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●731部隊本部(平房)
周囲8キロ四方のこの広大な設備で、医学者たちは人体実験と細菌戦研究をし、細菌兵器を作り、中国各地で細菌戦を実践した!!大元帥昭和天皇の責任は?? 731勿忘 731遺跡は日本軍国主義が細菌戦を行ったことの証しであり、 また、日本軍国主義がその犯罪行為の証拠を隠滅しようとしたことの証しでもある。 ー金成民(侵華日軍第731部隊罪証陳列館館長) 侵華日軍第731部隊本部遺跡CG復元映像 ●731部隊遺跡を世界遺産に!! ![]() ![]() ![]() ![]() ●福沢諭吉 福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった 雁屋哲〈週刊朝日〉 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。 ──なんのためにそんなことを? 丸山眞男は戦後を代表する知識人。日本に民主主義を根付かせるために、あえて福澤を誤読したとも言われています。ですが、そのためにオリジナルの主張を捻(ね)じ曲げているとしたらとんでもない。多くの人は原本を読まず、丸山氏ら学者の権威に従って福澤を偉人と思い込んでいるのです。 (構成 桐島 瞬) ※週刊朝日 2017年1月27日号 ●戦争に反対した人々 幸徳秋水 ![]() ウキペディアより 幸徳 秋水(こうとく しゅうすい、1871年11月5日(明治4年9月23日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。 本名は、幸徳傳次郎(こうとく でんじろう)。秋水の名は、師事していた中江兆民から与えられたもの。大逆事件(幸徳事件)で処刑された12名の1人 経歴 翌年(1911年)、有罪・死刑判決を受け、他の死刑囚とともに1月24日処刑された。こうした当局の対応には、当時すでに、国内外で知識人層の中から批判があった。社会主義者の一掃を図る当局は事件発覚を奇貨として、事件への関与が薄く大逆罪に該当しない秋水らに対し、罪を捏造して処刑した。刑死者12名のうち、実際に皇族暗殺を計画・検討し、大逆罪に該当する可能性があるのは、管野須賀子、新村忠雄、宮下太吉、古河力作の4名のみと見られた。秋水は事件当時、首謀者の1人に名指しされた管野と平民社内で同棲中であり、暗殺計画の存在を知っていた可能性がないわけではないが、そもそも管野は肺病で長く療養中であり、彼女が首謀者であったという検察の主張にはかなり無理があった。 「幸徳秋水」の展示(四万十市)田中全元四万十市長の解説 間島パルチザンの歌 槇村浩 火のやうに紅い雲の波を貫いて、真直ぐに飛んで行くもの! その故国に帰る白い列に おれ、十二の少年の胸は躍った 熱し、咳き込みながら崔先生の語った自由の国へ 春風に翼はねを搏うたせ 歓びの声をはるかに揚げて いま楽しい旅をゆくもの! おれは頬を火照らし 手をあげて鶴に応こたへた その十三年前の感激をおれは今なま/\しく想ひ出す ●南京大虐殺80年!! 日本政府の今までの全く誠意のない対応!! ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた 村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国 2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!! 安倍晋三は、南京に行くべきだ!! かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!! 戦争の反省の無い頭!! 3、村瀬守保の写真集 村瀬守保は、1937年7月に応召して上海派遣軍兵站自動車第17中隊に従軍し、中国を約2年間転戦した。その間、2台のカメラを持つ彼は中隊の非公式写真班員として、様々な光景を撮影し、写真の数は3000枚ほどになったという。 村瀬守保の写真で、南京事件に関するものは6枚ある。撮影場所は揚子江岸と、城壁外の壕あるいは支流の土手である。写真28〜31は、そのうちの4枚である。村瀬は写真を撮影した時の様子を次のように述べている。 ![]() 「御言葉」 ※また海軍は、南京陥落時、軍艦で揚子江を巡視しながら、揚子江上の敗残兵を掃射した。 ![]() 南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分 南京大虐殺の真相 マギーフィルム(字幕付き) フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」 南京大虐殺 南京事件を調査せよ!! 南京事件 兵士たちの遺言 教科書検定で南京事件の犠牲者数「未確定」、中国が反発 ※また海軍は、南京陥落時、軍艦で揚子江を巡視しながら、揚子江上の敗残兵を掃射した。 ●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発) 天皇の権限は絶大であった!! 日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕 ・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より 第1部 皇太子の教育 1901(明治34)年―1921 (大正10)年 第2章 天皇に育てる Ⅱ 彼が尊重するように教えられたもうひとつの規範は、5箇条の誓文(1868年)と教育勅語(1890年)の内容だった。これらの文書は明治天皇の権力と権威を高めるものだった。すべての臣民が従うべきこれらの理念は、裕仁にとっても将来の基準でなければならないと杉浦は考えた。 ※昭和天皇は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!! 戦争の記憶は消えない!! 英仏では昭和天皇がトップだった。 ※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!! 日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!! 「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア 井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている) ※井本熊男 ・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる ・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀) ![]() ![]() 寧波(ニンポー)細菌戦 ![]() 麗水細菌戦 ![]() (毒ガス戦) 原爆被害の重い苦しみを負いながら、学徒動員で毒ガス製造に関わった体験から自らの加害責任を語り伝える女性がいる。「戦争で受けた苦しみを知るからこそ、加害者としての責任も語り継がなければならない」。8月15日は終戦記念日。【高田房二郎】 <終戦記念日>ヒロシマの加害語る 学徒動員され毒ガス製造 ![]() (毒ガス戦) さらに昭和天皇は毒ガスの使用について直接的な責任がある。毒ガス兵器は多くの中国やモンゴルの戦闘員・非戦闘員を死に至らしめた。「日華事変」が全面戦争となる前、すでに天皇は化学兵器の要員と装備を中国に送ることを裁可していた。ベルサイユ条約第171条ならびに、第1次世界大戦後、日本が調印した国際的な協定は、催涙ガスを含め毒ガスの使用を禁止していた。しかし、軍事技術の面で劣った敵に対してはこの禁止を守らなくても問題はないと陸軍は考えていた。昭和天皇も明らかに同じ考えであった。天皇が化学兵器使用を最初に許可したのは、1937年7月28日のことであり、それは閑院宮参謀総長により発令された。北京−通州地区の掃討について、「適時催涙筒を使用することを得」と書かれていた命令である。天皇の2度目の命令は、1937年9月11日に出され、このときも閑院宮参謀総長により発令された。いくつかの特別な化学兵器部隊を上海に配備することを許可したものである。当初は実験的で、非常に小さな規模でこれらの命令が許可されたが、1938年の春・夏になると、中国、モンゴルの主要な戦闘地域で大規模に毒ガスが使用されることとなった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 日本鬼子のおきみやげ 初めて知った戦争(毒ガス) (細菌戦) 昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 初めて知った戦争731 澤田茂司令官は細菌戦に反対だった!! 『「澤田日誌」からみた浙贛(せっかん)作戦における日本軍の細菌戦』 松野誠也(明治大学大学院)【当時】より ・・・・・・(略) 澤田日誌には6月25日に再び関連する記述が登場します。 これは非常に重要な内容でありまして、支那派遣軍の反対意見が参謀本部によって握り潰されるということが記されています。内容は次の通りです。 石井部隊の使用総軍〔支那派遣軍〕よりも反対意見を開陳せしも大本営の容る処とならす大陸命〔大陸指の誤りか〕を拝したりと。命令ならは致方なきも作戦ハ密なるを要す。若き作戦課の人達を抑へる□に総長〔参謀総長・杉山元大将〕の力なからさるへからす。遺憾なり。ペスト防疫の為 一部家屋ハ焼却の命令を出す。 これを見ますと、陸軍中央と現地軍が一致して細菌戦に賛成していたのではなく、現地軍は反対していたが、大本営から指示なり命令がきて、それに従わざるえなくなったという構図が描けるわけです。しかも、トツプに立っている参謀総長は、幕僚たちがいろいろ意見を突き上げてくることを「抑へる」ことができない。それは非常に遺憾なことであると書いているのも非常に注目されます。澤田将軍は参謀次長を務めた経験があるので、参謀本部の下僚を「抑へる」ことの重要性と難しさをよく知っていたのでしょう。 次に澤田日誌に細菌戦関係の記事が出てくるのが7月11日です。石井四郎が戦線の第13軍司令部にやってきたという記述が出てきます。 石井少将連絡の為来着す。其の報告を聞きても余り効果を期待し得ざるが如し。効果なく弊害多き本作戦を何故強行せんとするや諒解に苦しむ。堂々王者の戦をなせば可なり。 何故こんな手段を執るや予には不可解なり。何れとも既に命令を受けたる以上実施せさるへからす。 仍(よ)つて次の三点に就て特に注意せしむ。/1、秘密の絶対保持/2、□□の予防/3、飛行場に攻撃を向くる事。 石井四郎の報告を聞いても、細菌戦の「効果」に対する疑問と「弊害」に対する認識は変わらず、命令だから嫌々ながらもやらざるを得ないという、澤田中将の参謀本部にたいする不満がよく伝わる一文です。あげくの果てに「何故こんな手段を執るや予には不可解なり」とまで書いています。・・・・・・(略) 東京初空襲・浙かん作戦 一般に中国軍の飛行場破壊を目的とした侵攻と言われるが、恒久的に占領できる目処もない状態で飛行場破壊のみ行っても効果は薄く12万人もの兵力を動員する目的としては疑問が残る。実際の目的は飛行場破壊よりもむしろ、それを名目とした浙江省東部一帯の蛍石産地の占領にあったと言える。財界と軍部が連携して利権獲得に動いた作戦である。 ※蛍石・・・・用途・加工法・・・古くから製鉄などにおいて融剤として用いられてきた。現在では望遠鏡や写真レンズ(特に望遠レンズ)などで、高性能化のための特殊材料としてキーパーツとなっている。フッ素の貯蔵に用いられることもある。 蛍石を採掘するのも、山東省、河南省、安徽省、江蘇省、浙江省などから強制連行された中国人だった。(約1700人) 1944年疫病がはやり、病気になったものは、隔離され食べ物も与えられず、餓死した。 ![]() ![]() 蛍石の彫り物 ![]() ![]() ![]() 赤坂離宮内の生物学研究所【1925(大正14)年】 ・昭和天皇は生物に関心があった!!勿論、細菌にも関心はあっただろう!! ・日本は富国強兵を目指した!! ![]() 1921年昭和天皇フランス視察 ![]() 1929年11月7日陸軍軍医学校(731部隊に指令を出していた防疫研究室はこの中に1932年に開設される)視察 ??A氏(731部隊幹部)の言うには、今事実関係を明らかにすると、それは戦争中の犯罪行為を暴露するだけにとどまらす、戦後の重大な犯罪事実までズルズル数珠つなぎに明らかになってしまうから、だから話が出来ない、ということなのです。?? ・731と天皇の戦争犯罪 同じように、おそらく日本政府が恐れているのは、戦争中の日本軍の戦争犯罪が暴かれて賠償の問題になることだけではなく、暴露によって戦後の重大事実が明かになることなのではないかという疑いが大きくあります。 それと同時にもう1つ大きな問題は、天皇の戦争犯罪の問題です。私も鑑定書で書きましたが、中国・浙江省寧波で細菌作戦の時、昭和15年の11月に発令された「大陸指」というのがあります。杉山参謀総長名で出ているものです。その781号によると、大陸指690号によって目下実施中の特殊ガスの試験を大陸命第439号に基づく大陸指第781号を以って終わりにすると、11月末日で終了せよという命令が出ています。特殊ガス試験というのは細菌兵器の実施使用のことです。これは明かに細菌戦の命令指示です。 「大陸命」というのは大本営陸軍部命令の略ですが、天皇が発する命令です。 当時は普通御前会議で昭和天皇と陸軍部の参謀総長、海軍の軍令部長とそれと大体原則的には侍従武官長が列席して、お上に作戦を上奏します。それでOKということになると「大陸命」を作成するわけです。陸軍部がやるわけですが、その「大陸命」を作るとそれに基づき「大陸指」を作成してこれでよろしいかと、お上にお見せするのが慣例でした。いつも必ず見せていた。それでこの通りにというと「大陸指」という参謀総長の発する命令、指令が出るわけです。作戦によっては担当の大本営の担当者、参謀が直接天皇の前へ行って作戦を事細かに上奏、説明します。・・・・・・(中略)・・・・・ 瀬島龍三という元大本営の参謀も、「陸軍は大陸命、海軍は大海命といいますが、それがないと軍の用兵は何1つ出来ない、参謀総長や軍令部総長といえども、そういう厳密な手続きを経なければ勝手に軍を動かすことは一切出来なかった」と言っています。ですから「大陸命」に基づいてというところが一番肝心なのですが、その内容はすべて昭和天皇の耳に入っていたということです。ここに731を何としてでも隠蔽しなければならなかった理由があります。・・・・(『戦後の犯罪につながる細菌戦の隠蔽』近藤昭二著より) ・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか? 医の倫理は、向上すると思う!! 中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!! 夏草をふみしめてなおも歩き続ける 軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光 住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々 長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた 【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より 日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア 混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮) 第6回学習会《731部隊の国家犯罪を裁く》 「731細菌戦部隊と医師の戦争責任」 ―いわゆるQレポートから見た金子順一論文の意義について― 講師 莇(あざみ)昭三さん 全日本民医連名誉会長 「15年戦争と日本の医学医療研究会」名誉幹事長 主催:NPO法人731部隊・細菌戦資料センター ・1992年アメリカで、731部隊の人体実験のレポートが見つかった!! 【司会】質問の時間ですが、質問・ご意見があれば、どうぞおっしゃって下さい。 (発言)初めて参加します。731部隊のお話を聞いて、自衛隊の中にこれとよく似た部隊があるなと思って、びっくりして聞いてたんですけれども、その部隊は埼玉県の大宮にあります。名前は化学学校、今現在も化学兵器である、毒ガス中でも神経ガス、窒息がス、糜爛(びらん)ガスなど、いろんな化学兵器を製造して、それを使って、いろんな実験をしています。その実験の中には、僕も何と名前をつけていいのか疑うような実験もこの目で見ました。若い隊員が、10名ぐらい、実験の内容は殆ど知らされず、研究員が教えないんですね。この部屋の半分位の大きさの部屋なんですけど、そこに研究員が正体不明の液体を撒いて、それを蒸発させるんですね。そうすると部屋がガスだらけになりますね。その中に当時開発中の一般にはガスマスクと言われていますけど、防衛省では防護マスクと呼んでいます。その新型防護マスクを装着させて、隊員を中に入れて、いろいろ運動させたりさせて、外に出た所で、東京の三宿に自衛隊の衛生学校ってあるんですけど、そこの研究員、お医者さんなんですけど、いろんな人が外で待機して、隊員からいろんなことを聞くんですね。僕は、そこで、何を聞いたか分からないんですけど、恐らく目とか皮膚とか、いろんな異常。それで僕この実験に参加したときに、不思議な実験するなあと思って、何ていう名をつければいいのかなと思って、普通は大体名前があるんですけれどもね。この実験も正式には、「新型防護マスクの実用試験」担当は、化学学校、衛生学校だったと記憶しています。それで僕は「人体実験モドキ」とつけたんですけれども、今現在も、今日も、毒ガスが合成され、いろいろな実験がされています。是非参考にしてください。 (司会)何年頃のことですか? (発言者)実験に参加したのは、昭和57年です。ただ、次から次へと新しいものが開発されています。今は、当時よりも新しい防護マスク開発され、同じような実験がされています。最終的には隊員を使う実験が一番いい実験なんですね。実際に人間を使って、ガスの実験をする。実験が行なわれたとき、研究部の実験室の冷蔵庫にあった毒ガスはVX、サリン、タブン、それからBZ?かな。確か4種ぐらいあって、何のガスを使用したかは僕もラベルを見ていないので、疑わしいですね。それからBZというのは自衛隊で米軍から情報をもらって新しく開発したガスで、無能力化剤と言ってました。自衛隊では。そのガスを吸うと9時間ぐらい体がいうことを利かなくなるんですね。ただし死ぬことは無いんですね。そして9時間ぐらい経ったら元の健康な状態になるんですね。それで、防衛省では無能力化剤と呼んでました。BZと言いましたけ。終わります。 1992年のニュース ※日本人も731部隊で細菌などを扱っていたので、細菌に感染することがあった。時には日本人も、生体解剖された!! プライム10「731細菌戦部隊」 ![]() 1938年国家総動員法が制定され医学界も戦争に全面協力した。 1942年の東大安田講堂前での医学者たちの記念写真、隊長を務めた石井四朗、北野政次、そして右腕の増田知貞の姿が見える。 731部隊の影響が医学界全体に及んでいた。医学者は陸軍軍医学校の嘱託として協力した!! ![]() 戦後も731で研究された論文が、日本の大学で審査され、博士号が授与されている!! ![]() 小泉親彦(ちかひこ) ※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物 1945年9月、自決。 |
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