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尖閣問題!!
<尖閣>野中氏「棚上げ」発言を古賀元幹事長が擁護 野中広務元官房長官が沖縄県・尖閣諸島を巡り日中間に「領有権の棚上げ」合意があったと発言したことについて、自民党の古賀誠元幹事長は6日、「決してこれが解決方法だとか自分の考え方だとして話されたわけではない」と擁護した。 古賀氏は棚上げ論について「野中氏は田中角栄元首相の講演で聞いたと話しただけだ。非常に誤解がある」と強調。日中関係について「こういう状態だからこそ話し合いのできるチャンネルを生かしながら考えていく必要がある」と語った。 「歴史に対し真摯に向き合うべき」鳩山氏、日本政治家の過激な言動に喝!―韓国メディア 配信日時:2013年6月5日 10時5分 2013年6月4日、韓国・中央日報の報道によると、鳩山由紀夫元首相が韓国・済州島で開催されたフォーラムで取材に応じた際、日本の安倍首相と橋下大阪市長の言動を批判した。中国新聞ネットが伝えた。 鳩山氏は安倍首相と橋下氏の言動に対し「多くの懸念材料がある。安倍氏あるいは橋下氏の言動は賢明な日本人の意見を代表していない」と述べた。 鳩山氏は先般にも安倍首相が中国と韓国との関係を悪化させたと批判しており、今回の取材でも、尖閣諸島問題の複雑化は危惧される点が多いと話している。 安倍政権の歴史認識において、日本国内の世論がどう見ているかを聞かれると、「誠実に歴史に向き合うことはとても必要。勇気ある発言があってこそ、世論は変わる。中韓と良好な関係を維持し、経済を推し進める必要がある。日本が中韓との経済協力で、歴史に対し真摯(しんし)に向き合う必要性を認識できることを期待する」と鳩山氏は語った。 また、「7月の参院選終了後、安倍氏は東南アジアや中国・韓国との関係改善が非常に重要であると認識するだろう。たとえ関係改善の目的がアベノミクスの成功だとしても、中韓との関係改善は非常に重要だ」と指摘した。(翻訳・編集/内山) <尖閣問題>日中間に「棚上げで暗黙の了解があった」=瀬野・前重慶総領事が明言―野中発言裏付ける <尖閣問題>米オバマ大統領、「尖閣聖域化」働きかけへ=米中首脳会談の主要テーマに―米外交筋 菅長官、野中氏の「尖閣棚上げ合意」発言に不快感 「尖閣棚上げ合意」はあったのか 野中「生き証人」発言が論議呼ぶ 野中氏、日中間で尖閣棚上げ合意あったと言及 政府と異なる見解(13/06/04) 野中広務氏、中国の尖閣番組で謝罪 尖閣「棚上げは共通認識」発言、政府内に波紋 <中国>軍副総参謀長が尖閣「棚上げ論」を「賢明な選択」 安部首相は、北朝鮮の拉致問題には熱心ですが、お祖父さんがやった拉致問題については全く無視していますね!! 中国人強制連行問題!! 安倍首相の祖父岸信介が法案をつくり、政府は1942年「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定した。 この「強制連行」を策定した岸信介(当時、商工大臣、A級戦犯)は戦後首相になったが、この国の意識レベルを示している。 中国人強制連行1 「Suopei」(賠償)より http://1.bp.blogspot.com/-BNvRkjLvqgg/UblM_d-ANrI/AAAAAAAAASY/EYWsEp6FIWE/s1600/%E6%84%9B%E7%9F%A5%E3%83%BB%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C.jpg ●731部隊 昭和天皇・安倍首相の祖父・岸信介、東條英機等は、731部隊の設置認可に大きく関わっていたのではないか? 東条英機略歴抜粋(ウィキペディアより) 関東軍時代 1935年(昭和10年)9月21日には、大陸に渡り、関東憲兵隊司令官・関東局警務部長に就任[10]。このとき関東軍将校の中でコミンテルンの影響を受け活動を行っている者を多数検挙し、日本軍内の赤化を防止したという[11]。1936年(昭和11年)2月26日に二・二六事件が勃発したときは、関東軍内部での混乱を収束させ、皇道派の関係者の検挙に功があった[12]。同年12月1日に陸軍中将に昇進。 1937年(昭和12年)3月1日、板垣の後任の関東軍参謀長に就任する[13] 日中戦争(支那事変)が勃発すると、東條は察哈爾派遣兵団の兵団長として察哈爾作戦に参加した。チャハル及び綏遠方面における察哈爾派遣兵団の成功はめざましいものであったが、自ら参謀次長電で「東條兵団」と命名したその兵団は補給が間に合わず飢えに苦しむ連隊が続出したという[14]。 岸信介の略歴抜粋(ウィキペディアより) 1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には 総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎、大平正芳、伊東正義、十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、長州出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。 東條内閣の閣僚時代 http://1.bp.blogspot.com/-OD5hyZIc-sE/UZFe6Tv4hKI/AAAAAAAAAD0/gtLsTISwICE/s320/%E6%9D%B1%E6%9D%A1%E8%8B%B1%E6%A9%9F.jpg 内閣総理大臣東條英機(最前列中央)ら東條内閣の閣僚と岸(前から2列目左から2人目) 伍堂卓雄商工大臣が当時の商工次官だった村瀬直養の反対を押し切って岸の次官起用を決定し、1939年(昭和14年)10月に帰国して商工次官に就任する。その後、商工大臣に座った小林一三と対立、直後に発生した企画院事件の責任を取り辞任する。1941年(昭和16年)10月に発足した東條内閣に商工大臣として入閣。太平洋戦争中の物資動員の全てを扱った。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙で当選し、政治家としての一歩を踏み出した。1943年(昭和18年)、戦局悪化への対応として商工省が廃止され軍需省へと改組。軍需大臣は東條首相の兼務となり、岸は軍需次官(無任所国務相兼務)に就任。半ば降格に近い処遇により、東條との関係に溝が生じた。 続きは「ノブのノート」で |
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昭和天皇は、731部隊を知らないのではないか?
目的を知らないのでないか?
例え、形式上、その設置を許可しても、その目的は隠されていtのではないか?
つまり、昭和天皇も、騙されていた。
2013/7/24(水) 午前 7:06 [ イエスちゃん ]