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手塚先生の原稿がピンチなんだよ・・・。
鳴島先生が困った顔で言った。
はぁ・・毎度のことじゃないんですかぁ?と、呑気なぼく。
いやぁ、今回ばかりはホントに危ないらしい。マネージャーの松谷さん(現 手塚プロ社長)
がキミたちを助っ人にほしい・・・というんだが、勉強のつもりでいくかい?
「手塚先生のお手伝いならば喜んで!!」と、ぼくともう一人のアシY君は、当時練馬の
富士見台にあった手塚プロに向かった。
明朝までに4本の原稿締めがあり、印刷所が輪転機を止めて待っているという。
手塚プロの専属アシも数人いるが、それでもピンチだ。
その専属アシが、夕方になると全員がぞろぞろと帰っていった。
手塚プロは昼の部と夜の部のアシが、入れ替え制になっているらしい。
しかし手塚先生は一人で描きっぱなしだ。
ぼく達は24時間手塚先生と過ごし、手塚先生の伝説を目の当たりにするが、そのエピソードは
別の機会に書こう。
PH左頁はぼくが描いた背景で「ばるぼら」の最終回だ。
この背景を、ぼくは手塚先生にまかせられた。
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