坂戸一義、コカコラなる飲料についてかく語りき

将来構想としては、20世紀のものだけを分離して新ブログ立ち上げ

コカ・コーラ工場の歴史(廃止)

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 次のページ ]

このシリーズもついに最終回。でも歴史に終わりはございません。これからも続いていくものなのですから。

イメージ 1

イメージ 2

南九州コカ・コーラボトリング宮崎工場は1972年6月に南九州4番目の工場として宮崎市近隣の清武町で操業を開始した。同時期の山陽と同じく、リターナブル容器中心の時代だった当時は販売エリア各県に工場を建設したほうが良かったのである。設置されたラインは南九州一のレギュラーサイズ800BPM・ホームサイズ600BPMの能力を誇った。90年代初頭の工場と思われる上の写真に写っている赤いものは空壜とシェル。当時の宮崎工場ではレギュラーサイズの他に、閉鎖された鹿児島工場が主に担当していたリットルサイズも生産していたのでストックされた壜が多かったのだ。

イメージ 3

1975年5月には缶製品ラインもスタート。ライン設置のため工場の増築まで行った。1981年にはHI-Cサンフィル及びファイブアライブ生産のために果汁処理設備と充填機のホット充填にも対応した。宮崎工場では結局350ml缶の製造には対応しなく、250ml缶製品のほとんどが販売中止となった1992年以降は休眠状態であったろうと推測される。

イメージ 4

イメージ 5

一方の壜製品ラインは1980年にリットルサイズ及び果汁ホット充填に対応。HI-Cサンフィルのレギュラーサイズは宮崎工場が全国での製造第1号となり、その動向は他ボトラーからも注目された。ちなみに近畿以西の西日本でHI-Cサンフィルのレギュラーサイズを導入したのは南九州と沖縄のみであった。

イメージ 6

イメージ 7

発売以来なぜか九州では爆発的な勢いで伸び続けていたジョージアコーヒーであったが、前年の北九州鳥栖工場に続いて宮崎工場でも1982年9月から製造を開始。当初の生産能力は700CPMで同時期の東京多摩工場や北陸武生工場と同性能であった。しかし、南九州でのジョージア拡大の勢いは止まらなく1985年にはラインを改造し日本最速の缶コーヒー専用ラインなる。製造能力は1200CPMで、これは当時はもちろん現在でも高速の部類に入る。

壜・缶製品を製造していた宮崎工場だが90年代半ばになると工場再編が行われ、96年いっぱいで壜ライン、97年いっぱいで炭酸・果汁缶ラインを停止し大分工場に集約された。この時点でいったん宮崎工場は缶コーヒー専用工場となる。2000年になると熊本工場のレトルトラインの設備が移設され茶製品の生産も開始。しかし、えびの工場建設が決定されたことで宮崎工場の歴史的役割も2005年に終了する。現在工場があった場所は更地になっているそうだ。



◎南九州コカ・コーラボトリング宮崎工場の変遷 (製造所固有記号:M→MM→MMI)

製造所固有記号が「M」から「MM」になった理由がよくわからない。

壜ライン

 72年開設 レギュラーサイズ(800BPM)・ホームサイズ(600BPM)
 80年   リットルサイズ・果汁ホット充填対応
 96年   閉鎖

 鹿児島や大分と違いリターナブル製品専用。96年まで生産。


炭酸・果汁缶ライン

 75年開設 250ml炭酸缶(1000CPM)
 81年   果汁ホット充填対応
 83年   2ピース缶切替
 97年   閉鎖

 閉鎖されたのは97年だが、250ml缶製品の大半は92年以前に販売をやめているのでその時期に停止した
 と推測される。


コーヒー缶ライン

 82年開設 ジョージア250g缶(700CPM)
 83年   ジョージア190g缶対応(700CPM)
 85年   生産能力を1200CPMに増強
 05年   閉鎖

 85年時点で1200CPMは単独ラインとしては最高速。

茶缶ライン

 00年開設 茶340g缶
 05年   閉鎖

 熊本工場時代はジョージアも生産していたが、宮崎工場移設後は不明。


写真引用:南九州コカ・コーラボトリング30年のあゆみ より
イメージ 1

イメージ 2

南九州コカ・コーラボトリング大分工場は1969年6月に南九州3番目の工場として操業を開始。設備は熊本工場2号ラインより少し多いレギュラーサイズ650BPM・ホームサイズ350BPMの能力を誇った。場所は国道10号線沿いにあり、熊本工場と同じく交通の便はとても恵まれた環境であった。

イメージ 3

開設からしばらくの間は他の工場との差異がない平凡な工場であったが、1977年にファンタグレープ製造のためのインボトルパストライザー設備を設置しファンタグレープ壜製品の生産拠点となる。また1979年には、伸びる缶製品需要に対応するため、宮崎工場と同性能の炭酸缶製品ラインも導入。この時点で大分工場の基礎が完成した。

イメージ 4

イメージ 5

1982年になるとワンウェイ壜製品が登場し、リアルゴールド及びスーパー300製品の生産のためアルミキャッパー等を増設しラインを改造。南九州では今でもリアルゴールドは壜入りだが、2006年頃までは大分工場で自社生産されていた。ビバリッジ・ジャパンの記述によると1990年代初頭はワンウェイ壜製品の生産に集中していたようである。HI-C100、ミディ500、リフレッシュボトル等も大分工場で生産された。

イメージ 6

一方、缶製品ラインでは1988年2月から350ml缶製品の製造に対応。宮崎工場は缶コーヒーの生産拠点として日々フル稼働状況下にあり、350mlサイズの生産は大分工場で集中的に行われることとなった。また、90年頃までには500ml製品の生産にも対応。

イメージ 7

イメージ 8

1996年に宮崎工場の壜製品ラインが廃止されたことに伴い、レギュラーサイズの生産も大分工場に集約された。その後は2005年まで缶製品、2006年まで壜製品を製造していたが生産拠点の合理化の流れを受け前者は新設のえびの工場に移管、後者はコカ・コーラウエスト基山工場での生産に移管された。大分工場は稼動開始から35年でその幕を閉じた。


◎南九州コカ・コーラボトリング大分工場の変遷 (製造所固有記号:O→MOH)

宮崎工場で対応していない350ml炭酸・果汁缶製品とワンウェイボトル製品を生産していた。三笠の和歌山工場や富士の静岡工場とほぼ同じ構成。南九州の工場では唯一リットルサイズに対応していなかった。

1号ライン

 69年開設 レギュラーサイズ(650BPM)・ホームサイズ(500BPM)
 77年   パストライザー設置
 82年   リアルゴールド(500BPM)対応
 83年   スーパー300対応
 89年   HI-C100広口壜対応
 90年   ミディ500対応
 91年   リフレッシュボトル対応
 06年   閉鎖

2号ライン

 79年開設 250ml炭酸缶(1000CPM)
 83年   2ピース缶切替
 88年   350ml対応
 89年   350mlサイズの能力増強(1000CPM)
 90年頃  500ml対応
 05年   えびの工場開業に伴い閉鎖

写真引用:南九州コカ・コーラボトリング30年のあゆみ より
イメージ 1

↑PETボトル成形工場として再スタートした頃の鹿児島工場

イメージ 2

↑竣工直後の鹿児島工場

南九州コカ・コーラボトリング鹿児島工場は1967年4月に操業を開始。当初の設備は熊本工場で使用されていたレギュラーサイズ260BPMの機械を移設したものであった。当然これだけでは生産能力が貧弱なので、翌1968年にレギュラーサイズ620BPM・ホームサイズ300BPMの2号ラインを増設。高まる需要に応えた。

イメージ 3

1976年には全国で4番目となるリットルサイズ専用ラインを1号ラインに開設。能力は130BPMで、先立って製造を開始した中京の名古屋本社工場や北陸の石川工場の同種の設備とほぼ同性能であった。南九州ではその後熊本工場及び宮崎工場でもリットルサイズ生産が始まった。80年代半ば以降にリットルサイズの需要が下がると、その製品の大半は鹿児島工場で生産された。

2号ラインについては社史で言及されていないが、「ぶどう果皮色素(アントシアニン)」使用のファンタグレープの王冠を確認しているのでどこかのタイミングでインボトルパストライサーが設置されているはずである。また1983年にはワンウェイ壜製品にも対応し、大分工場に加えてスーパー300やリアルゴールドの生産拠点にもなった。

イメージ 4

イメージ 5

70年代から80年代半ばまで壜製品を製造していた南九州の各工場も80年代後半になるとそれぞれで色分けができてきてきた。熊本はPET製品とジョージア及び茶缶製品、大分は炭酸・果汁缶製品とワンウェイ壜、宮崎はジョージアとリターナブル壜といった具合に。時代が壜から缶へと移る中、ガラス壜製品しか製造できなかった鹿児島工場は当然操業率が低下していった。それに対する南九州社が出した答えは、鹿児島工場のPETボトル成形工場としてのリニューアルであった。飲料工場としての操業は1991年2月に終了し、ほぼ半年後の7月に鹿児島成形工場として再スタートした。

イメージ 6

イメージ 7

自製によるPETボトル供給は北海道、中京、北九州などでは行われていたが、いずれも充填工場の敷地内にあるバイプラント構造であった。なぜ南九州が充填工場(熊本)とボトル工場(鹿児島)を分けたのかわからないが、鹿児島工場が容器成形から充填までの一貫工程を採用してたらもっとコストが削減できたと考えるのが妥当であろう。


◎南九州コカ・コーラボトリング鹿児島工場の変遷 (製造所固有記号:K)

リットルサイズは熊本や宮崎でも製造されていたが、オークションなどで見るのは鹿児島製が多い。

1号ライン

 67年開設 レギュラーサイズ(260BPM)
 76年   リットルサイズ(130BPM)
 91年   飲料工場としての操業停止

2号ライン

 68年開設 レギュラーサイズ(620BPM)・ホームサイズ(300BPM)
 7X年   パストライザー設置?
 83年   ワンウェイボトル対応(スーパー300及びリアルゴールド)
 91年   飲料工場としての操業停止

鹿児島成形工場

 91年   PETボトル成形工場として再スタート 


写真引用:南九州コカ・コーラボトリング30年のあゆみ より
イメージ 1

イメージ 2

北九州コカ・コーラボトリング門司工場は1973年5月に北九州3番目の生産拠点としてスタート。全面自動空壜検査機、活性汚泥法を用いた廃水処理装置、レギュラーサイズ専用1200BPMの高速ライン導入と当時の最新鋭の設備を備えた工場であった。工場第1号製品はファンタオレンジ。

イメージ 3

しかし、竣工直後の1973年が全社的にリターナブル壜製品のピークでありその後は下降の一途を辿る。門司工場竣工後の翌年には東洋製罐からの直接供給を可能にしたバイプラント設計の基山工場が竣工し時代は缶が主流になるのは明白であった。門司工場が抱える問題は他にもあり、地盤沈下による建物構造の脆さもあった。問題を抱え、試算だけで年間3〜4億円の赤字を出す門司工場は3年弱の操業の後長い停止期間に入り、84年に正式に廃止となった。


◎北九州コカ・コーラボトリング門司工場の変遷 (製造所固有記号:?だが順当に行けばM)

レギュラーサイズ専用の工場であった。

壜ライン

 73年開設 レギュラーサイズ(1200BPM)
 77年   操業停止
 84年   工場閉鎖 

写真引用:いま輝く・北九州コカ・コ−ラボトリング30年のあゆみ より
イメージ 1

イメージ 2

北九州コカ・コーラボトリング福岡工場は現在のコカ・コーラウエスト本社のある福岡市東区箱崎で、当時の社名である日米コカ・コーラボトリング本社工場として1963年5月に操業を開始した。「日米」という名前の由来は不明。ちなみに北九州コカ・コーラボトリングになったのは1973年。設置された壜ラインはレギュラーサイズ300BPM、駐留軍向けファミリーサイズ40BPMの能力を誇った。原水は九州大学構内にあった豊臣秀吉が茶会を催したという逸話がある松原水という井戸水を、地下に敷設したパイプで福岡工場まで引いてきて使用。

イメージ 3

イメージ 4

1964年12月にはホームサイズの製造も開始。ただし、本格的な量産に対応した設備ではないためファミリーサイズ同様製造能力は40BPM程度であった。この後、65年7月に本格的な改造を施し製造能力は140BPMになり本格的な生産を開始。

イメージ 5

65年には自動空壜検査機のついたレギュラーサイズ専用の2号ライン竣工。能力は500BPM。これでも需要が追いつかなくなったため、1967年には佐賀県鳥栖市に鳥栖工場を建設。

イメージ 6

70年代半ばになると缶製品がハイペースで伸び続け、北九州も基山工場を建設し自社生産を開始。一方で壜製品の需要は落ちていき、製造の拠点は鳥栖・基山に移行して行く。78年になると1号ラインを閉鎖し2号ラインに統合。ホームサイズの生産能力は400BPMとなる。また、アントシアニン使用のニューファンタグレープ製造に必要なパストライザー設備は福岡工場に設置されここから製品が供給された。

イメージ 7

81年11月からは北九州が提案して開発されたアンバササワーホワイトのレギュラーサイズ生産を開始。壜入りのアンバサは発売したボトラーが少ない。アンバサは福岡工場閉鎖後も鳥栖工場、基山工場での生産に移行し最終的に90年まで販売された。他ボトラーでは93年まで北陸コカ・コーラが販売。

イメージ 8

イメージ 9

ラインを集約しても壜製品の需要低下に伴う工場の操業率低下は避けられなくなり、1985年の年頭に福岡工場2号ラインを鳥栖工場3号ライン(ワンウェイ壜)に移設統合し福岡工場は廃止された。この設備は鳥栖工場で3年稼働した後、基山工場に再度移設され当該工場の総合プラント転換へのきっかけとなった。製造棟はオフィスに改装されつい最近まで存在した。

イメージ 10

これが現在のコカ・コーラウエスト本社である。こうしてみると奥行きがある土地だ。かつて工場があった面影はないが、周りには工場の姿が散見される。


◎北九州コカ・コーラボトリング福岡工場の変遷 (製造所固有記号:なし)

鳥栖・基山工場が缶製品工場へ傾斜していったため、壜製品製造の拠点となっていった。

1号ライン

 63年開設 レギュラーサイズ(300BPM)・ファミリーサイズ(40BPM)
 64年   ホームサイズ仮対応(40BPM)
 68年   ホームサイズ本対応(140BPM)
 77年   撤去   
  
2号ライン

 65年開設 レギュラーサイズ専用(500PM)
 78年   ホームサイズ対応(400BPM)、パストライザー設置
 81年   乳性飲料(アンバサ)対応
 85年   閉鎖

写真引用:いま輝く・北九州コカ・コ−ラボトリング30年のあゆみ より

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 次のページ ]


.
Colaの一義
Colaの一義
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(18)
  • キックス
  • JIMMY
  • 自販機
  • ♂茉莉花
  • タイアード
  • 中国の青空
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事