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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!沖縄の米軍基地撤去!

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。)
(時効なき戦争責任・戦争犯罪)

●731部隊
『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)
西里扶甬子著:草の根出版:2002年発行
第三章 新しい証言者と新資料の出現
昭和天皇死去・「731部隊展」以降
連合軍に対する細菌戦
 南京勤務から東京の参謀本部勤務となっていた井本熊男の、1942(昭和17)年3月18日の日誌には、フィリピンのバターン半島にたてこもった、アメリカ・フィリピン軍に対する細菌兵器攻撃計画が記されている。ペスト菌液を主力とする細菌1000キログラムを、300発の爆弾10トンにして、10回に分けて投下するという戦慄すべきものである。「731部隊や1644部隊(南京)の生産能力は低いので、東京の軍医学校で1か月300キロの菌液を生産する必要がある」「輸送機は2機、後方のマニラに50〜100名を配置する」とも記されている。実際は細菌戦の準備が整わないうちに、第14軍がバターン半島攻略に成功し、コレヒドール要塞も陥落して、細菌戦は実行されずに終わる。
 しかし、参謀本部のなかに、細菌爆弾を中国以外の連合軍に対しても使おうという発想が、この時点ですでに存在していたことは重大である。東南アジアは日本軍と連合軍との戦場だったわけで、中国で実戦の体験を重ねた増田知貞や石井の側近の内藤良一が乗り出した。シンガポールの南方防疫給水部、防疫と給水だけが仕事だったとは考えられない。
 南方軍防疫給水部勤務だった大快良明によれば、シンガポールのエドワード7世陸軍病院に陣取った防疫給水部のなかに、内藤良一軍医中佐が主宰する独立した細菌研究室があったが、その主な仕事は「対米細菌戦の研究」だったという。
※陸軍中央が731部隊やその他の機関に指令を出していた。それにしても東京の軍医学校でもペスト菌を製造していたとは驚きである!!
 また、対米戦争に対しても細菌戦を挑もうとしていた。やはりこの分野では日本は相当の自信があったのではないか?シンガポールにも支部があり、細菌戦の研究をしていた。
その時の中心人物の内藤良一が後に、デトリックから派遣されたサンダースの通訳になるとは?
●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
目撃された虐殺の凄まじさ
韓湘淋(男)の証言
 13日の朝、私は車に乗り珠江路を通って上海路へ行きました。白系ロシアが2人手招きをして私に車を停めさせ、日本人がもう入ってきたと言いました。私は直ちに小粉橋一号の住まいに取って返しました。難民がおよそ900人余りいるのです。私が家に戻ったら、銃声がとても近くに聞こえたので、ベランダからそうっと見渡して見ました。売国奴の指図で、珠江路の角に難民がたくさんいて拍手して日本軍を歓迎し、「皇軍万歳」と呼ばわっているのが見えただけでした。けれどもすぐ続いて広州路で銃声が聞こえ、1人か2人歓迎の難民が撃ち殺され、群衆は直ちに逃げ散りました。その日、四方はどこも大火で、群衆の大声で泣きわめくのが聞こえるだけで、誰しもが極度の恐怖におののきました。そういう場景が3週間にもわたってずうっと続いたのでした。
 日本軍が入ってきてから、水道と電気が停まりました。7日目になって、日本軍はあわてて電気工事人を探して水道と電気を修復しました。私はドイツの商社に働いたことがあるので、ドイツ商のラーベが私に電気労働者を何人か連れて機械を見に下関へ行かせましたが、日本の将校2人と憲兵1人に護送されました。(明日に続く:高興祖が記録)

●731部隊と天皇

  欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

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