御来訪感謝申し上げます。
福島県に住む者として、もうこれ以上はこういうニュース記事は勘弁してもらいたいという気持ちでいっぱいであり、あえて取り上げるのも馬鹿馬鹿しい限りなのですが、かといってスルーすると抗議や主催者である日進市の対応を認めたことになるので、ブログ記事として上梓させていただきます。
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放射能心配…市民の抗議で福島産花火の使用自粛
読売新聞 9月19日(月)13時30分配信
東日本大震災の被災地の復興を応援しようと、愛知県日進市で18日夜に行われた「にっしん夢まつり・夢花火」大会で、市などでつくる大会の実行委員会が、福島県川俣町の業者が生産した花火の使用を市民からの抗議で急きょ取りやめていたことがわかった。
実行委員会によると、震災復興をテーマに岩手、宮城、福島各県産のスターマインを打ち上げる予定だったが、16日から17日にかけ、「放射能汚染の心配はないのか」「安全性を示すデータはあるのか」などと、電話やメールで抗議が20件ほど寄せられたため、対応を協議。打ち上げを委託した愛知県内の業者からも放射能検査機器がなく、放射線量の確認が間に合わないと連絡があり、17日、福島県産スターマイン1セット(80発)だけ、愛知県内の業者の花火に代えることを決めた。
日進市の萩野幸三(こうぞう)市長は記者団に対し、「結果的に福島県の方々に大きな迷惑をかけて申し訳ない。被災地にエールを送るつもりで、福島の花火業者を指定して企画したが、市民の不安にも答える必要があり、実行委も打ち上げを判断仕切れなかった」と話した。
最終更新:9月19日(月)13時30分
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京都の五山送り火での岩手の薪木の件、福岡のショッピング広場での福島県産品フェア中止の件、と全く同じような性質の出来事であります。
全て、始まりは「震災復興をテーマにした被災地へエール」という主催者の「善かれと思って」の「善」の動機でした。これがそのまま何事もなく遂行されていれば、動機の通り「善の行い」として賞賛はされても批判を受けることはなかったはずです。
過去に京セラの創業者稲盛和夫の著書を読んだ時、その中で稲盛は企業を経営していく中で新しい事業を始めたり、事業を拡大する時など、必ず自分自身に「動機は善なりや?利にないか?」と深く問うて「動機は善なり」と100%確信した時だけ、GOの決断を出したそうです。つまり、稲盛の説く事業家としての哲学「利他の心」の核心となっている部分ですが、ここでいう「動機は善」とはあくまでも「自己の利」ではなく「他者の利」でなければならない。「自己の利」を先に考えて「他者の利」を後回しにすれば、その事業は必ず失敗する。なぜなら、事業とは「他者の利」になって初めて「自己の利」に結びつくものだからである。したがって、事業案件を精査する時あらゆる角度から見て確実に他者へ利をもたらすものか、そこに自己の欲(=利)が寸分でも入っていないかを検証する。 もし、寸分でも自己の欲があれば事業を進めて行く間に必ず壁にぶつかり、自己の欲が邪魔をしてその壁を乗り越えることはできず失敗するというのが「利他の心」の本旨です。
いつもようにかなり話が脱線してしまいました。ここで経営哲学を語るつもりで稲盛の話を引き合いに出したのではありません。
京都の五山送り火、福岡のショッピング広場での福島産品フェア、今回の花火大会、すべて「動機は善」だったと、不肖敬天愛人は申し上げました。
しかし、この表現は正確ではありません。(少なくとも主催者にとっては)「動機は善のはずだった」と申し上げるべきだったのかもしれません。
ご本人たちは(被災地のために)「善かれ」と思って始めようとしたのは間違いないのですが、そこには本当の意味で「被災地のために」という確固とした信念があったのか。
残念ながらこの3件の一連の経過を伝える報道を見る限り、確固とした信念らしいものは全く見当たりません。
福島の人間である敬天からすれば、イベントを盛り上げるためのPR効果を狙った単なる口実、話題づくりが先に「動機」としてあったのではないかとしか思えません。
「否、そうではない、我々は純粋な気持ちで行おうとしたんだ」と主催者及び関係者は反論されるかもしれません。
それならば、何故一部から抗議を受けただけであっさり引き下がるのか、何の反論もできないのかと逆に問いたいのです。
これら3件は皆立派な事業であります。事業を行うということは必ず成功させなければなりません。プラン起案、計画の策定、事業実施までの工程表の作成、と準備段階でも入念な準備が求められます。
その中で、もし福島の品を使うことで風評被害による心無い抗議や反対意見が来るという想定は全くしなかったのか、また、その場合どのように対処するのかもシミュレーションをしなかったのか、と疑問に思うのです。
もし、抗議や反対を想定していなかったというのなら、それこそノー天気であり、危機管理意識、事業への責任意識のなさに呆れるばかりです。
そこには「被災地ために」という動機に対する確固とした信念がないからです。
おそらく、抗議や反対に対する何の事前準備もしなかったのでしょう。
日進市にしても典型的なお役所仕事で委託先業者への丸投げ、自ら責任意識があるならば、福島県川俣町の状況、川俣町の花火業者にデータを出させるなどはもとより、市でも安全であることを自身で確認作業を行うなどして、抗議や反対に対して(説明責任を果たすための)理論武装をして対応するはずです。ちなみに福島県川俣町の花火業者は使用する花火は業者の作業場内で製作し、放射性物質からの汚染を避けるためにそのまま厳重に倉庫に保管していたものであり、管理は充分だったと福島の地元メディアは伝えています。
確かに、こういうイベントなどで福島だけでなく東北の物を使用すると言っただけで抗議や反対を言ってくる人間が居ますし、彼らはイデオロギー的反原発派もいるかもしれないが、むしろ無知を棚に上げて風評被害そのものを面白がっている一種の『愉快犯』も多く、こんな連中には何を言っても無駄だという意見もあります。
しかし、だからこそ毅然とした対応をとってもらいたいのですが、如何せん、責任意識がなく、責任をとることを極端に恐れる人たちには「馬の耳に念仏」なのでしょう。
思いつきの「善かれ」を動機として始めても、それは「動機は善」にならないのです。
そんなのはただのダシに過ぎません。誰だってダシにされたら怒りたくなります。それだけ深く傷つくのです。「結果的に福島県の方々に大きな迷惑をかけて申し訳ない」で済む話ではないのです。
白河以北一山百文とは、戊辰戦争時に薩長土肥からなる新政府軍が白河以北つまり東北は荒地ばかりであり、一つの山でも百文の価値しかないと差別的に言い放ったことによります。
でも、東北は豊穣の地であり、江戸時代、東北から産出される米が主流を占めており、東北の米の出来高が江戸と大阪の米相場を左右していたのです。また、東北沿岸部で採れる豊かな水産資源も江戸と大阪の市場を賑わせていました。
西日本では味わえない蕎麦の美味しさも、寒暖の差が激しい気候風土のおかげで信州同様、東北の自然の恵みとも言えます。
勿論、天候不順で凶作の年には東北の農村部の被害も甚大で、娘や子供を身売りするなどの悲劇も昭和の初めの頃までありました。
それでも、東北の人たちは黙々と東北の自然が培った農水産物で関東以西の日本を支えてきたのです。首都圏の電力需要も福島が支えてきました。
ところが、西日本の各地で起きる心無い仕打ちで、このまま行けば東北は復興どころか、それこそ「一山百文」と化しつつあります。しかし、そうはさせじと東北の人間は必死に歯を食いしばって頑張っているのです。
自己満足のパフォーマンス的安易な「被災地へのエール」など、東北の人間は誰も望んでしませんし、足を引っ張るだけなら、そっとしておいて欲しいのです。
それでも「被災地のため」に何かしたいと言うのなら「動機は善なりや」を噛み締めて、「本当に東北のためなのか?」と自己問答をして確固とした「善」を貫いていただきたいのです。
無責任且つ安易な善は偽善でしかないのです。偽善は悪なのです。
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