日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全41ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 1

           

 御来訪感謝申し上げます。

 今日11日で東日本大震災発生から7ヶ月目になります。
 当地でも、毎月11日になると「ああ今日で、もう○ヶ月目になるんだね」という会話が必ずなされます。
 「もう○ヶ月・・・」の言葉の背景には震災発生日を絶対に忘れられないという思いと、あれからこんなに月日が経っているのに一向に進展を見せない復興状況を嘆く思いが重なって、やりきれなさが募る一方の感情があるのだと思います。
 
 先月(9月)の時はちょうど半年目だったので、「もう半年も過ぎてしまったのか」という時の流れの速さに驚いた気持ちが強くありました。
 そして、また1ヶ月が経ちました。
 1ヶ月経っても、特段変わり映えしない被災地の現状です。
 相変わらず道路や施設は地震や津波の爪痕を残したままです。
 当地須賀川市は市役所庁舎が外見でははっきり分からないのですが、内部は地震のために壁や柱に亀裂が入ったり、天井が下がったり、窓ガラスが割れたりと修繕不能で建物ごと建て替えないと使い物にならない状況です。また、町の中心部にある市の施設がやはり地震のために使用不能となり、そのまま放置されている状態です。
 市内でも建物を修繕したり、新たに建て替えたりしているのは皆民間の建物や個人の民家です。つまり、民間や個人が自助努力で復興させているものばかりです。
 お役所は「予算が無い、インフラの修繕費用で手一杯でとても市の施設までは賄えない」と言います。
 県に支援をお願いしても、報道でご存知のとおり、福島の災害基金は底を突き、国からの援助を待っている現状です。しかし、国は国で「復興のための財源がない」ということで復興財源を名目とした増税政策を打ち出してきています。
 ということは、国は未曾有の大災害による復旧・復興を「財源がない」からと国民の負担で行おうとしている訳です。
 これなら、不肖敬天愛人でも総理大臣が務まります。否、誰でもできるでしょう。
 これまでも何度も申し上げてきましたが、国は民間とは違うのです。
 民間は通貨発行権を持っていませんが、国は通貨発行権を持っているのです。
 だから国なのです。それもお隣韓国のように国内でしか通用しない子供銀行券レベルの通貨ではなく、国際間の決済に使える国際通貨である立派な『円』という通貨の発行権を持っているのです。
 増税とはインフレギャップが起きた時に国内に流通している貨幣を回収し、インフレギャップをデフレ傾向に調整するために行うものなのです。
 今の日本のようにデフレギャップに悩まされている時に増税をするということは、ますますデフレギャップを拡大させるだけなのです。デフレギャップが広がれば、さらにお金も物も流通しなくなり、それこそ税収が減っていくばかりなのです。
 税収が減れば国の予算も減るということなのです。国の予算を減らしたくなければ、結局はいわゆる赤字国債を発行して補うしかなくなるのです。
 優秀な官僚や政治家のセンセー方なら、そんなことは簡単に想像出来るはずなのにデフレ下での増税を遂行しようとしています。
 たとえば、期間限定的に復興国債や政府紙幣を発行しろという意見が出ると、通貨の信認がどうのこうの、ハイパーインフレがどうのこうの、国債が暴落するとかの反論が出ます。
 それなら、現状の超円高傾向において日銀が市場介入を行なっても、所詮「焼け石に水」で、何の効果も現れていない現状をどう説明するのか。先月も日銀は約2兆円の単独介入を行いましたが、一瞬、円安にブレたかに見えてもすぐに更に高い対ドル価格となってしまいました。
 日銀が円売りドル買いの介入をする時は、政府の短期証券を発行して資金調達をして賄うのですが、これだって一種の国債ですから、官僚の言い方を借りると「国の借金」です。
 つまり、国の借金2兆円を使っても水泡に帰したわけです。
 これほどの無駄遣いはないだろう。仮に2兆円を復興費に回せば、どれだけ復興が進んだかと素人の田舎オヤジは考えるのです。
 今の円高を見ていると、海外は「当然日本政府が災害復興のために多大な投資をしてくるはずだ。そうすれば日本政府の円需要が高まる」ことを見越してユーロやドルを売って円をかき集めているのです。ところが一向に日本政府は復興投資をする気配が見えない。
 そればかりか、その投資資金を増税で賄おうとしている、いわば常識では考えられないことをやっているわけです。しかし、そんな非常識が通用するわけがない、必ず国債を発行するか政府紙幣を発行して円資金を調達しようとするはずだ。ということで、日本政府の動向に注目し、期待して円買いを行なっているのです。
 現在のデフレギャップの状況では紙幣を増刷したからといって、簡単に通貨が暴落することはないことを海外の投資家は知っているのです。
 それなら、その期待に応えるのも政治の役割ではないのか?と言いたくなるのです。
 今、史上最高値の円高の時だからこそ、復興に向けた多大な投資をする絶好のチャンスなのです。
 現在の民主党政権や財務省の考え方では、残念ながら、被災地の復興は無理でしょう。
 来年の3月11日、一年経っても何も復興は進んでいなかった、むしろ、状況はますますひどくなるばかりだった、ということになりそうな気がしてなりません。

 今日は、無知蒙昧な経済のド素人が生意気なことを申し上げたことをお詫び致します。


 デフレの時にインフレの心配をするのは、貧乏人が金持ちになったことを想像して心配するようなものだぞ!!

   ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
    下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099




 
 
 

開く トラックバック(3)

イメージ 1

イメージ 1

         

 御来訪感謝申し上げます。

 なかなか更新できずお詫び致します。生来怠け者なのですが、いよいよ拍車がかかったようで、ブログサイトを訪問するのも億劫になってしまっています。
 それでも、日に数百人のご来訪を頂戴しているのですから、不肖敬天愛人は皆様に申し訳ない気持ちでいっぱいになってきました。
 毎日は無理にしても仕事の合間を縫いながら、徐々に元のペースに戻していきたいと考えていますので、ご容赦の程お願い申し上げます。
 
 今日は福島県内で最大の発行部数を誇る地元紙(福島民報)の社説を引用いたします。
 

--------------------------------------------------------
 【県内除染】国の勝手を許すな(10月6日) 
 国の除染対策の中で最近「財政面で支援する」「費用の全額を補助する」といった表現を見聞きする。補正予算案や来年度予算案の編成作業が始まっており、財政措置を講じる上での行政用語であることは分かる。ただ、「支援」「補助」といった言葉を頻繁に使い、あたかも除染の責任と主体が地元にあり、国は援助する立場と錯覚させようとしているとしたら許されない。佐藤雄平知事は先日の細野豪志環境相兼原発事故担当相との会談でこの点にくぎを刺した。当然だ。
 気になるのは言葉遣いにとどまらない。環境省は先月下旬から県内の除染についての考え方や各種試算を矢継ぎ早に出し始めた。国が直轄で取り組む範囲を警戒区域と計画的避難区域に限定し、比較的放射線量が低い地域は財政支援の対象としないなど、地元の意向に添わない内容が少なくない。反発を受けて修正してはいるが、事前に地元と調整を図った形跡はうかがえない。自分たちの都合のいい流れをつくろうとしているのではないかと勘繰りたくなる。
 中間貯蔵施設を県内に複数箇所設置する必要があるとした南川秀樹事務次官の発言も妙だ。細野大臣は今月中に施設設置に向けた工程表を公表するとしていた。その前に事務方トップの事務次官が口を滑らせたとは考えにくい。その場で東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質を含む廃棄物の総量についての試算まで明らかにしており、何らかの意図を持った発言と見るのが普通ではないか。
 南川次官は6月にも最終処分場を県内に整備する方針を突然、示し、物議を醸した。その後、菅直人前首相は県内に中間貯蔵施設を設置する考えを表明し、細野大臣は最終処分場にはしないとした。地元にとって深刻な数値とともに国の厳しい姿勢を見せ、反発がなければ突っ走る。不満が出れば、一歩引いたところで決着を図る−。そんな政治的駆け引きのにおいがする。
 国や与党の関係者から「福島県は原発事故対応で予算ばかり要求してくる。岩手や宮城に比べ『霞が関』の評判がよくない」との声が流れ始めた。一種の脅しのようにも聞こえる。除染のために多額の予算が必要になった原因は原発事故であり、県民が真に求めているのはお金ではなく原状回復だ。国が責任を自覚し、自分たちだけでは手に負えないから協力してほしいと誠意を持って説明すれば、県民は理解するだろう。被害者を厄介者扱いして事を進めるような流れをつくらせてはならない。(早川 正也)

-----------------------------------------------------

 上記引用記事とは関係ないのですが、別の報道では「どぜう」首相が今月18日頃に韓国を訪問するという記事がありました。国際会議を除いては首相の外国訪問は初だそうで、また、中共政府への早期訪問を調整しているようです。
 
 冒頭画像をご覧になって、「敬天は何の意図でこんな写真をUPしたんだろう?」とお思いの方も多いと存じます。
 敬天はこの画像を見て、真ん中の男が日本国民、隣の女性が民主党政府、左端の男が韓国やシナに思えたのです。国民は民主党政権に辟易しながらも未だに懲りずに、何とか政府と政治に期待しつつ、国を挙げて日本の再興を図ろうと明るい未来に期待しているのですが、当の与党政府はそんな純な国民に表面上はニコニコしながらも裏では国民ではなく、外国勢力、それも名だたる反日勢力国家としっかり手を結んでいる図を想像したのです。
 俄に飛び出してきた今度の野田総理の韓国訪問の話なんかも、あまりに解りやすい行動なので呆れるばかりで、何の意味があるのか?優先事項が違うのではないか?とツッコミを入れる気持ちも失せるほど、売国奴政権の愚かしい行動様式がミエミエです。
 経済に行き詰まった韓国に助け船を出すために、こちらからわざわざ出向いて行くのなら、国民は頼みもしないのに政権だけが勝手に韓国に御用聞きに行くようなものです。
 韓国に行けば、そんなに楽しいことがあるのか、いわゆる酒池肉林の接待というやつで韓国政府御用達の妓生をあてがわれ、韓国への資金援助の見返りの賄賂を提示されて、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎで楽しい宴会でも待っているのだろうと、敬天のような下衆なオヤジはつい空想してしまいます。
 こんな下衆の勘ぐりでも残念ながら、決して外れていないことが我が国の外交政治の実体でした。
 先日、テレビで石川県羽咋市のスーパー公務員のことを取り上げていました。限界集落を何とか活性化しようと獅子奮迅の活躍で実績を出していらっしゃる方です。
 その方が「役人とは、人の役に立つから役人なんだ」と仰っていました。公務員としての彼の哲学であり、真理です。実績を出す人物は必ず自身なりの哲学と信念を持って仕事をされます。
 振り返って、閣僚は?というと・・・、閣僚のことを「国務大臣」と言います。
 大臣とは律令時代に天皇に代わって役所(行政)をまとめる長のことでした。つまり、大きな役目を持った臣下ということです。
 国務大臣となれば、それぞれがその与えられた分野において国のために務める長ですから、内閣総理大臣はじめ国のために役に立つように務めなけれななりません。
 しかし、人(地域の人々)の上に立つのが役人、国を自分の勝手にでき、国民の上に立つのが大臣、と考えているとしか思えない官僚や大臣の姿を見ていると基本的に自分たちの本来の役目を全く分かっていないのではないかといつも感じています。
 特に政治家を見ると、彼らの自己実現のために国政に打って出たという連中ばかりです。どんなに綺麗事をいっても所詮『我欲』です。
 人の役に立つという信念から来る責任感、国の役に立つという信念から来る責任感、それよりも共に先に我欲有りきで、何の信念も哲学も持たずに公の人になってしまった連中ばかりだから、国民に対して無責任な「まつりごと」しかできないのだろうと、今日の引用記事を読んで改めて感じました。
 閣僚の重要ポストでもある外務大臣は福島選出の玄葉光一郎であり、せめて福島の盾になって欲しいのですが、我が身可愛さの俗物では県民としては何も期待できません。

 久しぶりに更新したのに、つい愚痴ばかりになってしまったことをお詫びいたします。


 玄葉よ、少しは福島県民の役に立つことをやれ!!

   ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
    下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099



 
 
 
 
 

イメージ 1

イメージ 1

          

 御来訪感謝申し上げます。

 以前はどうしようもないノー天気な発言で眉をしかめることが多かった経済評論家の森永卓郎氏ですが、最近の言動を見聞きしていると、不肖敬天愛人にとっては、彼に神が降臨したのではないかとつい思ってしまうほど説得力のある「神発言」が見られるようになりました。
 今日、紹介させていただく森永氏の論説文も、原発事故の後遺症に悩む福島の人間として心底共鳴できるものであり、また、同時に福島に限らず東北・北関東の被災地の人々にとっても心に沁みる意見であろうと感じます。
 彼は敬天と同い年ですが、こちらが恥ずかしくなるほど人間的に非常にバランスのとれた考えを示しております。
 最初から最後まで正論そのものであり、敬天如きがコメントをすることは何もないのですが、引用記事のあとに若干の感想コメを入れさせていただきます。
 色文字、太字は敬天が勝手に編集したものです。


-----------------------------------------------------
 原発とどう向き合うのか - 森永卓郎
2011年09月27日00時00分

 東日本大震災以降、私はともに貧困や抑圧と戦ってきた大切な友人たちと対立することになってしまった。それは、私が電力不足を回避するためには、しっかりと安全を確保することを前提としながらも、電力不足を解消するために原発を再稼働させるべきだと発言したことからだった。

 もちろん私は、安価で安定した電源に代替しながら、徐々に原子力発電所を廃止していったほうがよいと思う。しかし、急激に脱原発を進めると、国民にさらなる貧困と抑圧を与えることになる。そのことをしっかり考えなければならないと思うのだ。

 国民生活の抑圧は、今年の夏にすでに現れた。計画停電の実施に引き続いて、東京電力、東北電力管内では、電力節減令が発動された。電力節減令の本質は、電気の配給制度だ。罰則が適用される大企業はもちろん、そうではない中小企業や一般家庭でも徹底的な節電が求められた。問題は、それがどれだけ国民生活を圧迫したかということだ。

 例えば、我が家では今年の夏、日中は一度もエアコンを使わなかった。熱中症になるからエアコンをつけようと何度も妻に言ったのだが、「エアコンをつけたら室外機のファンが回って、近所にばれる」と言って、妻は私の言うことを聞かなかった。毎日繰り返される節電キャンペーンは、まさに「節約耐乏。ぜいたくは敵だ。欲しがりません勝つまでは」という戦時中のスローガンであり、節電をしない者は非国民だという密告社会を作ってしまった

 自由主義経済は、稼いだお金の範囲内で、好きなことに自由にお金を使えるということが、大原則だ。それをさせなかったのは、統制経済に戻したのと一緒だった。あらゆる面で、国民生活は圧迫されたが、例えば、日中の電車の運行が間引きされたため、5分おきには必ず来るはずの東京の地下鉄が、10分おきにしか来ない時間帯ができた。駅舎や車内はおろか、一部ではホームまで照明が落とされ、暗くなった。知人の視覚障害を持つ男性は、ホームからの転落を恐れて、電車に乗るのが怖くなったという。駅のエスカレーターの下りが停止され、お年寄りや妊婦は怖い思いをするようになった。結局、しわ寄せは弱い人に行ったのだ。

 企業活動でも、例えば自動車メーカーは電力節減令のかかる平日の電力消費を抑制するために稼働日を土日にシフトした。そのために子育て中の従業員は、土日に子どもを保育してくれるところを探すために、走り回った。それだけではない。自動車メーカーは土日シフトをしたが、重機メーカーはしなかった。その結果、自動車メーカーと重機メーカーの双方に部品を納めている中小メーカーは、納入のために、休みなく働かなければならなくなったのだ。

 他にも被害は枚挙に暇がないが、15%の節電というのが、国民の多大な犠牲の上に達成されたことは、紛れもない事実だ。しかし、そこまでして、節電をする必要があったのか。つまり、そこまでして、原発を停止する必要があったのだろうか。

 事故が深刻な影響を与えたのだから、停止は当然という意見はある。しかし、原発を停止させたからといって、新たな事故のリスクは減るのか。いま日本の大部分の原発が定期点検からの再稼働ができずに停止中だ。その原発のなかには、使用中の核燃料が納められている。冷温停止しているからと言って、安全だということは絶対に言えない。電源供給が絶たれれば冷温停止中であっても、水素爆発を起こすのだ。福島第一原子力発電所でも、爆発した4号機は冷温停止中だった。

 私は、核燃料を建屋のなかに抱えている限り、運転中でも、冷温停止中でも、リスクは大して違わないと思う。だったら、安全を確保したうえで動かしたほうがよい。それは電力供給の確保という理由からだけではない。原子力発電所には建設のために1000億円単位の莫大なコストがかかっている。もし、停止したままにしておくと、ムダな減価償却費が発生し、それが利用者の電気料金に跳ね返ってくるのだ。エネルギー経済研究所の推計では、原子力発電所の再稼働がままならず全停止になった場合は、家庭の電気料金が2割もアップするという。減価償却費がかかってくるうえに、燃料を割高な化石燃料に切り替えなければならなくなるからだ。

 振り返ってみると、今回の原子力発電所の事故は、あきれかえるほどの、ずさんなミスの積み重ねから発生したものだった。現場に電源車が到着したのに電源ケーブルが接続できなかったとか、1号機では電源供給が絶たれても、余熱で冷却を続けられるシステムがついていたのに、バルブを開け忘れたためにそれが稼働しなかったり、そもそもディーゼル発電機が地下に置かれていたり、その燃料タンクが地面に置かれていたりと、津波対策がまったくなされていなかったことなどだ。
こうしたミスをきちんと改め、何重もの安全対策を加えれば、当面のリスクは大幅に減るはずだ。もちろん、それをやっても原発のリスクはなくならないということも事実だ。

 だから、いま我々が取り組むべきことは、事故原因をしっかり究明して、原発のしっかりした安全対策を講じることと、安価で安定した原発以外の電源を開発していくという二つなのではないか。

 脱原発を唱える人たちは、いままで大変な苦労を重ねてきた。いくら原発のリスクを訴えても、なかなか国民が耳を貸してくれなかったからだ。しかし、敵失によって生まれた原発事故をチャンスと捉え、一気に自分たちの目指す脱原発に、世の中を持っていこうとしているのではないだろうか。私は、そのやり方は、アンフェアだと思う。これまで原発推進派がやってきたことと、やり方が変わらないからだ。

 いま必要なことは、原発のリスクを正しく評価し、そのリスクと脱原発がもたらすコストを比較して、どのようなスケジュールで、原発をどの程度他の電源で代替していくのかという現実解を求めることだ。やたらと放射能の被害を叫んで、恐怖を煽ることは、判断を狂わせるし、何より被災地に大きな風評被害を与えることになる

 風評被害という意味で、もう一つどうしても触れておきたいのは、放射能汚染された食品についてだ。私は、政府の規制値を下回っていたとしても、放射能の影響が皆無だとは思っていない。しかし、私は自分自身の食生活から、被災地の食品を排除していない。選択肢がある時には積極的に被災地のものを食べるようにしているし、被災地の食品も通販で取り寄せた。なぜそうしているのかというと、そうしないと被災地の産業が救えないからだ。いつまでも義援金や財政の力で被災地での生活をすべて支えることなどできない。被災地の復興に一番重要なことは、被災地に働く場が戻ることだ。そのためにはまず、被災地の農林水産業が元気を取り戻さなければならない。しかし、政府が安全基準を設定して、それを上回る放射能が検出された食品は出荷を止めているのにもかかわらず、産地を公表したとたんに、被災地の野菜や肉や魚は、大幅な安値になってしまう。だから、誰かが現地の食品を食べないと、被災地は本来の姿を取り戻せないのだ。

 もちろん放射能の感受性の高い子どもたちの食べるものには気を配らなけれならないし、被災地のものを食べたくない人に強要することもできないと思う。

 ただ、一つだけ確実に言えるのは、被災地の食品を毛嫌いする人を、私は信用しない。いままで、さんざん被災地にリスクをばらまくことで、安い電力を使ってきたのに、事故が起こったら、さっさと被災地を見捨てるような人を信用しろというのはとても無理な話だからだ。

--------------------------------------------------------

 
 名古屋の大学の武田某のように、自分だけがいい子になろうと正義感ぶって必要以上に不安を煽っていた方が同じようにいい子ぶりたいマスコミ受けがするし、商売にもなるのです。不安を煽れば煽るほど不安に駆られた大衆は不安を少しでも解消しようと、不安を煽る人間の著書などに群がりたがります。これを恐怖ビジネスあるいは脅迫ビジネスと言います。家相占いや人相占いで根拠なき凶相を吹き込み、運が上向くと称して高価な印鑑を売りつける商法と何ら変わりません。
 
 だからこそ、全国的に知名度の高い森永氏のようなタレント評論家といっても良い人気者がこういう発言をしたことは、生意気な言い方をすれば、高く評価したいのです。
 なぜなら、こういう発言をしても彼は一銭にもならないのです。それどころか、マスコミ界や学会にも多く巣食う左翼脳の反原発派たちから攻撃を受けることになりかねないのです。被災地以外の人口が圧倒的に多い現実を鑑みれば不必要に恐怖を煽った方がビジネスになり、比較して少数派である被災地の人間の立場に立った良識的な意見を述べても、目に見える得は何もないのです。但し、人として目に見えない徳を積むことにはなります。
 特に最後の4行は、こういう人としてバランスのとれた人間が多く居れば、被災地の人間にとっては何よりのエールになり、援護射撃になり、「頑張ろう」がスローガンだけでなくなって、本気で頑張ろうという気にさせてくれるし、希望を見出すことにもなるのです。

 心より、森永卓郎氏に敬意を表したいと思います。


 
   ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
    下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099


  
 
 
 

イメージ 1

イメージ 1

        

 御来訪感謝申し上げます。

 他のブログでも取り上げられていますが、今日の産経に「まさしくこれぞ正論!」と喝采した【正論】が掲載されていました。
 これこそが被災地への真のエールであり、「被災地へ支援のエールを送る」と言いながら少しでも反対意見が出ると、いとも簡単に屈してしまう事勿れ主義の綺麗事偽善者の無様な姿に裏切られて来た被災県に住む者として、久しぶりに読んでいて清々しい気分を堪能しました。


-------------------------------------------------------------

 【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 さらば市民派のきれい事の正義
2011.9.26 02:30

 何をいつまで悲しむのか。
 なでしこジャパンの佐々木則夫監督は、素の自分をさらけ出すこと、それでここまできたという。素の自分とはまじめであることに曇りがないということである。
 
 ≪悲しみ苦しみ続けてはならぬ≫
 もちろん辛いことは限りない。被災地でいまだに父や母が見つからない。娘がもどらない。あのとき、あの場所にいなければ、息子は津波にのまれなかったかもしれない。悔いても悔やみきれない。だが、その悲しみに限りのない自分は、まじめな自分である。まじめすぎて自分を責めてしまう。
 日本では神様までがまじめである。日本の神話では神様も悩む。あの世に逝った妻が幸せだろうかと、後を追う。あの世で娘の魂を離さない父の手から、苦難の末に、その娘をこの世に連れ帰る。
 まじめは一番である。でも、神様のように苦しむことはない。たとえ姿は失われようと、夢の中で何度でも会うことができる。夢と現実は実用性が違うだけで同じだと言ったのは、哲学者のショーペンハウアーとマッハだった。こういう話は聞いてもよいと思う。
 生きているのは苦しいことだけれど、死した人々が励ましてくれる。朝日を受けるたび、彼らのエネルギーがわれわれの体に降り注いでくる。それは神々と一緒なのだといってもよいではないか。
 ばかばかしい、もっと悲しもうという市民派は、彼らだけで満ち足りた人々である。チャンネルを回せば、そんな人がキャスターとして毎日出てくる。彼らは、自分の論理だけが論理だと思っている人々、自分だけが正義だと思っている不まじめな人々である。正義を既得権益のように振りかざす者ほど胡散(うさん)臭い。正義は時代によっても違う。16世紀フランスで聖バーソロミューの大虐殺が起きた際にローマ教皇は祝砲を撃たせた。
 
 ≪われわれは試練を乗り越える≫
 何を悩んでいるのか。
 もう悩むことは何もない。われわれは試練を乗り越える。素の自分で死んだ仲間とともにまじめに生きればよい。市民派のきれい事の正義は終わった。まだ自分に正義があると思い込む彼らは、タバコ代を値上げしろとあがき、放射能が移ると嫌がって腕をさする。復興遅滞、政経不安で国民を苦しめ、朝鮮学校無償化をイタチよろしく最期に華々しく放った。彼らの世界を変えようとする意図はここまで卑俗に落ちたのである。
 「市民」という言葉はとうに薄汚れてしまった。それに気づかせてくれたことは、鳩山由紀夫、菅直人両政権の成果だった。日本は日本人だけのものでないとうそぶき、子ども手当で外国人に十億円も垂れ流しした。マルクス・レーニン主義を奉じる主催者の市民団体に、専ら政党交付金が源とみられる莫大(ばくだい)な資金を環流させた。自衛隊を暴力装置と呼びつつ、逆に自分たちが階級支配の暴力装置となって国家を内側から破壊した。
 彼らのいう「政治主導」とは独裁であり、独裁を「民主集中制」と偽ったレーニンと同様である。彼らは冷戦の落とし子、旧社会主義勢力の申し子である。米軍基地を追い払おうとし、国防を危うくした。社会主義国に内通し連帯して尖閣諸島沖漁船衝突事件のビデオを隠匿した。電力供給を様々(さまざま)な手段で阻害し、資本主義経済を弱め、多くの有力企業を海外に追いやり日本経済を空洞化させた。
 某市民派新聞も同類である。原子力ムラは戦艦大和の最期、「企業の国際競争力維持」を盾に脱原発依存を牽制(けんせい)する経済人は「国体護持」を叫んで終戦に抵抗した軍人、被災地の光景は米軍空襲による焼け野原に見えると、反資本主義の意図を太平洋戦争の敗北になぞらえる社説を堂々と掲げた。
 
 ≪多くのこと教えてくれた失政≫
 だが、時代は変わった。なぞらえるべき過去はもはや太平洋戦争ではない。冷戦こそが焦点を当てるべき歴史である。某市民派新聞のプロパガンダは冷戦時の反資本主義勢力のそれであり古くさい。彼らの描く風景は、民主党の失政が東大安田講堂攻防戦の最期、脱原発依存を叫び日本経済を弱体化させる市民たちは、「マルクス・レーニン主義」を奉じ資本主義の滅亡を願った自称革命家たち、焼け野原の光景は冷戦に敗れ荒廃した彼らの心象風景だと、そっくり言い返すことができるだろう。
 何をいつまで悩み続けるのか。早く電力供給を回復させ、空洞化を防ぎ、まじめに働く人々に雇用をもたらさなければならない。
 市民派は、バブル崩壊直後に就職氷河期にぶつかったポスト・バブル世代の低賃金労働者から、不公平をチャラにするため戦争をしようと提案されて大きな衝撃を受けた過去(赤木智弘著『若者を見殺しにする国−私を戦争に向かわせるものは何か−』)を忘れたのか。在日外国人が尊厳ある対等な立場に立てるように運動する前に貧困労働層の日本人男性をなぜもっと対等に扱ってくれないのか、彼はそう市民派に訴えていた。
 まじめに生きようとしても生きられない、そんな社会を作ってはならない。市民派の失政はわれわれに多くのことを教えてくれた。(ふるた ひろし)


--------------------------------------------------------------

 震災と津波、さらに原発事故の後遺症と三重の苦しみにある福島県に住む住人としても、我が身の不幸を呪ったところで何も好転しません。
 天は自らを助ける者を佑く、といいます。これが「天佑」の意味です。
 言いたいことはいっぱいあるけど、だからといって、それにいつまでも甘えていては前に進みません。
 生きながらえている以上、無常にも亡くなった犠牲者の無念の想いも背負って彼らの分まで生きて行かなければならない義務があります。
 悲しみに浸ったまま動かずでは、犠牲者も浮かばれません。
 明るく前向きに彼らの果たせなかった夢や希望を、その代わりに叶えるのも残された者の務めと思います。
 悲しみや絶望感に浸っていられるほど、今の日本は尋常な状況ではありません。
 震災で犠牲になった方々の果たせなかった大切な人生の目標を、非情にも妨害してくれる連中が日本の政権を担っているのです。
 生き残った者の務めとして、この連中とも戦わなければなりません。

 祖国の復興を妨げる者たち。
 孫子の未来を奪おうとする者たち。
 外国勢力に魂を売り渡してしまった魂のない亡者たち。
 日本人の苦しむ様を外国人と一緒になって喜んでいる人非人たち。
 
 戦う相手はたくさんいます。でも犠牲になった方々が国の復興へ向けて必ず加勢して下さると思います。



 いつまでも立ち止まってはいられません!!

   ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
    下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099




 
 
 

物言えば唇寒し秋の風

イメージ 1

イメージ 1

        本文とは関係ありません 敬天が最近オリジナルレシピで作ってみたカレーです  

 御来訪感謝申し上げます。

 ここのところ、記事更新が滞りがちです。特に公私ともに多忙で、という訳ではありません。
 正直に申し上げますと、ご来訪の皆様に対して特段に記事にして物申すような事柄が見当たらないというのが、現在の敬天のありままの心境です。
 無論、取り上げようと思えばネタに困らないほど、内外に話題はたくさんあります。
 しかし、敬天如きがわざわざ記事にしなくてもブログ仲間や人気ブロガーの皆さんが、的確に的を突いた論評記事をたくさんUPしておられます。
 それらを拝読しているだけで感心したり、満足している今日この頃なのです。
 めっきり秋めいて来たので「秋特有の無気力病に罹っているのでは?」と指摘される方もいらっしゃるかもしれません。
 確かにそういう傾向にあるのは間違いありません。
 
 松尾芭蕉の有名な句に
     物言えば  唇寒し  秋の風
 というのがあります。人の短をあげつらって己が長を説くなかれ、という教訓じみた句であると後世解説され、ことわざにも使われてきましたが、芭蕉の句には教訓性を織り込んだものは元々あまり見当たりませんから、ここは素直に季節や風景を詠んだ俳句として解釈しすれば、口を開けて物を言うと秋風で唇が冷たく感じる季節となった、と言うことで良いのではないかと思うのです。
 つまり、大きな被害をもたらした台風15号一過、急に気温が下がり、すっかり秋の季節になってしまい、敬天も最近寒さを感じながら夏のように唇が滑らかに回らなくなったということです。
 かといって、教訓じみた解説とされる解釈も捨て難く、日頃、政治ブログとして現政権の短を批判し、糞生意気にも己が長を説く記事を書いて物申している敬天が、時々、言いようもない虚しさを覚えながらブログ活動をしている自分に気づくようになったのは、大震災からでした。
 本当は誰だって人の長を賞賛したいのです。ところが、現政権に代わってから、一所懸命に長を探してもどこにも見当たらず、あるのは短ばかりというありさまです。
 自民党もろくでもない政党ですが、まだ「長」が散見できました。
 民主党に至っては、単に短だけならまだ指摘するだけで済みますが、短どころか国民にとっては毒にしかならない存在だから余計に厄介で、「雄弁は銀 沈黙は金」と斜に構えていると国がドンドン悪い方向に進む一方です。
 そんな焦りもあって、2009年の政権交代時から必死に皆さんと共に民主党政権を批判してきましたが、3.11東日本大震災および東電福島第一原発事故発生後の政府の対応を見てきて、批判などという生易しいレベルでは「カエルのつら(面)に小便」で全く無駄なことがはっきり判りました。
 人間というのは腹の中では思ってもいないことほど、口に出して言いたがるもので国民のことなど何も考えていないから「国民の生活第一」などと選挙用プロパガンダを繰り広げていたんだ、ということも震災後はっきりと証明されました。
 
 今、当地福島は震災や津波の被害はもとより、全県的にますます増大するばかりの風評被害に悩まされています。
 これが単なる「風評被害」と片付けられるものではないことも、敬天は自覚しています。東電、政府の後手後手の対応もありますが、県民である我々自身にも風評を引き起こす因となった対応のまずさがなかったとは言えません。農産物などから未だに検出される放射性物質は、ある程度個別に自己責任で汚染を最小限に食い止める努力をしたのか、という疑問を感じています。
 新聞はじめマスコミは反原発を煽るために「地元の声」としてやたらと書きたがりますがすべては東電のせい、原発がなかったらこんなことにはならなかった、国や県、JAの指導がなかったという嘆きや言い訳は、百歩譲って福島県内では通用しても、全国的には決して受け入れられるものではありません。そんなのは今に始まったことではないだろうと。
 個々の農家によって、意識の温度差がまるで違う例が多いのも事実です。
 要は収穫した農産物の管理に対する意識の差です。自らの生産物を放射性物質による汚染から極力守る努力を最大限に行なってきたか、という危機管理意識の問題でもあります。
 今まで不作の時は国が助成し、豊作の時は値が下がった分を補填するように国が通常価格で買い上げたりして、至れり尽くせりの農政にすっかり甘えてきてぬるま湯体質が身にしみてしまった農家が多いのも否定できません。
 実は「百姓は生かさず殺さず」を未だに地で行っているJAにイイように操られているのも気づかず、頭からつま先までJAに依存してきて、何かあれば国とJAが守ってくれる、何かあれば国とJAに責任をなすりつければイイと考えてきた農家が少なくないのも現実です。こういう農家に限って、農業を国のためにやっているんだ、ということを平気で言います。
 農家を敵に回す気はありませんが、半年経った今でも国の基準値を超えた放射性物質による汚染が出荷米から検出されたという報道を見るたびに、他の産業なら当たり前の製品管理はどうなっているんだ?と言いたくなるのです。
 これでは風評被害とはいえません。風評被害とは根も葉もない誤った噂で被害を受けることであり、逆に言えば自ら風評被害を引き起こし、さらに拡大させているのだと非難されても反論できないでしょう。ごく一部のものから検出されたとはいえ、全体の印象にまで悪影響が広がるのは防ぎようのないことなのです。
 風評被害に対抗するには、それが風評であることを示すためにも自らも寸分の隙を見せてはならないのです。国に対してもです。
 
 話がいつものように脱線してしまいました。
 「物言えば 唇寒し 秋の空」を根本テーマに書いていたのに、訳が分からない論旨になってきました。
 軌道修正すると・・・
 今の政府に対しては何も期待できない、信を置くこともできない。例えば、福島の産物に対して風評被害が起きても国は何も助けてくれない、今、農業だけでなく県内の各産業の業者に対し風評被害による補償問題が進んでいますが、これも東電が単独で行なっていることです。国は今のところ、話だけです。国は時折、東電を「個別の民間企業」という表現をします、つまり、国が直接責任を持つ事業体ではないということです。
 しかし、原子力発電は国のエネルギー政策であり、その政策の下に進められて来た事業です。また、東電だけの話でありませんが、「個別の民間企業」というのなら、何故、地域独占を許してきたか?、これも電力事業に対する国策だったからではないか、と言いたくなるのです。つまり、東電はある意味「国策企業」であるのです。
 こうやって、詭弁を弄しながら責任を逃れようとするのが左翼の常套手段です。
 
 国を当てにするから、まだ期待するから何かを言いたくなり、(助けを待つ)受身の姿勢になるのですが、国は当てにならない、期待できない、自力で対処するしかないと悟りを開けば、もう国や社会に甘えられる時代は終わったんだと覚悟を決めて行くしかないのです。
 だから、これ以上政治家も甘やかしていけないのです。国民が甘えなければ、政治家も甘えられなくなるのです。
 国の立て直しには、政治ではなく国民の実行力あるのみなのだと最近強く感じています。
 久しぶりの更新なのに、相変わらず生意気かつ支離滅裂な文となってしまいました。
 深くお詫び申し上げます。


 国が悪い、政治が悪い、一番悪いのは自分でした!!

   ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
    下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

全41ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
敬天愛人
敬天愛人
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(19)
  • naomi_shararan
  • kaoppi
  • kaguyahime
  • 愛國
  • さざんか
  • LOVE LOVE 愛してる
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

標準グループ

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事