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『昭和の日』反対!!
日米間の密約はまだまだ存在する!! 全世界の究極の祈り・願い!! 「No more war!!」 武器よ!さらば! 沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は? 「怨」 きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 新しい日本!! 「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」 昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う! 時効なき戦争責任・戦争犯罪!! 政府は戦史資料を公開せよ!! 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ ●731部隊 『【真相】 石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』 郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より V 私は中国軍の捕虜だった 総務部調査課翻訳(情報)班 H・M 中国は訊問ではなく、思想改造で迫る 戦争は、人間を狂気に駆り立てるものである。731部隊もそうであった。冷静になって医者として考えてみれば、あの部隊でやっていた程度の研究に、人間を実験材料として用いなければならない研究などなかったはずである。すべて、動物実験で十分であった。 とすれば、731部隊で行なわれていた実験は、虐殺のための虐殺といわれても仕方ないのであろう。こんなことがまかり通る戦争は、2度とごめんである。 私は、素直に自分の弱さゆえ犯した罪をあがなう心境になっていた。 撫順監獄では、映画もよく上映された。溥儀元皇帝らと一緒に観た映画の中には、日本映画「真空地帯」やイタリア映画「自転車泥棒」などがあった。これも思想教育の一環だったのか。 昭和31年9月、私は釈放された。中国紅十字会より身柄を日本赤十字社に引き渡され、日本に復員してきた。確か第3陣だったと記憶している。 赤紙で召集されて以来、実に15年ぶりの日本であった。しかし、私は、この15年に及ぶ中国での体験を、私の人生における回り道とは、決して考えていない。 むしろ、日本に帰ってから、新たな気持ちで人生を再出発できたことに、感謝しているのである。 ※731部隊で人体実験が行なわれたのは、やはり短期間に強力な細菌兵器を作りたい一念からだったのではないか?いかにして、敵よりも優れた兵器を早く持ち、圧倒するかが戦争である。兵器開発を急ぐあまり、効果的なデータをとるために人間を実験材料にしたとしか思えない!! この方は15年という長い間、中国で過ごし、いろいろな体験から731部隊が如何に馬鹿げた事をやっていたかを痛感したが、他の直ぐに日本に帰還した優秀な医学者?は自分たちの行なったことを反省することも無く、アメリカ軍との取引の中で免罪され、今度はアメリカ軍からの要請を受けて日本で次々と人体実験を行なってしまった!!731部隊は消滅しなかった!!今度の「丸太」は中国人では日本人であった!! ・撫順戦犯管理所 http://blog-imgs-35.fc2.com/n/o/b/nobu51g/2011032316583124b.jpg 小山さんが5年間過ごした8人部屋ーラストエンペラー溥義も別の8人部屋で過ごした。靴ひもも結べなかったという ・撫順戦犯管理所の思い出 岡本鉄四郎・・・私は過去大隊本部情報係下士官として抗日軍を120名も逮捕し、椅子にしばりつけ竹刀で殴ったり革で殴ったりして取調べたあと、小さい薄暗いしかも最も不衛生な廟の中に押し込んで、たったアンペラ一枚を与えるだけで、布団もなにもやらず、一日1人たった200グラム、高粱の饅頭を支給しただけで虐待して来ました。長い間、こうして虐待したために多くの人が栄養失調になり、本当に骨と皮ばかりになった人が多くありました。そのうちの2名の人を医療手当もせず、ついに殺してしまいました。しかも捕虜の家族の方が監禁している廟の近くに来られたことがありましたが、そのときの私は自分の部下に命じてその婦人を縛らせ、さんざん罵倒し、ぶんなぐったあげく、差入れをしようと持って来た饅頭と南京豆をかっぱらって追返してしまいました。また捕虜の方々を後手にしばり、早く歩かないといって、けっとばし、軍刀のサヤで殴り、暴虐の限りをつくし、この方々を鄭州の捕虜収容所に送りました。そうした人々は、東北の昔の偽満に送られ、軍事工場の建築に使われ、次から次へと殺されてゆきました。 私は捕虜を虐待殺害したこの罪行を見ただけでも、国際法規と人道主義に違反したことがあまりにも明らかです。それなのに、今日このような寛大なお許しを得たのですが、なんとおわびしてよいか分かりません。 ・真空地帯(あらすじ) 週番士官の金入れを盗んだというかどで、二年間服役していた木谷一等兵は、敗戦の前年の冬に大坂の原隊に帰っていた。彼は入隊後二年目にすぐ入獄したのですでに四年兵だったが、中隊には同年兵は全くおらず、出むかえに来た立澤准尉も班長の吉田、大住軍曹も全く見覚えのない人々であった。部隊の様子はすっかり変わってた。木谷に対する班内の反応はさまざまであった。彼は名目上病院帰りとなっていたが、何もせず寝台の上に坐ったきりの彼は古年兵達の反感と疑惑をつのらせた。木谷が金入れをとったのは偶然であった。しかし被害者の林中尉は当時反対派の中堀中尉と経理委員の地位を争って居り、木谷は中堀派と思いこまれた事から林中尉の策動によって事件は拡大され、木谷の愛人山海樓の娼妓花枝のもとから押収された木谷の手紙の一寸した事も反軍的なものとして、一方的に審理は進められたのだった。兵隊達が唯一の楽しみにしている外出の日、外出の出来なかった木谷は班内でただ一人彼に好意をもっている曾田一等兵に軍隊のこうした出鱈目さを語るのだった。班内にはさまざまな人間がうごめいている。地野上等兵の獣性、補充兵達の猥褻な自慰、安西初年兵のエゴイズム。事務室要員の曾田は軍隊を「真空地帯」と呼んでいた。ここでは人間は強い圧力で人間らしさをふるいとられて一個の兵隊--真空管となるからだ。或日、野戦行十五名を出せという命令が出た。木谷は選外にあったが、曾田は陣営具倉庫で、金子班千葉県有為が隣室でしつこく木谷を野戦行きに廻す様に准尉に頼んでいるのを聞き驚いた。金子班長はあの事件の時中堀派の一人として木谷の面倒をみたのだが、今は木谷との関わり合いがうるさかったのだ。木谷が監獄帰りと聞こえがしに云う上等兵達の言葉に木谷は猛然と踊りかかっていった。木谷を監獄帰りにさせた真空地帯をぶちこわそうとする憎しみに燃えた鉄拳が彼等の頬に飛んだそれから木谷は最後の力をふりしぼって林中尉を探しまわった。彼に不利な証言をした林中尉に野戦行きの前に会わねば死んでも死にきれなかった。ついに二中隊の舎前で彼を発見した。彼の必死の弁解に対し木谷の拳骨は頬にとんだ。やがて、転属者が戦地に行く日が来た。花枝の写真を懐に抱いて船上の人となった木谷に、ようやく自分をきりきり舞いをさせた軍隊の機構、その実態のいくらかがわかりかけてきた。見知らぬ死の戦場へとおもむく乗組員達の捨てばちな野卑な歌声が隣から流れてくる。しかし木谷の眼からはもはや涙も流れなかった。 http://blog-imgs-35.fc2.com/n/o/b/nobu51g/20110323171045deb.jpg ※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43) 731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより) 731部隊では何が行われたのか ※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22) Unit 731 「731部隊(2/2)〜"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」 ※元部隊員の証言!!(7:25) 731部隊 | 日本を変える論客たち ※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46) 731細菌部隊と帝銀事件との真相1 ※エイズは人為的に作られた!!(6:33) 731細菌部隊と帝銀事件との真相2 ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! ベイツ 日本大使館宛の書簡(1937年12月16日〜27日) 皆さん方にもしも時間がおありでしたら、私と一緒に何ヶ所か、恐怖と苦痛とのなお続いている地区へ出かけられると一番よい、と私は確信するのですが、そこと皆さん方の住まっておられる所とは、すぐ近くなのです。兵士たち7人のお定まりの公務、自称「検査」なる、実際には夜になったら引っ張っていける女の人を探し当てるのに、対処させられて、この手紙を書くのが妨げられてしまいました。 夕べ私はここで眠りましたし、それがこれからも続くのでしょうが、何の助けも無い婦女や児童たちに、少しでも支援してあげられればと思っています。こういう人道的な働きに携わっている、他の外国人も私自身も、皆さん方の兵士に脅かされていますが、もしも私たちが、挙止の尋常でない日本兵に傷つけられたり殺戮されたりしたならば、誰の責任になるのか明らかです。 この手紙は純粋に善意から書かれたもので、礼儀をわきまえたものですが、ここで明らかにしました実際に起こっている、不愉快で失望させられる幾つもの事実は、日本軍が入城してから5日の間に、私たちが自分自身で経験したものです。急いで、解決と救いとの道を開いて下さいますように。 貴殿の信頼に値する 金陵大学応変委員会議長 兵士たちが記録した南京大虐殺1 兵士たちが記録した南京大虐殺2 兵士たちが記録した南京大虐殺4 兵士たちが記録した南京大虐殺5 兵士たちが記録した南京大虐殺6 ●「南京!南京!」が見られる映画サイト |
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