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 御来訪感謝申し上げます。

 時々、当ブログの読者の方や県外の友人たちから「福島に住んでいて大丈夫なのか?」とご心配をいただきます。自分は県外に住んでいるから放射能とは無縁と考えている人たちが多いのも事実です。そんな人たちにいちいち説明するのも面倒なので「オレが逃げないんだから大丈夫だ」と不誠実な返事をしていますが、正直、不安な気持ちは一切ありません。
 同じく県内に住んでいる人たち皆もそうだと思うのですが、日々の生活で放射能汚染を肌身に感じるようなこともありませんし、動物的本能としても危険を感じていません。
 現在、福島第一も1号機から4号機まで「安定停止」している状態ですし、これ以上悪くなるとも考えていません。
 怖いのは「人の心」だけです。
 敬天の住む須賀川市でも毎日放射線量の測定データが市のホームページで公表されています。原発事故以前の平常時の平均値は0.04〜0.06マイクロシーベルト/毎時だったのが、今現在(7月から8月中旬)は0.20〜0.25マイクロシーベルト/毎時を測定しています。
 単純に比較すると事故前の4〜5倍の値ですが、それが深刻な問題かというと・・
・・・仮に0.24マイクロシーベルトとすると24時間(1日)で5.76マイクロシーベルト、年間換算では2102.4マイクロシーベルトですから、約2.1ミリシーベルトとなります。
 この年間2.1ミリシーベルトがどれほどのものかというと・・・の解説が以下に転載した記事です。まだまだ「無知による不安」を感じる人が多いようなので、少しでも風評被害を緩和させたいと思い、おさらいの意味でも引用いたします。


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 「ミリシーベルト」「マイクロシーベルト」とはどんな単位なのか、どのくらいから危険なのか?放射線量計測単位のまとめ

「放射線量が基準値を超えた」「被ばく者が出た」といった言葉を聞いて不安が高まっている人も多いのではないでしょうか?焦って行動する前に報道で耳にする「ミリシーベルト」「マイクロシーベルト」とはどんな単位なのか、実際にはどれくらいから危険なのか確認しておきましょう。

詳細は以下から。

◆短期間被ばくの致死線量

人間は地球上のどこに住んでいても常に放射線を浴びています。世界で平均すると、人体は年間およそ2.4ミリシーベルト(2.4mSv:1シーベルトの1000分の1×2.4)の自然放射線に常にさらされています。放射線を短期間に全身被ばくした場合の致死線量は、5%致死線量(被ばくした人の20人に1人が死に至る線量)が2シーベルト(2000ミリシーベルト)、50%致死線量が4シーベルト、100%致死線量が7シーベルトと言われ、200ミリシーベルト以下の被ばくでは、急性の臨床的症状(急性放射線症)は認められないとされています。

ここで言う「短期」とは約1時間ほどと考えてください。普通に生活していて1年間に吸収する放射線量の1000倍の量を1時間で吸収すると、20人に1人が亡くなる程度の危険性ということです。1シーベルトだと吐き気を感じる、2〜5シーベルトで頭髪が抜ける、3シーベルトを超えると30日以内に50%の人が亡くなる、とも言われます。

◆「シーベルト」と「シーベルト毎時」

報道では「毎時」が省略されている場合がありますが、シーベルトとは「ある期間に被ばくした量の合計」をあらわす単位であり、1時間その場所で過ごした人が1シーベルト「被ばく」することになるという状態が「1シーベルト毎時(Sv/h)」です。もちろん「毎秒」や「毎年」といった表現もできますが、特に説明のないかぎりテレビなどの報道で省略されているのは「毎時」のようなので、例えばある地域で「1マイクロシーベルトが観測された」という報道があれば、人間がそこで1時間過ごすと1マイクロシーベルトを「被ばく」することになる、と考えてください。「2.4ミリシーベルト毎時」であれば、普通に過ごしていて1年間に浴びる放射線量を1時間で浴びる、というレベルです。

「通常の○○倍の数値が測定された」といった表現の報道が多いですが、1年は8760時間(24×365)なので、おおまかに「普通に過ごしていて1000年間に浴びる量を1時間で浴びると致死率5%」と考えると、「毎時」単位の測定値が普段の876万倍になったところで防護なしに1時間過ごすと20人に1人が死亡する程度、と考えてください。

◆「400ミリシーベルト毎時」ってどのくらい?

2011年3月15日11:00に発表された福島第一原発3号機付近の「400ミリシーベルト毎時」という数字ですが、ここで何の防護もなく1時間過ごした場合の被ばく量が、5%致死線量(2シーベルト=2000ミリシーベルト)の5分の1にあたります。つまりこの5倍の線量に約1時間さらされた場合、20人に1人が死に至る可能性があります。また、この数字が観測されたのはあくまで原子炉からごく近い場所であるということにも注意が必要です。

◆「ミリ」と「マイクロ」の違いを頭にたたきこみましょう

ニュースで「8217マイクロシーベルト(μSv)」「1941マイクロシーベルト」などと聞くととてつもなく大きな数のような気がするかもしれませんが、「マイクロ」というのは「ミリ」のさらに1000分の1。1マイクロシーベルトは1シーベルトの100万分の1です。200万マイクロシーベルトで5%致死線量なので、2000マイクロシーベルトでも5%致死線量の1000分の1です。

つまり分かりやすく表現すると以下のようになります。

1シーベルト(Sv)=1000ミリシーベルト(mSv)=100万マイクロシーベルト(μSv)

大量の放射線は人体に有害ですが、微量なら人体に影響はありません。万一の場合を考えて、できる限りの対策を取ることは重要ですが、関東などに住んでいる人は「マイクロシーベルト」というのはとても小さな単位であるということを心にとめて、むやみに焦って行動しパニック状態におちいらないよう気をつけたいものです。

放射線被ばくと健康への影響の関係。単位はマイクロシーベルト(左の「8217」「1557」という値の単位は「マイクロシーベルト毎時」)ですが、10万マイクロシーベルト(100ミリシーベルト)を超えるとガンになる人が増加するとされています。


「ガンになる人が増加」と聞くとドキッとするかもしれませんが、すべての人が高い確率でガンになるというわけではなく、発がんリスクが高まるという意味です。「発がんリスクが高まる」と言っても、例えばいわゆる「発がん物質」というものを習慣的に摂取してもすべての人が発がんするわけではない、喫煙者の全員が肺がんとなるわけでなく、肺がんとなった人の全員が死亡するわけではないということを思い出して、必要以上に不安にならないようにしてください。

◆そもそも「シーベルト」とは何をあらわす単位なのか

目に見えない放射線の人体への影響をはかる単位「シーベルト」とは一体何をどう表しているのか、もやもやしている人も多いのではないでしょうか?少し長くなりますができるだけ直観的に把握できるよう説明していきたいと思います。

「シーベルト」(Sievert、Sv)というのは放射線防護についての研究で大きな功績のあるスウェーデンの物理学者ロルフ・マキシミリアン・シーベルトにちなんで名付けられた単位で、これを理解するにはまず「グレイ」(Gy)という単位について知っておいた方がわかりやすいかもしれません。

「グレイ」という単位は、放射線を照射された物質が吸収する質量(kg)あたりのエネルギー(J:ジュール)をあらわし、1kgあたり1ジュールの吸収線量を1グレイ、と定義します。

ジュールというのは「質量×加速度×距離」などで求められる仕事量をあらわす単位で、電力の話題でよく聞く「キロワット時(kWh)」と同じ次元の単位です。1ジュールは1ワット秒(Ws)で、これは1キロワット時を1000(キロ)で割ってさらに3600(1時間は3600秒なので)で割った量。洗濯機を3回運転すると1kWhと言われるので、1Wsというとかなり微量の電力量です。1ジュールは小さなリンゴ(約102g)を重力に逆らって1メートル持ち上げる時の仕事量に相当する、と聞くとイメージしやすいでしょうか?

「被ばくする」というのは、放射線により仕事をされるということ。放射線を浴びた人体組織が質量1kgあたり1ジュールの仕事をされれば、1グレイ被ばくした、ということになります。「仕事をされる」という表現になじみがないという人は、例えばストーブに当たって指先が温まった時は、その温度上昇分(内部エネルギー変化分)の「仕事をされた」ということであり、お母さんが重力に逆らって赤ちゃんを抱き上げるときも、お母さんが赤ちゃんに対し、抱き上げた高さ分(位置エネルギー変化分)の「仕事をした」ということになる、と考えてください。

「シーベルト」も「グレイ」と同じように「J/kg」の次元の単位なのですが、放射線にはさまざまな種類があり、「物」ではなく「人」が放射線を浴びた場合は、その放射線の種類(アルファ線、ガンマ線など)により受ける影響が異なります。

同じ1グレイの吸収線量でも、人体組織が吸収した場合、例えばアルファ線で1グレイの吸収線量だとベータ線で1グレイの場合の20倍ほど影響が大きいとのことで、これに応じて放射線荷重係数をかけて、アルファ線で1グレイの被ばくなら人体への影響は20シーベルト(Sv)ということになります。物理量ではなく「人体への影響」を基準に考えた等価線量という概念にもとづく単位なのです。

また、「質量の大きなものほどたくさんエネルギーを吸収する」というのは事実ですが、同じ場所にいれば体重40kgの人より80kgの人の方が危険なのかというと、そんなことはありません。なので「1kgあたり」で考える「グレイ」や「シーベルト」が意味を持ちます。

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 この解説に敬天如きが付け加えるコメントなどありません。
 ちなみに、敬天の実の妹の一人は29年前に放射線技師になりましたが、当時、そんな仕事に就いたら子供が産めない体になるとあちこちでいわれましたが、不妊治療を受けるでもなく自然妊娠で無事2人の子供を授かり、2人とも健康に成長しています。
 敬天だけでなく多くの県民は冷静なのです。放射能より怖いのは(県外の)他人の不幸をあざ笑う人の心と反原発左翼の常套手段である子供を使って風評被害を仕掛ける宣伝工作なのです。

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       昭和38年 靖国に参拝した米空軍士官学校士官候補生たち  

 御来訪感謝申し上げます。

 昨日16日でお盆が終わりました。今年も靖国参拝が叶わず残念だったのですが、産経新聞系のイザブログでワシントン特派員の古森義久記者が、5年前の小泉政権時に米国の学者が産経新聞に寄稿した「小泉首相の靖国神社参拝への国際的考察」を紹介していました。靖国というと、とかく感傷的になりやすい日本人とは違い、米国人らしいあくまでも理詰めで靖国の存在意義について説いている、素晴らしい論説文です。
 お読みになった方もいらっしゃると存じますが、当ブログでも引用紹介させていただきます。


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 【靖国参拝の考察】ケビン・ドーク 米ジョージタウン大教授
2006年05月25日 産経新聞 東京朝刊 1面

 ■毎月訪れて、敬虔さ示せ 
 私は日本の近代史、とくにナショナリズム、民主主義、文化などを専門に研究する米国人学者として、靖国神社をめぐる論議には長年、真剣な関心を向けてきたが、自分の意見を対外的に表明することは控えてきた。靖国問題というのは日本国民にとって祖国への誇りや祖国を守るために戦没した先人への心情にかかわる微妙な課題であり、あくまで日本国民自身が決めるべき内面的な案件だと考えてきたからだ。

 ところが最近、中国だけでなく米国の論者たちが外部から不適切な断定を下すようになった。だから私も日本の自主性への敬意を保ちつつ、遠慮しながらも意見を述べたいと考えるようになった。私の意見は日本の国民や指導者が自らの判断で決めたことであれば、靖国参拝をむしろ奨励したいという趣旨である。その理由を、これまでの論議でほとんど語られていない観点からの考察も含めて説明したい。

 民主主義社会の基礎となる個人の権利や市民の自由は他者の尊厳への精神的な敬意が前提となる。とくに敬意を表明する相手の他者が死者となると、それを表明する側は目前の自分の生命や現世を超えた精神的、精霊的な意味合いをもこめることとなる。

 死者に対しては謙虚に、その生前の行動への主観的な即断は控えめに、ということが米国でも日本でも良識とされてきた。死者を非難しても意味がないということだ。ましてその死者が祖国のための戦争で死んだ先人となると、弔意には死の苦痛を認知できる人間の心がさらに強い基盤となる。その心の入れ方には宗派にとらわれない信仰という要素も入ってくる。

 以上が現在の米国でも日本でも戦没者を悼むという行為の実情だろう。小泉純一郎首相の靖国参拝もこの範疇(はんちゅう)であろう。首相自身、自分の心情を強調し、政治的、外交的な意味を否定しているからだ。それに対し外部から無理やりに政治や外交の意味を押しつけ、参拝の中止を要求することは人間の心を排除し、民主主義の基本を脅かすことになりかねない。個人の精神の保ち方や信仰のあり方が脅かされるからだ

 だから私は挑発的と思われるかもしれないが、小泉首相に年に一度よりも頻繁に、たとえば毎月でも靖国を参拝することをまじめに提案したい。そうすれば首相は反対者の多くが主張するように戦争や軍国主義を礼賛するために参拝するのではなく、生や死に対する精神、信仰の適切な応じ方を真に敬虔(けいけん)に模索するために参拝していることを明示できる。その明示の最善の方法は信仰にもっと積極的になることであり、そのために儀式上どのような祈念の形態をとるかは首相自身の権利として選べばよい。

 首相は戦没者の慰霊には靖国ではなく千鳥ケ淵の無名戦士の墓のような所に参ればよいという意見もある。しかし普通、生きている人間が死者に弔意を表することには現世を超越した祈りがこめられる。信仰とはまったく無縁の世俗的な場での戦没者への追悼では遺族にとっても重要な要素が欠けてしまう。国家としての追悼として不十分となる。

 米国でもアーリントン墓地での葬儀や追悼にはなんらかの信仰を表す要素がともなうことが多い。往々にしてキリスト教の牧師らが祈りの儀式を催す。葬儀が教会で行われるのも同様だ。日本でも葬儀が寺や神社で催されるのは、別に参加者が一定の宗派の信者でなくても、死者に対し精神あるいは心情からのなにかをささげるからだろう。靖国参拝も現世を超えるそうしたなにかをともなう慣行だといえる。靖国に参拝するためには神道の主義者でも信者でもある必要はないのだ。この事実は靖国参拝が特定の宗教への関与ではないことを裏づけている。宗派を超えた深遠な弔意表明とでもいえようか。

                ◇

■教皇庁も認めた「慣行」

 小泉純一郎首相の靖国参拝はいまや現代の政治課題にされてしまったが、その靖国問題に少し距離をおき、歴史をさかのぼってみよう。一般に靖国をめぐる論議は戦後だけのことと思われているが、実際には戦前の一九三〇年代にも似た現象があった。三〇年代の日本といえば、多くの歴史学者は個人の自由が抑制され、とくに宗教の自由は国家神道で阻害され、なかでも日本のキリスト教徒たちの自由や権利が、靖国神社により侵されていたとみなしがちな時代である。

 だが現実はそうではなかった。日本では明治憲法で保障された宗教の自由が第二次大戦中までも保たれた。戦時の日本の政界や学界では今中次麿、田中耕太郎両氏らキリスト教徒が活躍した。そんな時代の一九三二年五月、上智大学のカトリック信徒の学生たちが軍事訓練中に靖国への参拝を命じられたのを拒み、その拒否を同大学のホフマン学長も支持するという出来事があった。参拝が宗教の押し付けになりかねないという懸念からだった。

 だが、東京地区のシャンボン大司教が文部省や陸軍省に参拝が宗教的行事かどうかを正式に問うたところ、「参拝は教育上の理由で、愛国心と忠誠を表すだけで、宗教的な慣行ではない」との回答を得た。これを受け、ローマ教皇庁は三六年五月に日本の信徒に向け、「靖国参拝は宗教的行動ではないため日本のカトリック信徒は自由に参拝してよい」という通達を出した。

 その結果、日本のカトリック教徒は自由に靖国を参拝するようになったが、ローマ教皇庁が事実上の独立国家として日本政府の「靖国参拝は宗教的慣行ではない」という見解を尊重したことの意味は大きい。日本国民の自国への独自の価値観や愛国心をそのまま認めたということだからだ。日本という主権国家の内部での慣行への尊重だといえる。しかも、さらに重要なのは教皇庁が戦後の一九五一年にも三六年の靖国参拝に関する決定を再確認し、現在にいたっているという事実である。

 戦後も敬虔(けいけん)なキリスト教徒だとされる大平正芳氏や吉田茂氏などの首相が靖国に参拝している。参拝しても神道の宗教行事への参加ではないからだ。小泉首相の参拝も同様である。私人か公人かという区分も意味がない。米国ではブッシュ大統領がキリスト教会を訪れても公私の別はだれも問わないし、それが宗教的礼拝であっても、米国内の仏教やユダヤ教、イスラム教などの信徒たちは自分たちの権利が侵害されたとはみなさない。

 小泉首相の靖国参拝はA級戦犯合祀(ごうし)のために戦争の正当化となるからよくないという主張がある。私は、靖国が決してA級戦犯だけでなく、祖国の戦争のために亡くなったすべての人たちの霊をまつった神社であり、その先人たちの行動を絶対の正確さで善か悪かを判断する立場には現代の私たちはないし、戦犯とされる人の霊に弔意を表したから、その人の生前の行動すべてに賛意を表明するわけでもない、と反論したい。

 生きる人間は生や死に対し謙虚でなければならないとも思う。国家の指導者に対しては、彼らのいまの政策にはいくらでも反対し、非難もできる。だが遠い過去に死んでしまった故人の行動を非難しても、もう故人は弁護はできない。死者の行動の善悪をはっきり断定できるほど、私たちが完璧(かんぺき)だとも思えない。戦没者への弔意表明に関する限り、過去の戦争の是非のような判断は未来の世代、次の世界、あるいは神に委ねることが適切だと思う。

 米国では南北戦争で敗れた南軍将兵の墓地が連邦政府の資金で保存され、政府高官を含めて多数の米国人が訪れる。国立のアーリントン墓地にも一部の南軍将兵が埋葬されているにもかかわらず、歴代大統領が訪れ、弔意を表す。南軍はアメリカ合衆国に敵対して反乱し、しかも奴隷制を守るために戦った軍隊だった。

 小泉首相の参拝反対への理屈をそのまま使えば、米国大統領が国立墓地に参拝することは南軍将兵の霊を悼むことになり、奴隷制を正当化することともなってしまう。だが、米国の歴代大統領も国民の大多数もそうは考えず、戦没者のすべてが子孫からの敬意を受けるに値すると判断し、実際に弔意を表するのだ。日本側でそう考えたとしても、どんな支障があるのだろうか。

               ◇

■慰霊への干渉は不当
 中国政府が小泉純一郎首相の靖国神社参拝を軍国主義や戦争の美化と結びつけて非難することは あまりにも皮肉な倒錯である。
 いま中国が異様なほど大規模な軍拡を進めていることは 全世界が知っている。
 その軍国主義の中国が日本の首相の神社参拝をとらえて、軍国主義だと非難するのだ。
 首相が神社に参拝するからその国が軍事的だという主張は 悪い冗談のようであり、 靖国をあくまで糾弾するのならもっと真剣な理由を探してほしい。

 靖国参拝を軍国主義と結びつけるのは中国側の口実にすぎないのだ。中国が靖国を攻撃する背景には 政治や外交の武器にするという目的以外に、信仰や宗教を脅威とみて、反発するという現実がある。
 中国政府は共産党員に主導され、共産主義者はみな公然たる反宗教の無神論者だ。
 共産主義の教理上、あらゆる宗教や信仰を 本質としては認めないという立場であり、その非民主的な指針を民主主義の外国である日本に押しつけようとしているのだ。
 その指針の適用の行き着く先は、市民の自由や人権の弾圧となる。

 中国は日本のA級戦犯を非難するが、東条英機氏らがたとえどんな悪事を働いたとしても、毛沢東氏が自国民二千万以上を 殺したとされることに比べれば軽いだろう
 だが毛氏は死後に中国で最高の栄誉を与えられ、国民が弔意を表する。
 中国が日本に対して主張する理屈に従えば 生前の「犯罪」のために弔意を表してはならないことになるのだろうが、私は中国人が毛氏の霊に弔意を表する権利を認めたい。
 外部の政府や人間の関知することではないのだ
           

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 字数制限の関係上、敬天のコメントは控えますが、平素“反靖国”を標榜する連中の主張が見事に論破されています。
 
 


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14日、テレビ朝日で「ザ・スクープSP 玉音放送66年目の真相」をやっていた。
その中で昭和天皇の玉音放送に対しこう語りました。
 
「≪世界の大勢、亦我に利あらず、加之敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。しかも尚、交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延(しい)て人類の文明をも破却すべし≫ 
天皇陛下は反核・平和宣言をしたのである。・・・」
 
何と、先帝陛下は玉音放送で“反核・平和宣言”をしたのだ、と言ったのです。・・・
 
 
 
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一方、同じ日にNHKでは「NHKスペシャル 円の戦争」をやっていました。
過去のNHKのこの手の昭和の歴史に関するスペシャルは、
日本軍の良いところはやらず、軍は悪かったという固定観念のもと先人達を貶めて、
軍の悪辣さを広く国民に宣伝していこうというのがNHKのこの番組制作の目的であるのは明らかだ。
 
今回も番組の中では朝鮮や台湾を“植民地”と強調し、中華民国臨時政府などを“傀儡”と幾度も強調していました。
歴史をよく知らないで番組を見る視聴者にはこの“言葉”だけが印象に残るのではないか。
それ以上にあの暗く、陰湿なムードを演出した番組を見ているのも苦痛になり、
しまいにはチャンネルを変えてしまうのだろう。
その時に、「日本軍は本当にろくでもないなぁ」と思ってチャンネルを変えるのか、
「NHKは本当にろくでもないなぁ」と思ってチャンネルを変えるのか、では大きな違いがあるのです。
 
今回この番組では日本軍は戦費調達の為の資金を“世界で類を見ない特殊なシステムをつくり上げたと断罪した。
しかし、敵である国民党の蒋介石は米・英によって数十億ドルの資金や物資を援助されていたのだ。
敵のこの豊富な資金と物資にNHKはどのように対抗していけというのか。
断罪ばかり大きく取り上げて、日本軍の苦しさは全く考慮しない。
“戦争などしなければよかったのだ”と言いそうなNHK。
しかし、日本と支那は1918年のイルミナティとボリシェビキの日支闘争計画において戦うようになっていたのだ。
 
話はさかのぼります。
日本は日露戦争の激戦地、旅順港攻略戦で勝利しました。
その情報は満州からロスチャイルドに届きます。
日本戦勝の可能性を知ったロスチャイルドはロンドンに来た高橋是清に金を貸す約束をします。
実際にはジェイコブ・シフというユダヤ人のクーン・ローブ商会に戦時国債を売ることができたのです。
その背後で資金を提供したのがユダヤ財閥のロスチャイルドでした。
そして、彼らは日本にバルチック艦隊の大移動の詳細情報までも伝えたのです。
日本に日露戦争で勝利させて儲けて、次に日本を敗北させれば日露戦争で儲けた分の数十倍も金が儲けられる。日露戦争から第二次大戦に至る軍拡国家日本に巨大な投資をして巨大な利益をあげた。今度はそして一気にぶっ壊す。
これが彼らの手口である。
これを見ずしてNHKは日本軍を断罪するために重箱の隅をつつき続けているとしか思えない。
特に番組では横浜正金銀行の場面である写真が写っていたが、
その写真にはモルガンと書いてあり、一緒に写っていた。
これは何を意味するのか。NHKは追求すべきではないか。・・・
 
 
 
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さて、その翌日15日にもNHKスペシャルをやっていました。
「日本はなぜ戦争へと向ったのか 戦中編 果てしなき戦線拡大の悲劇」。
“戦中編”ということで、19422月頃、つまりちょうど日本が連戦連勝から巻き返されていく頃を取上げたのです。
そして“国力数十倍のアメリカになぜ無謀な戦争を仕掛けることになったのか”というお決まりのことだ。
 
これも何も知らなければもっともだと納得してしまうかもしれない。
この“なぜ無謀な戦争を仕掛けることになったのか”というのは多くの国民は今もそう思っているかもしれない。
しかし、最近では真実の歴史が知られるようになって、
日本が仕掛けたのではなく“仕掛けられた”ということも理解されるようになりました。
日本軍を南進に方向転換させ米英戦へと仕向けたのはモスクワの手下であった。
日本を敗戦させ、その後共産主義革命によって日本を共産国家にし、
共産党が勝利した支那とソ連のこの三カ国が中心となって、アジア各国、東亜民族をも共産化して
共産主義の東亜建設を目論んでいたのです。
これはユダヤの世界を一つにするための一環であったのです。
 
番組にある通り、確かに日本軍は手を広げ過ぎてしまったのは明らかです。
当時、特に皇道派の真崎甚三郎や小畑敏四郎などはこれには大反対したが受け入れられなかった。
日米開戦の前に帝国陸軍内部の主戦派の統制派が慎重派である皇道派を追い出し、
特に現場を知らない机上の超エリートであった統制派幹部は戦争が下手であったのだ。
それは統制派主導で第二次上海事変となった時に統制派たちが苦戦に苦戦を重ねる中、
その後、皇道派の柳川平助が派遣され杭州湾から一気に攻め落として、
南京までの活路を見出したことでもわかる。
この功績を統制派は国内では柳川の名を伏せて報道した。皇道派の手柄を嫌ったのだ。
しかし、国難でもある戦争となれば皇道派も統制派もないはずですが、
東條はじめ陸軍を主導したのは最後まで統制派でした。
彼らは自ら戦争を望んで泥沼にはまっていったのだ。
統制派の軍首脳や企画院、マスコミには多くのマルキストがいました。
彼らはモスクワや支那共産党の工作にまんまと引っ掛かったのだ。
戦後、あの戦争で本当に勝利したのはソ連であったといわれています。
しかし、実際はその裏にあるユダヤ国際金融資本の儲けに貢献していったのです。
 
また、海軍の山本五十六が連合艦隊司令長官になった時、ハーバード大学ルートの情報で
「米国の海軍力は山本五十六が司令長官である間ならば日本に打って出ても勝算あり。
悪くても五分五分で決着がつくので早々に戦端を開くべきだ」と海軍側の意向が伝えられていました。
その理由は「山本はフリーメーソンの結社員だから」という。
・・・・・
 
NHKに決定的に欠けているものは何か?
愛国心だ。
国を愛さず、戦前をまるで悪の権化の如く決めつけ、先人たちの苦悩を“無能”と断罪し、
反核、反戦、平和主義路線の左翼丸出しの公共放送。
国を護るために命を捧げて戦った先人たちの無数の尊い命を、
まるで愚かで、無能で、悪者のように描き続けるNHK。
 
しかし、現在、おかしなテレビ局はNHKだけではないのだ。
冒頭のテレビ朝日もそう。
TBS、そしてフジテレビも露骨な韓国びいきだとして多くの国民から反発を買っている。
私の一番の悩みは軍は悪だと断罪しても、テレビ局を悪だと断罪するテレビ局がないということです。
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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 御来訪感謝申し上げます。

 今年も8月15日を迎えました。
 偶然なのか、天の差配なのか、今では月遅れの盆が全国的に実質的なお盆の慣習行事となったこの日に、終戦の日とご先祖様を迎える盆が重なるようになりました。

 これが何を意味するのか。
 日本人なら一度はじっくりと考えてみる必要があるかもしれません。
 「何事も偶然ではなく、すべては必然である」という原理原則に拠って見てみると、終戦の日とお盆に共通するワードは「先祖・先人」であります。
 そして共に「先祖・先人」を供養する日であります。
 我々の先祖の中には英霊となった人もいれば、戦争の犠牲になった人もたくさんいます。
 終戦の日の慰霊行事が全体的な供養行為なら、国民個々の家族・親族への供養行為がお盆行事といえます。
 つまり、宗教や地域の風俗習慣に関係なく、国家として国民として日本は須らく故人の御霊に礼を尽くす日がこの8月15日となります。

 今年は、そこに新たに東日本大震災の犠牲者も加わりました。
 犠牲者は2万人を超えています。「2万人」と口で言うのは簡単ですが、2万人の死には2万通りの悲劇があるのです。
 その2万通りの悲劇ひとつひとつを追って行ったら、我々は2万通りの悲しみに直面することになります。
 「幸福の形は皆一様であるが、不幸の形は不幸の数だけある」と言いますが、勿論、第三者の人間が犠牲者の数だけの悲劇に思いを馳せることはできずとも、せめて、同時代に生き、共に大震災を経験した者として亡くなられた犠牲者の悲劇の数だけは心に留めて行きたいと思います。

 不肖敬天愛人は、3月11日を境に今までに経験したことのないほど、あらゆる面で心境の変化を感じるようになりました。
 生意気な言い方をさせていただけば、これまで漠然と自己の中で意識してきた人生観、哲学、価値観、すべてが脆くも崩れ去ってしまいました。
 大げさにいえば一種の自己崩壊とでもいうのでしょうか。
 敬天如きの自己など世の中には屁の役にも立たないものであり、崩壊したところで誰も困りません。むしろ、くだらない独り善がりの自己など崩壊すべきだったのかもしれません。
 普通、自己崩壊というと大抵は精神崩壊も伴いますから、極めて深刻な事のように受け止めがちですが、敬天の場合、精神崩壊だけは免れることができました。
 敬天は、人間は生まれながらにして(先祖代々)受け継いだ「御霊」と後天的に形作られてきた「自我」とで出来ていると教えられています。
 つまり、不滅の魂と人間としての上っ側、魂を人間としての本体と考えると「自我・自己」は本体を被っている衣裳みたいなものです。
 本体は簡単に変わりませんし、本体が崩壊するときは死を意味しますから、「着ている洋服」に過ぎない自我や自己がボロボロになっても何の問題もないのです。
 むしろ、本体にそぐわなくなれば替えて行くことになります。
 例えば、「♫ボロは着てても心は錦・・・♫」と昔流行った唄がありましたが、人間は苦労すればするほど魂は上昇(心は錦に)して行きますから、魂の上昇に合わせて着ているもの(自己)もグレードアップしていくのだと考えれば良いと思うのです。
 ただし、敬天の場合は魂が上昇したとは決して言い難いですが・・・・

 で、崩壊した自己を建て直すために何をしたらいいか、と考えてみたりしました。
 考えているうちに、今度は福島第一原発事故が発生し、どんどん被害が拡大していきます。
 ますます考えなくてはならないことが増える一方です。こうなれば自分のことだけにかまけている場合ではなくなります。
 ここでふと気づきました。「自分のことだけにかまけている場合ではない」=「自分のことだけにかまけていては、自己を建て直すことはできない」
 そこで開き直って、今、自分が経済的にも時間的にもできることをやろうと考えたのです。
 それは何か。簡単にいえば“いのり”でした。英語でいえば“PRAY”です。
 震災後、世界中から“Pray For Japan”と日本人の犠牲者への(慰霊の)祈りと日本の復興への祈りが届きました。
 被災県に住む者としても、自分たちも犠牲者への祈りと国の建て直しへの祈りを捧げなくてはなりません。
 まずは「祈る」ことだろうと。そして祈りながら、自分も国も建て直して行かなければならない。
 そんなふうに、震災後の3月に考えたのです。
 そして同時に、もう一度近現代史を見直そう、国の建て直しのヒントは近現代史をもう一度精査していくことによって、得られるのではないか、と思いました。
 そしたら、祈りが天に通じたのか、さくらの花びら( http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098)歴史講座『学校では教えない歴史』シリーズが始まりました。
 この講座のおかげで、なぜ現政権のような最悪の政権が誕生し、何ゆえ右往左往しているのかも、実は歴史上の必然であることが手に取るように判りました。
 ここでは詳しいことは語りません。後日の機会にいたします。

 改めて、今日は8月15日は国民の一人として被災県の一人として、震災の犠牲者、大東亜戦争の犠牲者、故人となった我が身内や先祖のために祈りを捧げたいと存じます。


   8月15日は日本人にとって特別な日であります!

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 御来訪感謝申し上げます。
 昨日の記事で取り上げた、京都の「五山送り火」騒動がいかに非科学的な騒動だったかを、極めて解りやすく解説している記事がありましたので、転載させていただきます。


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 被災地の人たちの心を踏みにじる極めて非科学的な京都市の決定
2011年08月12日20時38分

藤沢数希 プロフィール

某米系投資銀行勤務。主な著書に「なぜ投資のプロはサルに負けるのか?」がある。

記事一覧(111)Twitterブログ
今日は信じられないようなニュースを目にしました。以下のニュースです。
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送り火用被災松からセシウム 一転使用中止 京都市発表 朝日新聞8月12日

京都の「五山送り火」で、東日本大震災の津波になぎ倒された岩手県陸前高田市の松でできた薪(まき)を燃やす計画で、京都市は12日、市が取り寄せた薪500本について放射能検査をした結果、放射性セシウムが検出されたと発表した。市は記者会見で「科学的根拠に基づき、誠に残念だが断念せざるを得ない」と説明。16日の五山送り火で燃やすことを中止するという。

市によると、薪の表皮から1キログラムあたりセシウム137が588ベクレル、セシウム134が542ベクレルの放射性セシウムがそれぞれ検出されたという。

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この問題では、放射能への不安の声が一部の市民から寄せられ、大文字保存会が被災松の受け入れをいったん中止。そこで市が別の薪を取り寄せ、大文字をはじめとする五山の各保存会が送り火で燃やすことを了承していた。
僕は京都市の非科学的で、それでいて被災地の人々のこころを踏みにじるような行動に唖然としました。これが同じ日本人のやることとはとうてい思えません

薪の表皮の部分だけで、セシウム137とセシウム147で合計1130Bq/kgです。表皮の部分だけなのでkg当たりにすると、薪全体ではこれよりはるかに少ないと思います。海水中には豊富なミネラルといっしょに数々の放射性物質も含まれているので、海藻には割りとたくさんの放射能があります。たとえば京都料理でよく使う、干し昆布は2000Bq/kgで、すでにこの薪の表皮よりも多量の放射性物質を含んでいることになります。京都市は、京都料理で昆布の使用を禁止でもするのでしょうか? しかも昆布は子供も含めて人間が食べるもので、遠くで燃やす薪とはまるで危険度が違います。言ってみれば、この薪を燃やすのは、昆布を燃やすよりも危険性は少ないのです。

さて、市が取り寄せた500本の薪にはどれぐらいの放射能があるのでしょうか? 薪一本あたりに表皮の部分が100g程度あると考えれば、1130x0.1x500=56500Bqになります。人体には、カリウム40、炭素14、ルビジウム87など、自然の食品から放射性物質が取り込まれるので、体重が60kgの人の場合、7000Bqほど体内に放射能を抱えています。そうするとこの薪500本分の放射能は死んだ人を7人程度火葬するだけで出てくることになります。京都市は、これから火葬はすべて他県にでも依頼するのでしょうか?

ちなみに放射線で癌細胞を殺す放射線治療では、たとえば甲状腺癌の患者に、ヨウ素131をカプセルにいれて飲んでもらいます。ヨウ素131は実は癌の治療にも使われているのです。このときにひとりの患者が飲み込む量は、3.7〜7.4GBqです。つまり、3,700,000,000〜7,400,000,000Bqです。これはこの薪の何倍でしょうか?

それでは1万歩譲って、絶対に有り得ませんが、この薪の表皮を煎じてお茶にでもして飲む人がいるとしましょう。毎日10g程度煎じて一年間飲み続けます。セシウム137の経口摂取による内部被曝のSv/Bq換算係数が1.3×10^-8、セシウム134が1.9×10^-8です。

 588x0.01x1.3x10^-8x365 + 542x0.01x1.9x10^-8x365 = 0.065 mSv / 年

つまりこの薪の表皮を毎日毎日一年間も煎じて飲み続けても、自然放射線の2.4mSv/年に比べて、たったの0.065mSvの被曝量しかないのです。これは自然にある放射線量の2.7%です。ちなみに鉱物の影響で、東日本より西日本のほうが放射線量が多いので、京都の人は引越しを強いられるかもしれません

この薪の放射性セシウムは直接1年間食べ続けても安全なレベルで、遠くで燃やす分には完全に安全だといえます。

京都市の決定がどれほど非科学的か明白でしょう。実は、我々の身の周りには発がん性のある化学物質が充満しているのです。しかしそれらはあまりにも微量なので現代の科学では検出することができません。しかし放射性物質だけはめちゃくちゃな微量でも検出できるのです。なぜならば放射性物質は放射線という強烈な光を放っているので簡単に検出できるからです。中国で核実験をしても、日本で簡単に検出できます。福島第一原発の事故により放出された極めて微量な放射性物質は、カリフォルニアでも検出されました。これこそが原子トレーサーとも呼ばれる放射性物質の性質なのです。バイオの研究では、生体内部の分子の動きを観測するためにマーカーとして放射性物質が使われます。検出される=危険ではないのです。

今回の京都市の決定では、一部のモンスター・クレイマーに屈して最初の中止の決定を行ったと報道されていますが、僕は、それは違うと思います。ある程度大きなイベントではモンスター・クレイマーというのは、放射能に限らず必ずいるもので、それが理由とは思えません。やはり意思決定を行う人物の中に、放射能や被災地に対する偏見を持った人物がいて、彼らが逆にクレイマーを利用したと考えるほうが自然です。そして中止したところ、全国から苦情が殺到したので、業者を使って何度も検査をして、自らの最初の決定を正当化する検査結果を何とか取得した、というのが真実ではないでしょうか。

いずれにしても、五山送り火、そして京都市の権威は地に落ちた、と言っても過言ではないでしょう。政府は調査委員会を早急に開き、この被災地の心を踏みにじる決定をした背景を徹底的に調査するべきです。

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 やはり意思決定を行う人物の中に、放射能や被災地に対する偏見を持った人物がいて、彼らが逆にクレイマーを利用したと考えるほうが自然です。

 敬天が解せなかった謎がようやく判りました。
 やはり原発事故と放射能を利用して、従来の反原発運動をさらに強化しようとあの手この手で国民の恐怖を煽って、要らぬ風評被害をまき散らしている連中が暗躍しているのです。
 彼らの目的は日本社会の解体と国民の精神破壊です。

 とりあえずご報告まで。
 敬天愛人拝


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