日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全41ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 1

                  ハイル カーン!!  

 御来訪感謝申し上げます。

 とうとう菅総理の“不倶戴天の敵”である産経新聞の名物記者阿比留瑠比氏も心身ともに限界に達したようです。
 ご自身のブログで「菅」という名前を書くのも忌々しいとばかりに、「アレ」という代名詞に替わってしまいました。
 その「アレ」に対する、政治部記者としての絶望的な思いを綴った記事を転載させていただきます。


------------------------------------------------------------
  恥知らずの代名詞が他者を恥知らずと非難するとは
2011/07/08 15:37 記者ブログ「国を憂いて我と我が身を甘やかす」

 口にするのも汚らわしい、見ただけで食欲が減退しやる気がなくなり、前向きに生きようという気力すら失われる例の「アレ」の件ですが、「アレ」は本日の衆院本会議で、自民、公明両党にも東電福島第1原発事故の責任があると強調した上で、こんなことを口走りました。

 「すべての失政の責任を押し付けて責任を免れようとすることこそ、恥の文化に反する行動だ」

 …ああ。「アレ」はまた考えなしに思いついた言葉をそのまま口に出し、すべてをぶち壊す行為に出ました。ここまで野党を強烈に批判すれば、いよいよ国会は進まない。世紀の恥知らずにここまで挑発されたら、もう歩み寄ることなんて考えられません。
「アレ」は間違いなく、被災者のことなんか1ミリも頭の中にはないのでしょう。あるのは被害妄想と自己愛と原生動物にも似た生存本能だけなのだと思います。

 あるいは、「アレ」の狂気と妄想の中では勝つ気でいる衆院解散・総選挙に向けて、対決姿勢を強く打ち出すことにしたのか。衆院本会議場では、この「アレ」の言葉に、与党席からもほとんど拍手が起きませんでした。自分たちがその地位につけ、またその地位の維持を認めてしまったグロテスクな「アレ」のあんまりな姿に、みな一様にうなだれているかのようです。

 孟子はこう語りました。

 「恥の人に於けるや大なり」

人間にとって恥じの心が占める意義は大きい。恥を知らなければ、最低の人間に成り下がる、という意味ですね。廉恥の心がないことにかけては同時代に比類する者なしと言われる「アレ」に言ってきかせても、どう懇切丁寧に説いても理解はできないでしょうが。

 …実はこのところ、精神的にけっこう煮詰まっていて、このブログのエントリ更新も滞りがちとなっていました。毎日毎日、目に見えない何ともイヤな毒を放ち続けている「アレ」の言動を追い、取材その他を通じてそのやろうとしていることや心境を推し量っているうちに、その毒気にあてられて、こっちがまいってきたようです。

卑劣で醜悪なものを正しくありのままに描写しようとすれば、卑劣で醜悪な表現を使わざるを得ません。結果、それを描く自分自身が卑劣で醜悪であるような思いにとらわれる日々でもあります。

 人類はその進化の過程で、原生動物のたくましい生命力を失いました。人類を人類たらしめている脳髄はあまりにか弱く、繊細だからです。反対に、あまりに強い生命力を誇るものは、プラナリアでもクマムシでも間違いなく知性を失うか、もともと持っていないものですが、その眷属をウオッチし続けるのはしんどいものです。

 国会中継を見て、「アレ」があうあうと意味不明のことを言い出すたびに、胸が苦しく、呼吸が困難となります。6日付の読売新聞の一面コラムは、第五代国鉄総裁、石田礼助氏の「粗にして野だが卑ではない」という自己紹介の言葉をもじって、「アレ」をこう評していました。全く同感です。

 「粗にして野にして『卑』でもある」

 もう笑う気もおきません。ただ一つ言えることは、「アレ」はクトゥルー神話にでも出てくるような異世界のものであり、日本に仇なす最悪の存在であるということです。「アレ」が、いかにわれわれと異なる太古の原生動物的な思考を持つか、その傍証として「アレ」自身がかつて朝日新聞社のインタビューで振り返った政治家としての歩みから引用して示したいと思います。

 《市民運動をしていたころ、国会というのは遠い向こう側にありました。つまり、政党というのは私には縁のない存在だった。だから向こう側の中にある与党や野党がどういう関係にあるのか区別はできず、社会党も含めて体制に見えていたのです。
それが議員になって国会の中に入ると、与党と野党が違うということがわかった。与党は政権に入り、野党はアンチテーゼを出していた。さらに次のステップで、自社さ連立政権で与党になり私も閣内に入った。それまでは与党と内閣の区別がつかなかったが、ここでそれがわかってきた。》


 …3回連続して落選した後、4回目の挑戦で国会議員になるほど執着していたくせにこれです。これって、まるっきり馬か鹿かそのハイブリッドではないですか。その後、「アレ」を連続して当選させ続けた有権者に八つ当たりしたい気分です。
ああ、本当に頭が痛いし、体がだるい。放射能より無能が怖い。(阿比留瑠比)

------------------------------------------------------

 官邸の番記者はどこの社の記者も似たような思いで、日々取材を続けているんでしょう。
 総理の座の前任者である鳩ポッポも憲政史上最悪の愚か者と言われましたが、現任者と比べればまだまだ毒は薄い方でした。

 つい先日、気の置けない友人がこんなことを言い出しました。
 「この間大臣辞めた、あの松本龍とかいう威勢のいいオヤジ、同和の親分だって言うんじゃないか。被差別部落がどうのこうのという、俺が土建屋で働いていた時、よく会社に電話をよこして関西弁で『機関紙を取れ』とか騒いでいた、あの類だべな。
 それでオレ思ったんだけど、今オレら福島県民は風評被害で全国的に差別を受けている状態だわな。つまり、被差別部落じゃなくて被差別県ということでしょ。
 だったら、部落解放同盟にあやかって“福島県解放同盟”つうのを作ったらどうだべ?
 オレは福島にずっと居るつもりだけど、できれば県外に行きたいという人はいっぱい居るけど、どうせ県外に行っても『福島県出身』というだけでいろいろと差別を受けるのは間違いないし、実際、あちこちでそういう話が起きている。
 このままでは、国は何年経っても原発処理は進まないと思うんだよ。ということは、ますます福島県に対する風評被害という差別は広がる一方だ。東京だとか静岡だとか結構離れた所でも放射能物質が検出されると、みんな福島のせいにされる。もしかすっと、元々そこにあったものかも知れなくてもだ。
 東京方面に住んでいる連中がちょっと体の調子が悪くなったりすると、何でもかんでもフクシマ原発の影響だと心配するバカが多いという話も聞いている。
 もうこうなったら、オレらはマトモな人生を歩むことは無理だと思うんだよ。
 福島は半永久に差別されて行くことは間違いない。
 だったら、県内の不良でもヤクザでも何でも巻き込んで政治結社でも作って、松本のように他県に睨みと脅しをきかして差別利権というのを築いて、貪ってやる方策を考えねば、と夜中に布団の中で思ったんだ。とにかく、このくらいことを考えねえと気が済まねえんだわ。 アンタ、どう思う?」

 
 「アンタ、どう思う?」と言われたって、敬天としては気持ちは十二分に理解できますが、そこで仮に彼の考えを推し進めようとすると、イデオロギーでの理論武装も含めて・・・何たらかんたらと長々と説明をして、最終的には反国家主義者として生きていく覚悟を決めるしかない。反政府ではなく「反国家」となると、我が日本は「国家=天皇と臣民(国民)、国体=天皇」、つまり天皇陛下に対し逆賊になるんだけど・・・と友人に言ったら、この気のいい保守志向の人間は「あっ、そうか。それはとんでもねえことだ。この話はなかったことにすっぺ」ということに落ち着いたのですが・・・・・・。

 「そうすっと、あの松本は逆賊ということになるんだな。ああ恐ろしい。天皇陛下に逆らう逆賊が大臣になっている現実が今の民主党政権だということだ。菅も北朝鮮の拉致実行犯の関係者の団体に何千万と献金していたニュースがあった。
 これだって菅も逆賊だということだ。逆賊が総理大臣だっぺな!

 こっちの方が、オレには放射能よりおっかねえ!!」


 


 しかし彼のように考えて、逆賊が福島県からどんどん生まれる可能性は充分にあるんです!!

   ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
    下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099
 
 
 
 

イメージ 1

イメージ 1

               

 御来訪感謝申し上げます。

 今日は不肖敬天愛人がいつも共感している若手フリーライター宮島理氏のブログからの転載です。  (太字編集は敬天です)


------------------------------------------------------------ 
 原発政策を地元に押しつけるな
2011年07月07日13時00分

 菅政権の責任逃れに憤った玄海原発の地元首長が、再稼働了承方針を撤回した。結局のところ、都市部住民は原発事故前も後も、原発政策を地元に押しつけて知らんぷりをしている。菅首相は都市部住民のそうした無意識が具現化した存在に過ぎない。
 
 原発事故後に、浜岡原発停止“要請”をした菅首相は、地元(および電力会社)に原発政策を押しつけた。原発を停止せず、仮に何らかの事故が起きれば、「“要請”を聞き入れなかった地元が悪い」と言える。また、原発を停止して、仮に停電が生じれば、「あくまで“要請”しただけで、最終判断をしたのは地元」と逃げることができる。菅首相および菅首相の“要請”を支持した(主に)都市部住民は、原発事故による心理的不安から逃れ、原発政策に関する判断から逃れるために、地元にすべてをなすりつけたのである。

 だから、定期検査中の原発再稼働についても、“要請”という手法が取られた。原発を再稼働して、仮に何らかの事故が起きれば、「あくまで“要請”しただけで、最終判断をしたのは地元」と逃げることができる。また、原発を再稼働せず、仮に停電が生じれば、「“要請”を聞き入れなかった地元が悪い」と言うつもりだったのだろう。

 それでも、原発を通して都市部に安定した電力を供給し、エネルギー安全保障にも貢献してきたという自負のある地元は、真剣に菅政権からの“要請”について検討した。その結果、玄海原発の地元である佐賀県玄海町では、再稼働を了承することにした。ただし、事故や停電の責任をすべて負わされるのは筋違いだから、佐賀県知事は菅首相との会談を要望した。当然の要求である。

 ところが案の定、菅首相は佐賀県知事との会談を拒否した。佐賀県知事と会談すれば、玄海原発の再稼働について、菅首相は明確な意思表示をしなければならない。“言質”を取られることをおそれて、菅首相は逃げ回った。菅首相の頭の中にあるのは、原発政策について、具体的なことは何も言わず、フワフワと世間の「脱原発」ムードに媚びることだけだ。

 地元の神経を逆なでしたところで、菅政権は「原発のストレステストをやる」ということを急に言い出した。本来なら、全国の原発について、ストレステストをやるための具体的なスケジュールを策定し、基本的には原発を稼働しながら、一部の原発について順繰りに停止し、数か月から場合によっては数年かけてテストを行う必要がある。しかし、菅政権はそういったスケジュールをまったく用意しないまま、思いつきでストレステストと言い出した。

 その背景には、玄海原発の再稼働について責任を負いたくないという気持ちがあったはずだ。原発再稼働“要請”で地元に責任をなすりつけられると思ったら、「菅首相と会談したい」と言われて菅首相は困った。このまま会談をしないと、さすがに世論からも非難を浴びる。かといって、原発再稼働“要請”を取り下げるのも避けたい。原発再稼働“要請”を取り下げるということもまた、「菅政権は原発を停止させたままにする」という意思表示をしたことになるからだ。それでは、停電時に菅首相が責任を問われることになる。そこで、「原発再稼働を了承した地元があるようだけど、ストレステストというのをやることにしたから、もうちょっと待ってね」と、時間稼ぎをすることにしたというわけだ。具体的なスケジュールを決めずにストレステストの実施を宣言すれば、菅首相は永遠に原発再稼働の判断から逃れることができる。

 玄海町の岸本英雄町長は「了解は苦渋の決断だった。政府のやり方は、小ばかにしている」と怒った。この怒りは当然で、どうして原発政策を地元が引き受けなくてはならないのか、という気持ちだろう。

 原発事故が起きるまでは、都市部住民は原発から安定供給される電力を享受していた。原発にはリスクがあると承知していたので、地元には多額の“補償金”が支払われていた。ただ、基本的にはそれで終わりで、都市部住民は原発に無関心だったと言える。一方、エコロジストや国策による輸出政策論者は、「原発ルネサンス」と言い、原発を積極的に推進した。エコロジストで国家主義的な民主党政権では、2030年までに原発を14基以上増やす方針を打ち出し、海外にも国策として原発を輸出した。

 ちなみに私は、「「正義」を簡単に着替える日本人」 にも書いたように、エネルギー安全保障の観点から、消極的に原発依存度の現状維持という立場を取っていた。「原発ルネサンス」には懐疑的な、流行遅れの人間だった。日本がシーレーン防衛に積極関与できるようになったり、エネルギー輸入の多様化が大幅に進めば、原発依存度は下げても構わないという考えだった。だから、原発事故後も、基本的にはスタンスを変えず、既存の原発を稼働し続けながら、エネルギー安全保障と原発依存度のバランスを見ている。原発事故があったからと言って、それまでの自分のスタンスを隠し、感情的に「脱原発」ムードに媚びるのは、最も恥ずべき事だと思っている。

 ところが、菅政権は原発事故後にコロリと態度を変えた。正確には、それまでの自分たちのスタンスを必死に隠そうとした。その結果、原発政策については具体的に何も言わず、すべてを地元に押しつける最悪の“菅流”政治が行われた。菅首相自身は、原発をなくすともなくさないとも言っていない。何となくフワフワと、「脱原発」という雰囲気を醸し出しているだけなのである。

 実は、同じことは都市部住民についても言える。原発のリスクを知り、地元に“補償金”を支払っておきながら、都市部住民は原発事故後に「原発にリスクがあるなんて知らなかった」とカマトトぶった。さらに、福島原発の地元では放射性物質による環境汚染問題で苦しんでいるのに、原発から遠く離れた都市部で微量な放射性物質が検出されたからと、「こどものいのちを守れ」と大騒ぎし始めた。

 これは、一見素朴な恐怖心のようだけれど、都市部住民みずからが「被害者」となることで、原発政策にかかわる都市部住民の加害者性や責任をすべてチャラにしようという無意識の働きでもある。あれだけの原発事故が起きたにもかかわらず、本当に取り組むべき地元の環境汚染問題そっちのけで、都市部の些細な放射線問題で騒ぎ、政治的資源を浪費させているのは、都市部住民が自分たちのことしか考えていないからだと言われてもしかたがない(そして、こういう当然のことを指摘されると、客観性やロジック無視で「こどものいのちが些細なことだって言うのか!」とさらに感情的になる。「こどものいのち」を自己弁護のために軽々しく悪用するのはやめてもらいたいものである)。

 地元にはそれなりのリスクを昔から押しつけておきながら、いざ、自分たちに極々わずかなリスクが降りかかってきたかもしれないと感じたら、「放射能こわい! 原発要らない!(でも停電や不景気はイヤ)」と叫ぶ。ただ、かといって、原発政策を真剣に考えているわけでもない。菅首相の浜岡原発停止“要請”に何の疑問もなく賛同した有権者が少なからず存在したのは、「原発要らない!」という言葉が、実は「原発のことなんか考えたくもない!」というレベルでしかないことの証拠だ。

 結局、原発事故前と後とで、都市部住民は何も変わっていない。「原発のことなんか考えたくもない!」ので、原発事故前は“補償金”で原発を地元に押しつけると、無関心になった。原発事故後も、「原発のことなんか考えたくもない!」ので、フワフワとした「脱原発」ムードに便乗し、“菅流”政治を助長した。国民的なコンセンサスに基づき、長年、原発を支えてきたという地元のプライドは、ズタズタにされてしまったのではないだろうか。さらに、それでもなお、今夏の都市部の電力を安定的に供給するという使命を果たすべく、苦渋の決断でリスクを引き受け、原発再稼働を了承したら、その矜恃までもぶち壊されてしまった。

             (後 略)
 ----------------------------------------------------------------

 ある意味、菅直人という男ほど分かりやすい男はいません。
 簡単にいえば、「国民に対しての責任と判断からは絶対に逃げる(ただし韓国に対しての責任と判断からは絶対に逃げません)」という菅の法則です。
 菅の法則を行動原理に言い換えてもいいのですが、菅首相の言動はすべてこの行動原理によって為されるというポイントを押さえていれば、総理の不可思議な言動は看破できるのです。
 また、与野党ともに菅総理へ「即刻退陣」を口先だけで要求するばかりで行動が伴わない最大理由は、政治家センセーたちもほとんどが行動原理を総理と同じくしているからです。同時に「菅流政治」を裏支えしているのは、こういう政治家センセーの支持者である国民なのです。
 この国民とは被害者を装ったエセ被害者たちです。

 『韓流』と『菅流』、どちらも日本を破滅させる時限爆弾のようなものです。
 時限が来る前に処理しないと最悪の状況を招くだけです。
 喉から手が出るくらい爆弾処理班が欲しいのです。

 

 あえて言う、原発事故の本当の被害者は福島県民だけだぞ!!

   ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
    下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099

イメージ 1

イメージ 1

                     フランク・シナトラ(1915‐1998)  

 御来訪感謝申し上げます。

 「政治」カテゴリーのブログをやっていると、どうしても毎回下世話な話になってしまいます。
 若い頃、当時の知り合いの県会議員が「政治家とは最も俗な人間が就く職業である」と自嘲気味に話してくれたことがありました。
 確かに俗物でないと務まらないのが政治の世界です。
 ここ数日、世間を騒がせた松本某などはその最たる者でありますし、パフォーマンスしか能のない無能・無責任を絵に描いた菅直人はじめ民主政権の面々を見ていると、まともな感覚の持ち主はうんざりするだけです。
 元五代目山口組後藤組の後藤忠政(現後藤忠叡師)組長は著書「憚りながら」で島田紳助をして「小チンピラ」と称しましたが、政界に巣食っているのも小チンピラ連中です。
 
 連日こういう小チンピラの記事ばかり書いているのでは、決して精神上良くありませんから、たまには、小チンピラどもには絶対にできない「ちょっとイイ話」を取り上げたいと思います。

 不肖敬天愛人が20年前に、当時は脚本家の倉本聰のエッセイが好きでエッセイ集の単行本を何冊か買って読んでいたのですが、その中にあった敬天お気に入りの一説――米国の往年の大スター故フランク・シナトラについての深イイ話――を紹介致します。


--------------------------------------------------------
  もてなし

 新幹線が好きだった。
 夢の超特急と言われたあの滑るような感覚の中で、うつらうつらとまどろみ沈み、ふと気がつくと目的地に着いている。タイムカプセルに乗っているようなあの感覚がひどく好きだった。
 映画のキャンペーンで全国を駆け巡ることになったとき、だから飛行機はほとんどキャンセルして新幹線の旅を選んだ。ところがこれがあやまちの因(もと)だった。
 うつらうつらといかないのである。
 安眠することが出来ないのである。
 眠ようとする叩き起されるのである。
 ひっきりなしに社内へ乱入する売り子の声の暴力である。
 あまりのことに頭に来てしまってどの位の感覚で来るものか計ったら、一番短いのでわずか三分。ほとんど平均七分間隔で来た。国鉄は客を眠らせない気らしい。

 もてなしということについて時々考える。
 あるとき地元の青年たちが講演会を開くことになって、さてそのお呼びした講師の方たちをいかにもてなすか議論になった。即ち講演が終わった後で宴席を用意するかについてである。
 宴会など止めるべきだと僕は言った。
 そんなわけにはいかないと彼らが言った。
 いや、先生方は講演の後できっと体力を消耗しておられる。そこへまた初対面のがさつな者共が気の張る宴席など強要したら多分うんざりなさるにちがいない。勿論中には土地の食い物を愉しみにして来られる先生方もおられるだろうから、先方の意見をあくまでお聞きして、それによって自由に臨機応変に接待の方法を考えたらいい。あらかじめ儀礼的公式的な宴席などは用意すべきではない。そう言ったら一人が奮然と反論した。
 そうはいかない。我々の面子もある。
 我々の面子―――。
 さてここから話が狂ってくる。
 本来相手を慰撫する為の、相手への為のもてなしのはずなのに、そこへ自らの事情が入ってくる。

 フランク・シナトラに招待されてアメリカへ行ったという男の話をきいた。
 もう大分前の話である。
 空港に着くとタラップの下に(当時はまだタラップを使用していた)、おどろいたことにシナトラ自身がたったひとりで出迎えに立っていた。当の男も仰天したが他の客たちもみな仰天した。シナトラは他人には目もくれず彼を見つけると大声で叫び抱えるようにして迎えてくれた。
 何故か税関ほとんどフリーパス。
 断っておくが当の男は日本では決して偉い人じゃない。単なる無名のサラリーマンである。
 空港を出ると待っていたシナトラの自家用車に乗せられ、彼のとってくれたホテルへ向かう。緊張している彼をほぐすように軽い話題と明るい雑談。
 車がハイウエイを抜けダウンタウンへ入ってホテルへ近づいたと思われたとき、「ところで」とシナトラが真面目な顔で彼に向かって初めて切り出した。
 ところでミスター、招きに応じて本当にわざわざよく来てくれた。予定ではあなたはこれから一週間、このロスに滞在することになっているわけだが、ホテルは僕が厳選してとった。多分その部屋は気に入ってもらえると思う。
 さてその一週間の君のスケジュールだが、いろいろ御予定もおありだろう。私はずっと君といたいが、それでは君が気づまりだろうし第一君の予定を狂わすことになってはいけない。それで、これから部屋を確認したら一寸だけバーに付き合っていただいて、お疲れだろうから私は引き揚げる。後は自由にゆっくりして欲しい。明日からずっと用のない限り私は遠慮して顔を出さない。
 用があったらすぐ呼んでくれ。
 今運転しているこの男は私の秘書兼ボディガードだ、彼の電話を今教えるから二十四時間いつでもかけてくれ。やむを得ないスケジュールが入っていない限り、いつでも私はかけつける。
 私への用以外のことについても、何でも彼に言いつけてくれ。
 食いたい物。見たい所。行きたい所。困った時。何か欲しい時。女が欲しい時。
 何でもいいから彼に言ってくれ。二十四時間何時でもかまわない。いや、彼は君の為だけにそこにいるんじゃない。気にしないでくれ。それが彼の仕事なんだ。そうやって一週間自由に愉しんでくれ。
 ただ、ひとつ。
 ひとつだけ私から頼みがある。
 最後の晩だけ私に空けてくれ。
 一緒にめしを食い、ショーを見たい。
 その晩だけは私の為に、君の時間を空けといてくれないだろうか。OK?ありがとう。無理を言ってすまない。愉しい夜を保証する。

 それから彼はホテルへ着き、シナトラ自身がチェックインしてくれ、そうしてホテルのペントハウスの最高級のスイートへ―――それは男の日本の住居など比べものにならない坪数と豪華さで。為に幾分正直なところ心の底で傷ついたらしいのだが―――自ら一緒について来てくれて、気に入ったか? OK。よかった。うれしい――――。
 そしてふたりはバーへ行って少し飲み、シナトラは引き揚げて行ったというのである。

 もてなし。
 それは自分の為でなく、相手の為のものである。
 国鉄はどのように考えるのだろうか。 (倉本聰エッセイ集「左岸より」から)

------------------------------------------------------

 この話を本の中で読んだ時、批判を恐れずに申し上げれば、正直言って「これではアメリカと戦争しても負けるわ」と何故かつくづくと感じました。
 フランク・シナトラの自分の客へのもてなしのスケールの大きさではありません。
 倉本さんも指摘しているように、日本人は相手をもてなすにも相手への配慮よりどうしても自分の面子が先に立ってしまいがちです。
 相手が望むことよりも、自分が恥を掻かないことにとらわれすぎているような気がしてなりません。一応「相手に失礼のないように」と礼を尽くしているつもりでも、それが相手に喜んでもらえるものかは相手が決めることであります。
 宴席を設けるにしても、往々にして接待を口実に自分が楽しみたいからという部分が無きにしもあらずではないでしょうか。
 それでは結局「相手の為ではなく、自分の為」になってしまいます。
 相手の方もこちらに恥を掻かせないように、喜んだふりをしてくれているだけかもしれません。これも日本人の美徳である「お互い様」の心なんでしょうか。
 シナトラだけでなく白人は自分の時間を非常に大事にします。その代わり、他人の時間も同じように大切にします。
 イチローがアメリカに行って心がけたのは、「野球ファンは自分の大切な人生のひとときを使って自分の活躍を見に球場に足を運んでくれるのだから、もし自分が活躍できなかったらファンの人生の貴重な時間を無駄にしたことになってしまう、それでは自分の存在価値などないだろう」ということだったとTVの密着番組で話していました。
 これが外国でも通用するイチローの賢さであり、強さなのでしょう。日本人にありがちな甘えの精神構造がありません。
 この時も、果たして日本人選手でこんなことまで考えてプレーをしている人間は何人いるだろうか、と思いました。
 和を最優先する日本社会と違って個人主義社会だからと言ってしまえばそれまでですが、シナトラのエピソードを読んで他人の人生の時間にまで敬意を表していること、また、それが彼らの価値観でもあるというのがはっきりとうかがえる話と感じました。
 白人の世界には公的なものだけでなく友人・知人を招いての個人的なパーティー文化がありますが、互いの人生の時間を共有して大いに楽しむ文化、これなどまさに「もてなし」の最たるものではないかと思うのです。
 客を招く側の主人のことを英語でホストといいますが、この語源は教会で聖職者が無私の献身と歓待をするホスピタリティから来ているらしいですが、シナトラのもてなしぶりを見ているとまさにピッタリであります。
 
 勿論、敬天が勝手に感じたことです。 感じ方は人それぞれですので、皆様はどう感じられたかをコメントでお教えいただければ幸いに存じます。


 敵が何を感じ何を考えているのかを知らなければ戦争には勝てません!!

   ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
    下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099




 
 
 
 

イメージ 1

イメージ 1

            

 御来訪感謝申し上げます。
 
 松本龍が辞任しました。こんなに全国規模で自分への非難が集中するとは思わなかったのでしょう。もっとも、元々やりたくない職責だったのでこれ幸いと辞任したと見る向きもありますが、少なくとも松本のプライドはズタズタになったのは間違いありません。
 部落解放運動家で名を馳せた血縁的には大叔父である養祖父から父へと続いた人権派左翼としての名声と同和利権を、自動的に受け継いだだけの苦労知らずのボンボンが、七光り×2で虚勢を張ったところで、それが通用するほど東北は甘くないのです。
 仙台の東北放送が松本の最後の脅し文句「これはオフレコだからな。書いたらその社は終わりだからな」まで放映して反響が広がったので、他のメディアも後追いで包み隠さず報道せざるを得なくなったのですが、最初は皆及び腰で肝心な部分はカットして報道していました。 報道の役目を最初から放棄していたわけです。
 報道機関が報道の役目を放棄していたら、単なる宣伝広報機関になってしまいます。
 そういえば、大衆メディアは今は完全に韓国及び韓流の宣伝広報部と成り下がっていました。


 不肖敬天愛人が敬愛する作家安部譲二氏も報道機関の姿勢にお怒りのようなので、先生のブログ記事から転載させていただきます。(太字編集は敬天です)

 
-------------------------------------------------------------
 第159回 『ビールの不味い夏』

 俺は六月二十三日から古舘伊知郎の報道ステーションを見るのをやめた。 永年の習慣をやめた理由を説明したいので、俺は二十二日の番組内容をほんの一部だけ再現する。

 その日、古舘はスタジオを若い女アナウンサーに任せて、放射能汚染で計画的避難区域と指定されて退去しなければならなくなった福島県の飯舘村を訪れていた。

 無人となった村役場で、村長へのインタビューが始まる。そんな場面で、まず俺が驚いたのは村役場の建物の立派なことだ。近代デザインの鉄筋コンクリートで、何となくイメージにある、鄙びた村の役場ではない。

 「これも東電マネーか?」と俺が呟いたら、一緒に見ていた女房殿は、「この村は原発から30キロ以上離れているから、多分違うんじゃない」と言う。

 建築屋でも不動産屋でもない俺だが、十億か二十億は掛かっているように思えた。東電が出した金で造ったのではないとしたら、余程豊かな村で税収がどのくらいあるのだろうと、インタビューが始まる前に俺はそんなことが気にかかって仕様がない。

 部下を従えず独りでインタビューに応じた村長さんは、実直が顔に顕れているような方だった。お世辞ではない。俺にはそう見えたんだ。お歳は確か六十四歳だったと、これはインタビューの途中で分かる。
 もし俺が六十四歳で、原発事故のあおりを喰らって、仕事場や自宅を退去しなくてはいけない羽目に遭ったら、とてもこんなに穏やかには振る舞えないと思う。

 感情をコントロール出来る真面目な村長さんなのだ。東電や安全・保安院、それにカンカラ内閣への恨み言も怒りも、この村長さんは一言も口にしない。
 村役場のロビーは、暗くひっそりとして電話だって鳴らない。約六千人いた村民はバラバラ。役場は最低限必要なものだけ持って福島市内に移転しなければならない。遠くへ移住して辞める部下だっているだろう。それでもヤケになんかならずに、身なりを整えてテレビのインタビューに淡々と応じる。俺は胸が詰まって、呑んでいたビールのコップを置く。

 村長さんの着ていたシャツの胸に、黄色の地に銀色の星が二つ付いた、階級章のようなものが付いている。「村長さんの胸に付いているアレは何だろう?星二つは村長で、町長なら三つか?」と俺は呟いたのだが、そもそも女房殿は全く気が付いていない。
 わざわざ立ち上がった俺が、テレビを指差して教えたら、「ああ何でしょうね」なんて言う。髪に櫛を入れ、靴を磨いた村長さんがわざわざシャツに付けていたんだから、俺たちが知らないだけできっと大勲位ぐらい誇らしいものに違いないんだが、訊けば十秒で分かることなのに古舘はひと言も触れない。

 古舘伊知郎はいろいろ親切ごかしに話を訊いた後で、最後に避難した村民はいつ村に帰って来られるかと、呆れた質問をする。放射能の流出が止まってもいないのに、そんなこと村長に訊いてどうなるんだ。

 まずダダ漏れの放射能を止めて、石棺か何か知らないが廃炉の工程が決まって、汚染レベルをキチンと測定した後、人や家畜や作物に影響が出ない環境に改善出来るまで、一体どのくらいかかるのか?
 政治家だって科学者だって、今の時点では誰も答えられる訳がない。世界的に経験したことのない事態が進行中なんだぞ。

 村だからこんなことが訊けるんだ。
   
 東京都や大阪府でも古舘は、石原都知事や橋下府知事に同じことを訊けるか。丁寧語や胡麻擂り謙譲語を使って、人を舐めたことをぬかすんじゃねぇよ。まったく意味のない質問だ。お気の毒な村長さんに伺うのは、イジメかイビリでしかない。
 真面目で実直な村長さんは、俺みたいに怒りもせずに、「二年をメドに帰れればいいと思っている」と言った。ニュースは伝える者の価値観次第だとつくづく思う。

 枝野官房長官の定例会見や、東電や安全・保安院、原子力安全委員会の会見をこの三ヶ月、いやおうなく長時間見せられて、この国のジャーナリストと自称する連中のだらしなさに改めて絶望した。

 国も企業も、都合の悪いことは隠しもするしウソもつく。
 それを追及して一歩でも真実に近づこうとするのがジャーナリストの役目じゃないか。他に権力を監視する商売の奴はいないんだ。権力と添い寝するのが日本のジャーナリストで、ニュースは広報宣伝番組だ。

 お為ごかしに泣かせる話やちょっといい話、現実から目をそらすニュースショーなんて、見ていても時間の無駄だ。

 価値観がおかしいニュースを見ていると、ビールが不味くなる。
 女房殿と飼い猫の機嫌も悪くなる。腹が立って寿命だって短くなるんだ。

----------------------------------------------------

 松本龍にしても、村井宮城県知事や達増岩手県知事に対してとった態度を石原都知事や橋下府知事にもとれるか?という指摘がありました。
 相手によって態度や質問を変えるのは、それこそ「長幼の序」ならぬ「強弱の序」なんでしょう。つまり、獣性の世界(動物の世界)です。
 松本のような弱肉強食の世界に身を置く者ならいざ知らず、「ペンは剣より強し」を矜持とするジャーナリストが権力の大小によって、遜ったり(へりくだったり)、慇懃無礼な態度に出たりしているのでは、自らジャーナリストの使命を放棄しているようなものです。
 これでは彼らが「社会正義」を標榜する一大看板が泣くというものです。
 とにかく、日本の言論・報道にはタブーが多過ぎると言われて久しいですが、そのタブーを作っているのは権力や暴力に媚び諂うジャーナリストたち自身なのです。
 敬天は原発事故による風評被害がこれほどまで広がったのはジャーナリストの責任に負うところが大きいと考えています。
 一歩でも真実に近づいた報道をしようとするのではなく、権力やカネに目が眩んだエセジャーナリストがそれぞれ「旦那」とする機関や団体の意向のままに、好き勝手に無責任な情報を垂れ流しにしているおかげで、様々な情報が錯綜し混乱するばかりで益々国民の不安を煽っている様相を呈している状況になっています。
 いわば、勝手にお祭り騒ぎをして楽しんでいる「愉快犯」ともいうのでしょうか。
 こんな連中に「権力の監視」など出来るはずがありません。
 
 「マスコミは権力の鏡であれ」という言葉があるそうです。権力者がマスメディアという鏡に映った自分の姿を見て襟を正すようにしなければいけないという意味らしいのですが、その鏡が曇って汚れているのでは、本来の機能を果たせないのは当然です。


  根っから穢れているために、洗ってもキレイにならない曇って汚れた鏡は使い物になりません。
 使い物にならない鏡は燃えないゴミの日に捨てるしかありません。

 だから、マスゴミというのでしょう。


 焼酎党の敬天にとっては、焼酎の梅割りが不味いぞ!!

   ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
    下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099




 
 
   

イメージ 1

イメージ 1

                村井嘉浩宮城県知事  

 御来訪感謝申し上げます。

 昨日からドラゴン松本こと松本龍復興担当相の岩手・宮城両県の知事に対する不遜極まりない狼藉の数々にネット上が燃え上がり、さすがのマスメディアも報じざるを得なくって全国的な話題となっています。
 当然、ブログの世界でもドラゴン松本を激しく非難する声がたくさん上がっています。

 そこで、不肖敬天愛人は松本復興相に対する批判は他のブロガーの皆様にお任せして、村井宮城知事への苦言とエールをお送りさせていただきたいと存じます。


--------------------------------------------------
 宮城知事が復興相発言に苦言 「国と地方は対等」
 宮城県の村井嘉浩知事は4日の定例記者会見で、松本龍復興対策担当相が3日に岩手、宮城両知事と会談した際「知恵を出さないやつは助けない」などと発言したことに対し「国と地方は対等なパートナー。命令口調ではなくお互いの立場を尊重した方がいいのでは」と苦言を呈した。
 その上で「被災者の皆さんは、本当に国と県、市町が協力して手をつないで対応してくれるか、不安に思われたかもしれない」と懸念を示した。
 松本氏が応接室で待たされたことに不快感を示したことについては「応接室にお招きし、定時に私が入った。社会通念上は正しい接遇だったと思う」と強調した。

---------------------------------------------------

 拝啓 宮城県知事 村井嘉浩様
 知事におかれましては、日々激務の連続で心身ともに限界の域に達しているのではないかと案じさせていただいております。
 そのような中で今回の松本復興相との会談でのやり取りなどは、疲労困憊の身に追い打ちをかけるような不幸な出来事ではなかったかと僭越ながら同情申し上げます。

 さて、東日本大震災による激甚被災指定県三県で唯一の保守系知事である村井知事に対し敬意を表すと共に、同じ被災県である福島県の住民として、一言、苦言とエールをお送り致したく、失礼を承知の上、筆を執らせていただきました。

 まず、知事に苦言を呈したいのは、上記引用記事にあります「応接室にお招きし、定時に私が入った。社会通念上は正しい接遇だったと思う」という知事のお言葉に代表される知事の認識の甘さについてであります。
 無論、松本大臣が言っている「自衛隊なら長幼の序」云々などというつもりはありません。
 私が申し上げたいのは、知事もご承知のように相手は部落解放運動の活動家とは名ばかりのその実、同和利権を貪って巨万の富を築いてきたヤクザもんの家に生まれ、親や養祖父の威光で、国政の場に立っている小チンピラ上がりのボンボン議員であります。
 いわば、ならず者・ゴロツキの類であります。
 こんな人間に対応する場合は、相手に付け入る隙を一切与えてはいけません。
 元々、仕事をやる気もない男ですし、自衛官出身の保守政治家が知事を務める県に対しては何もする気がない人間です。
 できれば、隙あらば難癖を付けて、仕事をしない言い訳にしようと考えているような男でもあります。
 だから、わずか1分数十秒待たされただけで、これ幸いと文句を付けてきたのです。
 松本大臣にしてみれば、「政府の人間が休日返上でわざわざ宮城まで来ているんだぞ、先に待って出迎えるのが当たり前だ」という思いを持っていたとしても何ら不思議でもありません。ましてや、「長幼の序」と良いたがる人間ですから、自分より10歳も年下の地方自治体の首長に待たされた、という気持ちが働いたのでしょう。
 元来、松本のような小チンピラは虚勢とハッタリを先にかまして、主導権を握ろうとするものです。記者やTVカメラなどが周囲にいると余計に調子づいてパフォーマンスをしたがる習性があります。知事は松本の術中にハマったと言ってもいいかもしれません。
 我が福島県ではこんな例もありました。
 震災発生1週間後の3月18日に、当時は防災担当大臣として松本は福島県の被災地や県の災害総合本部に物見遊山の体でやって来たところ、待ち構えていたかつて参院議員で民主党代議士として同僚でもあった佐藤雄平知事に、挨拶もそこそこにこっ酷く叱りつけられたことがありました。松本は佐藤知事に言い返すこともできず、平身低頭で謝っていました。
 村井知事は防衛大学校に入学するまで大阪府豊中市で生まれ育った関西人と聞いております。対して、佐藤知事は生まれも育ちも福島県の会津であり、東北人であります。
 今回の騒動の発端となった会談の一部始終を撮影していた御当地の東北放送は、松本が取材陣に「オフレコだよ。書いたらその社は終わりだよ」とコワモテで釘を指していながら、意に介せず堂々とそのまま全部ニュースで流しました。
 このことは、多分、松本本人だけでなく、知事もさぞ驚かれたろうと思います。
 同和の親分が取材陣に脅しをかければ、関東以西のマスコミなら決してありのまま報道することはないと思います。
 実は、それが東北なんです。
 東北では被差別部落の存在は極めて少なく同和問題は一般にはそれほど認知されていないのです。
 逆説的にいえば、関東以西と比べて気候も風土も厳しく貧しい東北地方は明治以降、政治的にも差別を受けてきたような土地柄ですから、東北全体が被差別部落のような存在なのです。私自身も生れて50数年、身近に部落問題を見聞きしたことはありませんし、日常で話題になったこともありません。
 差別とは、差別する人間がいるから差別問題となるわけで、差別する人間がいなければ差別そのものは存在しません。ましてや、東北人は自分たちが長年差別されてきたようなものです。
 そんな土地柄ですから、知事の地元企業である河北新報系列の東北放送だって、同和の親分の怖さなんて知りません。
 現場の取材者の一存で一部始終を放映することは考えられませんから、東北放送の上層部でも「実にけしからん、松本が何ぼの者だ」と放映を決めたのだと思います。
 ネット上では「TBC、GJ!!」と賞賛の声が上がっていますが、当の東北放送にしてみれば、賞賛されるほどのものではないというのが正直な気持ちだと思います。
 先述した佐藤福島県知事の一件もそうです。関東以西の常識では悪名高き同和の親分を恫喝するなんて考えられないでしょう。当の松本もかなり面食らったと想像します。
 自分の威勢が通用しない地域もあるんだ、と生れて初めて知ったと思います。
 村井知事も内心かなり驚かれたのではないかと、東北放送の放映ビデオを拝見した時の知事の表情と現在の表情の違いを見るに、そう感じざるをえませんでした。
 しかし、今回は村井知事が「自分の威勢が十二分に通用する」大阪府の出身と知っていたので、虚勢を張ったのだと推察しています。

 どうか、村井知事にお願いしたいのは、東北地方のある意味「特異性」を充分にご理解されて、宮城県民のみならず東北人すべてが従いているのですから、松本如きならず者に気兼ねなどせずに堂々と復興へご尽力いただきたいと存じます。
                                敬具


 松本龍よ、貴様の威光など東北では通用せんぞ!!

   ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
    下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099




 
 
 
   

全41ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
敬天愛人
敬天愛人
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(19)
  • 鉄人4号
  • 近野滋之
  • yoshie
  • にっぽに屋にっぽん
  • ほるすたいん
  • kaguyahime
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

標準グループ

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事