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長野県安曇野市穂高
毎年9月27日に行われる
穂高神社の例大祭は
船形の山車をぶつけ合う
勇壮な御船祭り。
拝殿内での神事の後、
拝殿前の神楽殿の周りを
穂高神社にゆかりの神社の氏子総代が
幟を掲げてねりあるき、御船祭りが始まります。
御船は
子供船3艘と大人船2艘。
先ず、
子供船の登場。
子供たちが綱をひいて
神楽殿の周りを曳きまわします。
それぞれの御船には、
穂高人形が飾り付けられています。
大勢の男性の氏子衆にひかれて
ひときわ大きな 大人船 が登場。
御船は
楢の新木を使って毎年組み立てられるそうです。
船底では、
途切れなくお囃子が奏でられています。
もう1艘の大人船。
木の組み方が違っています。
大人船が
激しくぶつかり合い
その衝撃で
船がゆがむ鈍い音と
真正面の船底から途切れないお囃子の
ひときわ通る笛の音と
観客が息を呑むウォという音で
境内は熱を帯びます。
何度も何度もぶつかり合い
とうとう
1艘の御船の縄が切れて。。。
最後の1艘は、
観客の有志が綱をひいて
鳥居の外へ、運び出します。
めったにない機会なので、私も参加しました!
高さは6m位らしいのですが、
鳥居より高くて、
舳先の木を鋸で切り落とし、ようやく通り抜けました。
露店や社務所の庇にぶつからないように。。。
綱をひいてみると、
すごく重くて、
すごく難しい。。。だけど、楽しい!
ようやくたどり着いて、
誰からともなく拍手が湧き起りました!
海から離れた信濃の地に、
こうして、
御船祭りや
ご神体としての木船が伝えられているのは、
古代に、
海人族である安曇族が
遠く北九州からこの地にやって来たと考えられています。
御船祭りの記事UPが、
すっかり遅くなってしまいました。
何年か前に、
穂高神社の記事を載せたつもりでいたのですが、
見つからないので、勘違いかも。。。
今回は、
社殿や境内の様子は撮らなかったので、
ご由緒などは、また、別の機会に。
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長野の神社・寺
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長野県安曇野市
中央高速を安曇野(あずみの)インターでおりて、
国道147号線を北上していくと、
北アルプスの手前にたちはだかる、
台形の山は、
「 有明山 」
穂高山系の前山で、
信濃富士、安曇富士とも呼ばれています。
標高は2268mで、それほど高くはありませんが、
独特の山容から、
古来、霊山として崇敬をうけ、安曇野のシンボル的な存在です。
長野県安曇野市穂高有明宮城7271
有明山から東へ流れる中房川の右岸(北側)、
山裾の宮城(みやしろ)集落の高台に、
有明山神社は鎮座しています。
大きな石鳥居から、
参道は、まっすぐに、有明山に向かっています。
昔々、
天照大神が天岩戸にこもったとき、
手力雄命が岩戸を引き放ち、あたりに光がさしたことから、
有明山と名付けられ、
祭神・手力雄命を戸放(とはなち)権現、
山名を戸放嶽と称したという、
記紀神話の天岩戸伝説が縁起となっています。
古来、山岳信仰の対象であり、
この一帯には、
古墳群があり、
坂上田村麻呂や八面大王にまつわる伝承も今に伝えられています。
古代は後裔の安曇氏、中世においては仁科氏の崇敬をうけ、
江戸時代には衰退していたため、
明治期の神仏分離ののち、
社地を遷して、社殿を整備したそうです。
有明山神社(旧社地)の棟札は、
応永4(1397)年から文久3(1863)年まで4枚が残っていて、
最初の3枚には神社の名前は「三社(みやしろ)大権現」と書かれ、
残る1枚には「有明山神命」と記されているそうです。
手水舎は、
明治35年に建てられています。
凝った屋根の造り、
各所に見事な彫刻がほどこされ、
天井には龍の彫刻が見られます。
髄神門は、
日光東照宮の陽明門を模して、明治35年に建てられたもので、
十二支、二十四孝の彫刻、格天井絵など、
精緻な意匠が施され、別名「信濃裕明門」と呼ばれています。
手水舎と、髄神門は、
ともに安曇野市指定文化財に登録されています。
髄神門をくぐると、
参道の両側には、
一対の狛犬が、見おろすように鎮座しています。
明治23年9月15日建立で、松本町石工・伊藤幸太郎の作。
拝殿から左側へ廊下が続いて、
明治35年に建てられた神楽殿。
京都清水寺と相似の様式をもち、
天井には、
81枚の小組天井絵と、
中央に橋本雅邦の手になる「烏」図が描かれ、
安曇野市指定文化財。
ですが、残念ながら、扉は閉じられていました。。。
祭神
有明山頂の中岳本社 手力雄命、八意思兼命、大己貴命
南岳本社 天照大神、天鈿女命、事代主命
北岳本社 造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)
祭神は、有明山頂(中岳、南岳、北岳)に祀られ、
里宮であるこの神社では、
拝殿の奥に神殿はなく、
ガラス窓の先にある有明山頂を遥拝する様式になっています。
なお、祭神について、
北岳本社の造化三神が載っていない資料が多いのですが、
神社でいただいた「有明山神社 略記」に拠っています。
旧社地は、
現在の有明山神社から、
ほぼ東へ1kmほどの旧道に面したところです。
道には大きな鳥居が建ち、
明治初年に有明山を開いた天明行者を祀る
天明霊神宮が、
やはり、有明山を背中にして建っています。
旧社殿の礎石などは確認できませんでした。
明治期の神仏分離によって、
社地を遷して、ほぼ再興された社殿は、
とても見事で、
地元の方たちの並大抵ではない熱意を感じました。
参照 有明山神社発行「有明山神社 略記」
坂本博著「信濃安曇族の謎を追う」 |
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