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全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」 武器よ!さらば! 「怨」 きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び! 新しい日本!! (昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。) (時効なき戦争責任・戦争犯罪) ●731部隊 『731部隊の生物兵器とアメリカ』 (バイオテロの系譜) 2003年発行 (ピーター・ウィリアムズ / デビッド・ウォーレス=著 西里扶甬子=訳 かもがわ出版) ◆40年後の731部隊関係者 ◆ジョン・パウエルが暴露した免罪取引 パウエルは当時を回想して次のように語っている。 「そりゃ素晴らしい気分だった。その情報をもって対決してやろうと、アーヴォ・カーペンターを捜した。扇動罪の裁判で彼が私に向ってわめく姿を覚えていたからね。でも、それまでに彼は死んでいた」 太平洋の反対側の日本では、1982(昭和57)年4月、衆議院で厚生省復員援護局長の森山規矩夫が初めて731部隊の存在とその犯罪的実験を認める発言をした。そして、石井には1億3000万円にも及ぶ退役年金が支給されたことを明らかにした。 『アトミック・サイエンティスツ』誌のパウエルの記事には、東京裁判のオランダ人裁判官バート・ロリングの、彼を欺いた者たちへの怒りに満ちた声明文が添えられていた。 軍の中核の命令によってなされたもっとも忌まわしい日本の戦争犯罪が、アメリカ政府によって極東軍事法廷に極秘にされていたということを今になって知らされるというのは、私にとって実ににがにがしい経験である。人間を生物学的実験に使うということは、重大な戦争犯罪である。 ※パウエルが暴露した731部隊とアメリカ政府の免罪取引の波紋は大きかった。ちょうどその頃に森村誠一の『悪魔の飽食』3部作が空前のベストセラーになり、731部隊の存在が日本でも話題になっていた。森村氏もパウエルと会ったり、連絡を取り合い、彼の論文を日本でも紹介した。 国会でもいろいろ質疑が行われたようだが、上記の内容だけで終始してしまったのか、私はその詳しい内容を知らない。それにしても、石井四郎を裁かず、退役年金が1億3000万円とは驚きだ!! また、1980(昭和55)年度検定で合格している家永三郎の高等学校用日本史教科書『新日本史』の日中戦争の記述に、1983(昭和58)年12月17日に以下の一文を全面削除を命ずる修正意見をつけた。 その一文とは 【またハルビン郊外に731部隊と称する細菌戦部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国人を捕らえて生体実験を加えて殺すような残虐な作業をソ連の開戦に至るまで数年にわたってつづけた。】 文部大臣は学界の現状は資料収集の段階であって、専門的学術研究が発表されるまで至っていないとし、教科書に取り上げることは時期尚早であるとした。 これに対しても家永側が裁判を起こし、最高裁まで争われ、731部隊の記述は認められた。 ウィキペディアより引用(家永教科書裁判) 第三次訴訟 1982年の検定を不服として家永が起こした国家賠償請求訴訟。 • 第一審(1984年1月19日提訴、1989年10月3日判決、東京地裁)<昭和59年(ワ)第348号> o 判決(加藤判決)は、検定制度自体は合憲としながらも検定における裁量権の逸脱を一部認め、草莽隊の記述に関する検定を違法とし、国側に10万円の賠償を命令した。 • 第二審(1989年10月13日原告控訴、1993年10月20日判決、東京高裁)<平成元年(ネ)第3428号・平成2年(ネ)第2633号> o 判決(川上判決)は、検定制度自体は合憲としながらも検定における裁量権の逸脱を一部認め、草莽隊に加え南京大虐殺、「軍の婦女暴行」の記述に関する検定も違法とし、国側に30万円の賠償を命令した。 • 上告審(1993年10月25日原告上告、1997年8月29日判決、最高裁)<平成6年(オ)第1119号> o 判決(大野判決)は、検定制度自体は合憲としながらも検定における裁量権の逸脱を7件中4件認め、草莽隊による年貢半減の公約、南京大虐殺、中国戦線における日本軍の残虐行為、旧満州731部隊の記述に関する検定を違法とし、国側に40万円の賠償を命令した。(原告の訴えの中で却下された検定は、「日清戦争時の朝鮮人民の反日抵抗」「南京戦での日本軍の中国人婦女暴行」「沖縄戦」である) 詳しくは松村高夫編『論争731部隊』をお読みください!! 政府も731部隊の事実を隠そうと、必死である!!アメリカ側から返された資料が防衛省の管理も下に保管されているのだから、もっと国民に公開すべきである!! それにしても、東京裁判とは何であったのか?大事なことがさっぱり裁判官にも知らされず、マッカーサーの占領軍が隠していた!!これでは、本当の裁判にはならないのではないか? ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税) ※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! 2、日本軍の狂暴な個人的虐殺 目撃された虐殺の凄まじさ 靳徳勤(女、64歳)の証言 1937年の12月20日に、私は難民区の金陵女子大学にいました。日本軍は入ってきてから至る所でホアクーニャン(=若い娘)を要求しましたが、ある時日本軍が難民区に来て中国の男の青年を2,3百名捕まえ、私たちに親族認定をさせ、認める人がいる者は一方に立たせ、認める人がいないのは捕まえて行きました。その時私はお粥を買いに行ったのですが、そこに兄がいるかもしれないと思い、そばで見ていたところ、兄は見かけませんでした。その時捕まった人たちの群の中で、30歳前後の青年が私を指差し、私がその人の従妹だと言うので、その人の一命を救うために、その人は従兄ですと私が言ったら、売国奴がその人を引っ張り出して来て、この青年は難を免れました。その他の2,3百名は認定する人がいなくて、みんな下関の江辺まで捕まって行き殺害されてしまいました。 日本軍はそれに入ってきてから至る所で家を焼き、私も難民区で見たのですが、至る所に日本軍に焼き払われた家があり、夜は大きな火が天に紅く映えていました。(沈崇峰と王佩如が記録) |
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2010年07月20日
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