のびパンチ

あっという間に過ぎていく。。。

福島の神社・寺

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只見駅のはずれにある踏切の向こうには、
正面に「村社・瀧神社」の鳥居があります。


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綺麗に整えられた広い境内と、鬱蒼とした杉木立ち、
社殿はあまり大きくありませんが、とても端正です。


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狛犬は、鳥居に向かってまっすぐ座っています。
明治3年の日付が刻まれていました。
耳が垂れていて、犬のような感じです。


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顔は、やはり独特な雰囲気があります。
ただし、田子倉よりもこちらが先です。
もしかしたら、会津を中心としたところには、
このタイプがあるのかもしれないと思い始めました。


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拳鼻の彫刻、見事です。
近くには由緒書きが見当たらず、創建の時期などがわかりませんが、
田子倉の神社と似た雰囲気があるような感じがしました。


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木鼻ですが、
正面は、獅子鼻。
脇は、耳が立っているので、獏鼻だと思います。


この小出から只見を通り会津へ抜ける道は、昔からの街道です。
峠を挟んで、狛犬がこんなにも違うとは思いませんでした。
会津は、平安中期、仏教の強い勢力が興った地域なので、
そのことが影響しているのかしら。。。
興味深いですね。
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田子倉ダムの手前の国道脇に建っていたのは、
「若宮八幡神社」
八幡さまを祀る神社は、日本で一番多いそうですね。

ダム建設に伴い水没した集落に、
元々、祀られていた神社ではないかしら。。。

ダム湖の対岸にある、
「旧石伏若宮八幡神社の大クリ」が、
只見町の天然記念物に指定されているそうなので、
若宮八幡神社は、かつて、その付近にあったのではないかと。。。
でも、未確認です。


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お社はそれ程大きくありませんが、
コンクリートで出来ているうえ、
かなり凝った意匠が施されているようです。

狛犬ですが、
参道の両脇に、鳥居の方向を向いています。


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こんなに毛の少ない狛犬は初めて見ました。
前足の指も、かなり装飾的です。
しかも、顔の様子が、狛犬離れしているような。。。
明治35年に奉納されています。


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顔は、どちらかというと、浅い彫りなんですが、
かなり目ヂカラを感じます。
しかも、この目は、どこから見ても、こちらを見ているような感じです。


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拳鼻の彫刻は、
美しく、迫力があり、
まるで美術品のように細やかに仕上げられていました。

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木鼻は、
象は判るのですが、
正面を向いているのが、獅子なのかどうか判断できませんでした。

この地区は、峠ひとつ隔てて、新潟です。
もっと似通った狛犬を予想していたので、本当に驚きました。
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米沢の西にある玉庭(たまにわ)を通りかかったのは、
夕方近くになってからでした。

村社 松尾神社
松尾神社といえば、お酒の神様!
素通りするわけにはいきません(笑)

でも、狛犬がいない!
なんでだろう? と、ちょっと残念。。。


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拝殿は、それほど古いようには見えませんが、
すっきりとしています。
何百年もたった杉の杜に囲まれて、
歴史を感じさせる佇まいです。


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もう、お判りの方もいらっしゃるかと。。。(笑)
そう! 見つけてしまったのは、木鼻です!

虹梁の木鼻は、獅子で、右が吽 左が阿
頭貫の木鼻は、で、右が阿 左が吽


獅子の顔が、特に個性的ですよね!


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神殿は、大きさはそれ程ではありませんが、
至るところに意匠を凝らした彫刻が施され、
さらに見事な造りになっていました。


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そして、木鼻の彫刻ですが、

虹梁の木鼻は、獅子で、右が阿 左が吽
頭貫の木鼻は、で、右が吽 左が阿

今も、何がどっちだか 判らなくなりそうです。。。(笑)
この、阿・吽、 一対になっていれば、並べ方の決まりは無いのかしら???
謎は、またしても深まってしまいました。(笑)


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境内には、大きな杉の木が、並んでいました。


山形県東置賜郡川西町のHPと、
「玉庭」で検索した範囲では、
残念ながら、松尾神社の由緒などは調べられませんでした。

ここを訪れたのは、
小玉川の「熊まつり」の帰途、
八谷街道(R121)で喜多方へ抜けるつもりが、
どういう訳か、一本西側の県道を通っていたときのこと。
例によって、時間が無いのにと思いつつ。。。大発見でした!(笑)
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国指定史跡 慧日寺跡 は、
徳一大師によって建立され、平安期を通して興隆を極めた慧日寺の遺構です。
本寺地区戒壇地区観音寺地区の三地区に分かれています。
図らずも、前回は雪に埋もれた戒壇地区を徘徊していたことが判明しました。(笑)
今回、訪れたのは本寺地区です。

その遺構の多くは礎石です。
建造物は江戸時代以降のものが数棟あるのみです。
現在、中心部の伽藍周辺は木が伐採され、調査が進められています。
それ以外の広い範囲は、深い木立に覆い隠されるようにひっそりと佇み、
一歩入り込むと、
遺構とおぼしき石垣や礎石が、
まだ丈の低い春の野草に覆い隠されるように足元にころがっています。


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絹本着色慧日寺絵図(けんぽんちゃくしょくえにちじえず)」は、
南北朝から室町時代初期に製作されたと推測され、
仏堂・社殿が46棟、礎石26箇所、鳥居15基、石塔5基、橋4基などが描かれています。
中心部の伽藍は、南から、仁王門・中門・舞台・金堂・根本堂などが南北一線に描かれており、
規模・名称は相異がありますが、発掘調査により確認された遺構と類似しています。
慧日寺資料館に展示されています。


徳一大師は、奈良に於いて法相宗を学び、若くして東国に下り、
807年、磐梯山の西麓に慧日寺を創建して、会津の布教活動を展開しました。
842年、慧日寺の徳一大師の没後、弟子の今与(金耀)が後を継ぎ、
この頃、慧日寺寺僧三百、僧兵数千、寺領十八万石、子院三千八百と伝えられ、
興隆を極めたといわれています。
また、
1172年、越後の城太郎助永が越後東蒲原郡小川の荘75ヶ村を衆徒頭乗丹坊に寄付した
という記録があり、慧日寺の勢力は東蒲原にも及んでいたようです。
1181年、乗丹坊が、衆徒を引き連れ信濃横田ヶ原に出陣し、木曽義仲に敗れたことから、
慧日寺は経済的に疲弊していったそうです。
1589年、伊達・芦名氏の戦いに於いて、火が放たれ、慧日寺はそのほとんどを消失
江戸時代、会津藩の命によって再建されたものの、その後も何度かの火災に見舞われ、
明治維新の廃仏毀釈により、いったん廃寺となり、
その後大正2年、磐梯山恵日寺が同じ地に復興されています。


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仁王門は、江戸後期に慧日寺の仁王門として建立され、
その後、三度移築されており、建立時の位置は不明。
仁王像は、江戸中期の作とされ、ものすごくゴツイ感じがしました。


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仁王門の奥に薬師堂があります。
慧日寺の本尊であった薬師如来は、会津五薬師のひとつ「東方薬師」でもあった。
薬師堂は、明治維新の廃寺後、磐梯神社の仮殿として使われたが、
明治5年火災により消失。
現在の薬師堂は明治32年に住民の寄付によって再興されたものです。

慧日寺創建の頃から、会津に於いて修験道が広まり、
この不動院龍宝寺不動堂は、約180年前の再建と伝えられ、
現在は磐梯山修験の祈祷所となっているそうです。


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徳一大師の墓と伝えられる平安時代の石塔です。
五重の石塔で、二重目の塔身に納められた土師器の甕(かめ)が発見されました。
また修復作業の折、石塔の下から、130個余りの江戸時代の経石が発見され、
経石は、資料館に展示されています。
現在は、徳一廟に収められて、格子の隙間から覗き見ることができます。

今与供養塔
徳一没後、慧日寺を継いだ今与(金耀)の時代に、
慧日寺は隆盛を極めたといわれています。

乗丹坊供養塔
この美しい宝篋印塔(ほうきょういんとう)は中世後期に建てられたもので、
の乗丹坊の墓と伝えれています。


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木ざし桜(種蒔き桜)と呼ばれる、エドヒガンザクラの古木は、
乗丹坊が刺した桜と伝えられています。
この桜が咲くと、種を撒く時期ということから、種蒔き桜とも呼ばれているそうです。
幹は、傷んだ部分にコンクリートの覆いがありましたが、
花は、色も濃く、枝の張りも申し分なく、勢いがあり、見事な古木でした。
到着時にはまだ一分咲き程度でしたが、
春の日に照らされて、一気に咲き始めていました。

慧日寺の敷地に入って、進むと、
杉木立に囲まれて、そこだけが光り輝いているようでした。
この木に出会えただけでも、満足できるというような、素晴らしい桜でした。
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真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは) 「磐梯山恵日寺(えにちじ)」は、
明治2年、廃仏毀釈によって一時廃寺されたものの、
大正2年復興され現在に至っています。

この一帯は、会津仏教文化発祥の地、開祖・徳一による慧日寺(えにちじ)のあった地域、
現在も広大な地域に史跡・慧日寺の史跡が残っています。

この山門は、平将門の寄進によると伝えられ、
修復の手が加えられていないのか、
時の流れを感じさせます。


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本堂は、
元禄15年(1703年)に建立されたそうですが、
修復を終えて、屋根は綺麗に金属で覆われて、真新しく見えました。

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会津仏教文化発祥の地として知られる史跡・慧日寺(えにちじ)は、
平安時代初期、法相宗の高僧・徳一が開祖。
徳一は、天台宗を開いた最澄
三一権実諍論(さんいちごんじつそうろん)」と呼ばれる書簡による論争を数年間に渡って展開し、
この論争によって、天台宗の教義が整理・体系化されたと評価されているようです。
また、徳一は真言宗を開いた空海(弘法大師)に対しても批判を加えたが、
空海は、直接的な対決を避けたとされています。

平安中期から後期の全盛期には、寺僧三百、僧兵数千を擁し、子院三千八百坊にのぼり、
支配権は、会津はもとより、越後国小川荘(新潟県東蒲原)まで及んでいた。。。

磐梯山慧日寺資料館を訪れたこの日(4月1日)は、まだ冬季休館中でした。
また、史跡・慧日寺(えにちじ)一帯は、
現在、遺跡を調査・整備中ながら、興味津々だったのですが、
前日の雪が残り、歩き回れる状況ではなかった。。。
しかも、スキーと水汲みの後とあって、体力の限界が迫っていていました(笑)
雪が消えた頃、また来ることにしたのですが。。。


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それでも諦めきれないので、
近くには道が見当たらない 戒壇跡の石碑まで、
折角だからと、
雪の中を歩いて、やっとたどり着いて、記念撮影をしました。

次回は、熊に注意しながら、歩くことになるのかしら。。。

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