坂丘のぼる・空手バカ道楽

思いつくままナンデンカンデン日記です。

回転禁止の漫画道

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買った!

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 手塚先生の「新宝島」完全復刻版を、ついに買ったど〜。
オリジナルならン百万だから、定価1905円はちょ〜安い! 
マニアにとっては「夢の本」だったのだから、嬉しい時代になったものだ。

 この勢いで絶版本の完全復刻版をどんどん刊行してほしい。
そうなればオリジナル版の値が下がるんだよな。
 
  まぁ、喜ばしいことだ。

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 先月は日数が少なかったので、今月にしわ寄せがきた〜。
 とにかく必死で描いた。娘がインフルエンザA型から続けざまにB型に感染し、41.3度
の高熱だ。 仕事の合間に看てくれと妻は云うが、そんな余裕はない。
 
 明日は身内の葬式に出席するために、宮崎に帰省せねばならない。 
原稿が上がらなければ帰れないところだった。 何とかUPした。
 
 これから帰省支度だ。 
それにしても漫画家って仕事は、片手間でやってると思われているのかなぁ。
締切前の厳しさは並みじゃあねえぜ。 子供の面倒なんかみれねぇって!
 
 まぁ、何はともあれ娘の高熱も峠を越したし、えがったえがった。
 
 あとは飛行機が落ちないことを祈ろう。
 

南米への貧乏旅

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  少年の頃に胸をときめかせて読んだ本がある。

 「コン・ティキ号漂流記」と「アクアク・イースター島探検記」だ。
 いずれも考古学者(というよりは冒険家だろうなぁ)のT・ヘイエルダールの書いた本だ。

  この二冊は、多感な時期のぼくに強烈なインパクトを与えてくれた。
 いつかイースター島へ行きたいと思うようになったのは、このころだった。  
 
  二十代の後半に仕事で行き詰まり、もがいていた。
 漠然とだが、長期の旅に出たいなぁ・・・と考え始めていた。
 
 その時によみがえった記憶がイースター島だったのだ。
 
 昔からぼくは決断が早い。 そのかわり早とちりも多い。
 これが欠点だが、旅に出ることに決めた。
 
  どうせ行くならペルーのマチュピチュ、ナスカの地上絵、サクサイワマンの砦も見たい。
 資料を集めて自分で計画を練り、予定表を作った。 日程は三週間だ。
 旅費は思いっきり切り詰めた。

  旅行会社へ持参し見てもらうと、係りの人にハナから笑われた。
 その場で予算も予定表もすべて組み直した。
 
 しかし、ツアーはないとのことだった。 そんなら先に云え!
  そのかわり人数が六名集まればツアーを組みましょうと云う。 旅費は140万円也!た、高え!
 
  早速漫画家仲間に当たる。 まずギャグ漫画家のHに連絡した。こいつは変わり者で偏屈だから
 組みしやすい。 すぐに乗ってきた。まずはメンバーのひとりを確保したが、あとが決まらない。

  みんなの意見を要約すると、あんなとこ行きたくない(そうだろうなぁ)。怖い(わかるような気が する)。興味がない(・・・・・)。ヒコーキに乗りたくない(・・・・)。金がない(・・・・)。
   以上。
  ツアーは組めないので、フリーで行くことになった。 おかげで旅費の半分以上を節約できたが、
 旅行会社の人は困惑していた。「危ない・・・」と云うのだ。 
  そんなことは百も承知だけれど、そんなこと云ってたら何も出来やしないだろう。

  メンバーはぼくとHの二人だが、Hは頭数の一人として考えていたので、二人で行くとなると
 ややこしくなってくる。 何しろHは偏屈で変人で怠け者でおまけに関西人だ。
  几帳面なぼくとは対象的な性格だ。 こいつとやっていけるだろうか・・・。
 
  しかしHはすっかり行く気でいる。 パスポートもとったし旅費も用意できたらしい。
 もう止められないので、とりあえずスペイン語を勉強しておくように伝えておいたが、Hが覚えた
 スペイン語はたった一言「cansado」だ。
   日本語に訳すると「疲れました」・・・ぼくは気が滅入ってしまった。
  
   Phはイースター島のラノ・ララク火山。モアイの石切り場がある。

 

ザ・ゴリラバッジ

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  引出しを整理していたら、なんと懐かしいザ・ゴリラバッジが出てきた。
 このバッジは、昭和54年頃コロコロコミックが愛読者プレゼント用に作ったものだ。
 いまやプレミアものだろう。
 
  「ザ・ゴリラ」を連載していた期間は、約3年半ほどだった。
  楽しい思い出も苦い思い出もあるが、ぼくの青春の1頁であり あの時代の
  コロコロを支えた自負もある。
 
  コロコロを舞台に活躍できたことが、漫画家としての自信につながったことは
  いうまでもない。
 
  当時のコロコロで描いていた漫画家の一派が、どうやらぼくを排除しようとしているらしい。
   まぁ「のけもの」ってやつですかぁ(笑)
  気付かなかったぼくも馬鹿だけれど、ず〜っと長い間「のけもの扱い」だったらしいのだ(苦笑)
 
  編集部の人が、ぼくの連絡先を必死で探していることを知っていながら、この一派はわざと
 教えなかったという。
  よほど、やましいことでもあるのだろうか?  う〜む、あるのだろうなぁ(笑)・・・・
 ったくセコイ奴等だ。

  漫画家にはこういった手合いがいる。
 自分のポジションを守り抜くことに必死なんだろう。
 
  実力がない奴に限ってこうだから情けない。

  そんな暇があったら作品に力を入れたまえ!
 そろいもそろって絵がヘタっぴ〜なんだからよぉ。

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 手塚先生の原稿がピンチなんだよ・・・。
 鳴島先生が困った顔で言った。
 
  はぁ・・毎度のことじゃないんですかぁ?と、呑気なぼく。
 いやぁ、今回ばかりはホントに危ないらしい。マネージャーの松谷さん(現 手塚プロ社長)
 がキミたちを助っ人にほしい・・・というんだが、勉強のつもりでいくかい?
 
  「手塚先生のお手伝いならば喜んで!!」と、ぼくともう一人のアシY君は、当時練馬の
 富士見台にあった手塚プロに向かった。
 
  明朝までに4本の原稿締めがあり、印刷所が輪転機を止めて待っているという。 
 手塚プロの専属アシも数人いるが、それでもピンチだ。
  
 その専属アシが、夕方になると全員がぞろぞろと帰っていった。
 手塚プロは昼の部と夜の部のアシが、入れ替え制になっているらしい。
  しかし手塚先生は一人で描きっぱなしだ。
 ぼく達は24時間手塚先生と過ごし、手塚先生の伝説を目の当たりにするが、そのエピソードは
 別の機会に書こう。 
 
 PH左頁はぼくが描いた背景で「ばるぼら」の最終回だ。
 
 この背景を、ぼくは手塚先生にまかせられた。

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