が見えてきました。 月山の山頂、和我叡登挙神社の地に、 嘉祥3年(850)、慈覚大師によって 月山権現社 が勧請され、 大師自作の阿弥陀如来像を安置したのが始まりとされています。 長治2年(1105)、藤原清衡が再興し、中尊寺奥院として栄え、 その後、文明17年(1485)、田野勘四郎によって社殿が改築され、 元和3年(1617)火災に遭い社殿、宝庫が焼失し、古文書等を失ったと伝えられています。 ウィキペディアには、中尊寺の草創に関して、 「中尊寺の寺伝によると、嘉祥3年(850年)、円仁(慈覚大師)が、関山弘台寿院を開創したのがはじまりとされ、その後貞観元年(859年)清和天皇から「中尊寺」の額を賜ったという。しかし、円仁開山のことは、確かな史料や発掘調査の結果からは裏付けられず、実質的には12世紀初頭、奥州藤原氏の初代・藤原清衡が釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立したのが、中尊寺の創建と見られる。」 と記されており、 荒澤神社 の社殿築造と、 月山神社 の創建の時期は、 中尊寺 の縁起と、同じような経緯が伝えられていることになります。 拝殿の奥、さらに高いところに本殿が鎮座しています。 月山神社 御祭神 月読命(つきよみのみこと) 旧社格 下衣川村の村社 また、 中尊寺の奥院 として、 中尊寺の上西谷坊が長く別当職を勤めていたことが、 文化11年(1814)の文書に記されているそうです。 玉垣の中、月山神社本殿の正面に、 草むらに覆われたような岩石の上に、ちいさな石祠が置かれています。 この、 東西2.50m 南北2.80m 高さ0.80mの奇石を、 安倍一族の守護神・荒覇吐の神の依り代とし、 御神体として祀る、 延喜式内奥州一百坐の内胆沢郡七座の一。 和我叡登挙 (わかえとの)神社 古来、社殿を設けない習慣であったため、 同じ場所に月山神社の創建されたことによって、 式内社でありながら、次第に忘れられた存在となり、 明治期には、和我叡登挙の読み方さえも判然としなくなっていたそうです。 安倍頼時のころは、当山の北麓一帯に本遽を構えたとされ、 例祭には盛大な流鏑馬(やぶさめ)が行われ、 その馬場跡は、今も土地の名前に伝えられているそうです。 月山神社参道の, 時を経て丸みを帯びた石段は、長く 麓の鳥居に鎮座する狛犬は、苔むしていました。 とても長い記事をお読みいただき、ありがとうございます。 |
岩手の神社・寺
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