御来訪感謝申し上げます。
なかなか更新できずお詫び致します。生来怠け者なのですが、いよいよ拍車がかかったようで、ブログサイトを訪問するのも億劫になってしまっています。
それでも、日に数百人のご来訪を頂戴しているのですから、不肖敬天愛人は皆様に申し訳ない気持ちでいっぱいになってきました。
毎日は無理にしても仕事の合間を縫いながら、徐々に元のペースに戻していきたいと考えていますので、ご容赦の程お願い申し上げます。
今日は福島県内で最大の発行部数を誇る地元紙(福島民報)の社説を引用いたします。
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【県内除染】国の勝手を許すな(10月6日)
国の除染対策の中で最近「財政面で支援する」「費用の全額を補助する」といった表現を見聞きする。補正予算案や来年度予算案の編成作業が始まっており、財政措置を講じる上での行政用語であることは分かる。ただ、「支援」「補助」といった言葉を頻繁に使い、あたかも除染の責任と主体が地元にあり、国は援助する立場と錯覚させようとしているとしたら許されない。佐藤雄平知事は先日の細野豪志環境相兼原発事故担当相との会談でこの点にくぎを刺した。当然だ。
気になるのは言葉遣いにとどまらない。環境省は先月下旬から県内の除染についての考え方や各種試算を矢継ぎ早に出し始めた。国が直轄で取り組む範囲を警戒区域と計画的避難区域に限定し、比較的放射線量が低い地域は財政支援の対象としないなど、地元の意向に添わない内容が少なくない。反発を受けて修正してはいるが、事前に地元と調整を図った形跡はうかがえない。自分たちの都合のいい流れをつくろうとしているのではないかと勘繰りたくなる。
中間貯蔵施設を県内に複数箇所設置する必要があるとした南川秀樹事務次官の発言も妙だ。細野大臣は今月中に施設設置に向けた工程表を公表するとしていた。その前に事務方トップの事務次官が口を滑らせたとは考えにくい。その場で東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質を含む廃棄物の総量についての試算まで明らかにしており、何らかの意図を持った発言と見るのが普通ではないか。
南川次官は6月にも最終処分場を県内に整備する方針を突然、示し、物議を醸した。その後、菅直人前首相は県内に中間貯蔵施設を設置する考えを表明し、細野大臣は最終処分場にはしないとした。地元にとって深刻な数値とともに国の厳しい姿勢を見せ、反発がなければ突っ走る。不満が出れば、一歩引いたところで決着を図る−。そんな政治的駆け引きのにおいがする。
国や与党の関係者から「福島県は原発事故対応で予算ばかり要求してくる。岩手や宮城に比べ『霞が関』の評判がよくない」との声が流れ始めた。一種の脅しのようにも聞こえる。除染のために多額の予算が必要になった原因は原発事故であり、県民が真に求めているのはお金ではなく原状回復だ。国が責任を自覚し、自分たちだけでは手に負えないから協力してほしいと誠意を持って説明すれば、県民は理解するだろう。被害者を厄介者扱いして事を進めるような流れをつくらせてはならない。(早川 正也)
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上記引用記事とは関係ないのですが、別の報道では「どぜう」首相が今月18日頃に韓国を訪問するという記事がありました。国際会議を除いては首相の外国訪問は初だそうで、また、中共政府への早期訪問を調整しているようです。
冒頭画像をご覧になって、「敬天は何の意図でこんな写真をUPしたんだろう?」とお思いの方も多いと存じます。
敬天はこの画像を見て、真ん中の男が日本国民、隣の女性が民主党政府、左端の男が韓国やシナに思えたのです。国民は民主党政権に辟易しながらも未だに懲りずに、何とか政府と政治に期待しつつ、国を挙げて日本の再興を図ろうと明るい未来に期待しているのですが、当の与党政府はそんな純な国民に表面上はニコニコしながらも裏では国民ではなく、外国勢力、それも名だたる反日勢力国家としっかり手を結んでいる図を想像したのです。
俄に飛び出してきた今度の野田総理の韓国訪問の話なんかも、あまりに解りやすい行動なので呆れるばかりで、何の意味があるのか?優先事項が違うのではないか?とツッコミを入れる気持ちも失せるほど、売国奴政権の愚かしい行動様式がミエミエです。
経済に行き詰まった韓国に助け船を出すために、こちらからわざわざ出向いて行くのなら、国民は頼みもしないのに政権だけが勝手に韓国に御用聞きに行くようなものです。
韓国に行けば、そんなに楽しいことがあるのか、いわゆる酒池肉林の接待というやつで韓国政府御用達の妓生をあてがわれ、韓国への資金援助の見返りの賄賂を提示されて、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎで楽しい宴会でも待っているのだろうと、敬天のような下衆なオヤジはつい空想してしまいます。
こんな下衆の勘ぐりでも残念ながら、決して外れていないことが我が国の外交政治の実体でした。
先日、テレビで石川県羽咋市のスーパー公務員のことを取り上げていました。限界集落を何とか活性化しようと獅子奮迅の活躍で実績を出していらっしゃる方です。
その方が「役人とは、人の役に立つから役人なんだ」と仰っていました。公務員としての彼の哲学であり、真理です。実績を出す人物は必ず自身なりの哲学と信念を持って仕事をされます。
振り返って、閣僚は?というと・・・、閣僚のことを「国務大臣」と言います。
大臣とは律令時代に天皇に代わって役所(行政)をまとめる長のことでした。つまり、大きな役目を持った臣下ということです。
国務大臣となれば、それぞれがその与えられた分野において国のために務める長ですから、内閣総理大臣はじめ国のために役に立つように務めなけれななりません。
しかし、人(地域の人々)の上に立つのが役人、国を自分の勝手にでき、国民の上に立つのが大臣、と考えているとしか思えない官僚や大臣の姿を見ていると基本的に自分たちの本来の役目を全く分かっていないのではないかといつも感じています。
特に政治家を見ると、彼らの自己実現のために国政に打って出たという連中ばかりです。どんなに綺麗事をいっても所詮『我欲』です。
人の役に立つという信念から来る責任感、国の役に立つという信念から来る責任感、それよりも共に先に我欲有りきで、何の信念も哲学も持たずに公の人になってしまった連中ばかりだから、国民に対して無責任な「まつりごと」しかできないのだろうと、今日の引用記事を読んで改めて感じました。
閣僚の重要ポストでもある外務大臣は福島選出の玄葉光一郎であり、せめて福島の盾になって欲しいのですが、我が身可愛さの俗物では県民としては何も期待できません。
久しぶりに更新したのに、つい愚痴ばかりになってしまったことをお詫びいたします。
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