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大きな赤い鳥居が、 青空にとてもよく映えていて。。。思わず車を停めました。 千葉県富津市の、 海に近い一角に鎮座する青木八坂神社。 案内板はなかったので詳しいことは不明ですが、 1990年に建造された社殿は、 区画整理に伴いこの場所に移されたようです。 本殿は、一間社流造 八坂神社なので、たぶん 祭神は 素戔鳴尊 境内社は、 拝殿の左側には、 厄神社(左上画像)、 あんば様、大杉神社、小富士嶽神社の塚(右上画像の左から)、 浅間大神の大きな富士塚(左下画像)、 拝殿の右側には、 稲荷社(右下画像) 大杉神社は、霞ヶ浦(茨城県)の畔に鎮座する海河の神さまで、 あんば様は、大杉神社の別名。 区画整理で、ここに集められたのでしょうか。。。 正面の鳥居の脇には、一対の狛犬が鎮座しています。 台座には、 「天保7(1836)年6月吉日建立」 「人見石工常治良狐雲」 と銘記され、 この近くの人見の石工による江戸時代の作のようですが。。。 豆絞りの鉢巻、 あご髭まで真っ赤に塗られた口元に、赤い巻き毛が、 とても目立っていました。 |
千葉の神社・寺
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千葉県富津市の海に近い平坦な地域ですが、 この集落の中に迷い込むと、 昔ながらの、曲がりくねった狭い道が続いていました。 新井地区の新井八坂神社は、 北側に鳥居が建っていました。 境内に入ると、 鳥居のある、 立派な富士塚が東向きに築かれていました。 さらに南側には、 両部鳥居が建ち、短い参道が続いています。 参道の両側には、手水舎、石灯篭、狛犬が並び、 こぢんまりとした拝殿が鎮座しています。 この時点まで、 神社の名前はわからなかったのですが。。。 八坂神社 ということは、たぶん 祭神は、素戔鳴尊 拝殿の中は、すっきりと整理されていて、 改修されていますが、元々の梁は太く、古い建物のようです。 参道には、 二対の狛犬が鎮座していますが、 拝殿に近い方の昭和34年の狛犬は高い台座に載っています。 社殿の後ろに回ると、 たくさんの石祠が、無造作に並んでいました。 神殿は建物の中に収まり、外からは見ることができません。 もう一対の小さな狛犬は、 残念ながら顔の半分を損傷していますが、 阿像は宝珠を頂き、 全体に丸くてどことなくおっとりとした感じ。 文化4(1807)年の建立のようです。 手水鉢には、安永4(1775)年、 石灯篭には、文化15(1818)年、文政7(1824)年。。。 たまたま迷い込んだ集落で、 昔ながらの村の鎮守さまに出会えたような気がしました。 |
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千葉県富津市富津の八坂神社は、 東京湾に突き出した富津岬の付け根のあたり、 富津港の近くに鎮座しています。 江戸末期、弘化4(1847)年から嘉永6(1853)年までの7年間、 会津藩が、 沿岸防備のために富津市に配置されていたときには、 この場所に、陣屋を構えていたそうです。 案内板によると、 往古、牛頭天王宮と称せられたそうで、 旧社格は、郷社。 昭和64年に、屋根や拝殿など大規模な改築工事が行われたそうです。 境内は、とても整然としていました。 祭神は、素戔鳴尊 本殿は安永8(1779)年に建立の流破風造。 覆い堂に囲まれて外からは見えないのですが、 拝殿からは、本殿の正面を見通すことができました。 神紋は、祇園守紋。 京都の八坂神社の護符を象ったもので、 古くは筒が交差していたものが、巻物にかわっていったそうです。 鳥居の脇には、 一対の、貝や石がたくさんついた船の碇が奉納されていました。 海底から発掘されたのでしょうか、珍しいですよね。 狛犬は、 火山岩を組み合わせた岩山のような台座に狛犬を配する、獅子山タイプでした。 年代は不明ですが、 台座には「東京青山 石勝刻」と記されていました。 図らずも、狛犬界では有名な石工・中村勝五郎の作品と出会えました! 阿吽像ともに、 下から這い登ろうとする子獅子を、 親獅子は、上から威嚇するような表情です。 最後の画像は、 阿像の子獅子の後姿。。。 |
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千葉県富津市岩坂の八雲神社には、 一対の狛犬が鎮座していました。 丘の上にある神社の長い参道を登りつめると、 この狛犬が出迎えてくれます。 参道を向いて、阿吽像が向いあっています。 高い台座には、 「寛政2年」 と銘記され、1790年、江戸中期の作のようです。 阿像は宝珠、吽像は角を戴いています。 阿像の顎髭はまっすぐ気味、 吽像の鼻の下には、渦巻きのような髭が面白いですよね。 たてがみは、ストレートから毛先がカールしています。 あまり威嚇的ではないけど、 力強い。 最後の画像は、 吽像の角。。。ちょっと鳥のトサカみたい! |
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千葉県富津市上総湊(かずさみなと)から、 湊川(みなとがわ)に沿ってつづく水田地帯の北側にある小高い丘は岩坂山と呼ばれ、 八雲神社が鎮座しています。 参道は、集落のある山裾の鳥居から始まります。 この場所がなかなか分からなくて、 集落を迷走したあげく、地元の方の教えていただきました。 斜面に沿って、比較的ゆるやかな長い石段が続きます。 5分以上は歩いたかしら。。。。。 神社の北側は、天羽中学校のグランドに隣接していて、 こちらからは車でも登ることができます。 どちらからも、けっこうな坂道なので、ここに通う中学生たちは、脚力がつくだろうな! 社殿に正面に向かう石段の手前は、 手水鉢が据えられ、踊り場のようなスペースになっていました。 往時には、境内社が17社もあったそうなので、この辺りにも建っていたのかしら。。。 石段の上には、両脇に、石灯篭と狛犬が鎮座しています。 境内には、左手の木立の中に東照宮が祀られています。 慶長6(1601)年、内藤政長によって勧請されたそうですが、お社は新しいもののようです。 拝殿に向かって右側は、無人の社務所のようです。 手水鉢の縁には、いくつもの盃状穴があり、杓子がちょうど納まっているものも。。。 拝殿の前には、長丸の石が置かれ、「四十五?目」と刻まれています。 「四十五貫目」で、力石なのかしら。。。 右側は、参道の敷石の奉献が記されています。 「昭和十八年十一月 磐鹿六獦命五十三世孫 社司 椙山神主藤原林麿」 「磐鹿六獦命」は「いわかむつかりのみこと」。 八雲神社は、代々、磐鹿六獦命の子孫が社司を務めていらっしゃるようです。 磐鹿六獦命は、大彦命の裔孫にあたるといわれ、 料理の神様また味噌や醤油の醸造の神様として、 千葉県安房郡千倉の高家神社の祭神として祀られています。 秋に行われる、高家神社の包丁式は有名ですよね。 岩坂の八雲神社は、 景行天皇の勅命による日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の折、 この地で素盞鳴命(すさのうのみこと)を祀り、戦勝祈願したおかげで、 阿久里王を討つことができたと伝えられ、 その後、景行天皇が東国巡幸で訪れた際に、 素盞鳴命を祭神として社殿を造営し、八雲大神と名付け、 天羽郡総鎮守として、磐鹿六獦命を社司に任じた。 という、 日本武尊・景行天皇による草創伝承を持つ、由緒ある神社です。 祭神は、 素盞鳴命(すさおうのみこと) 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと) 大巳貴命(おおなもちのみこと) 社殿は、 焼失後、永禄11(1568)年に再興され、 現在の社殿は安永4(1775)年の建造だそうですが、 屋根のふきかえなど、比較的最近、改修されたように見えました。 拝殿の右側には、 ひときわ高い木立があり、正面には、しめ縄が張られていました。 案内板はなかったのですが、 日本武尊にちなんだ場所なのかしら。。。 北側の鳥居の脇には、 小さな塚のようになっていて、石祠3基が祀られていました。 磐鹿六獦命には、 神の御遣として覚駕鳥(ミサゴ)にも化身されるとも云われています。 この神社を訪れる直前に海辺で見かけた猛禽類が、 図鑑で調べて、ミサゴだと分ったとき、一瞬、シビレました。 とても由緒があり、 地元の方の信仰あつめている神社ですが、 深い木立に囲まれて、ひっそりとしていました。 |


