災害情報表示機能のテスト中です。詳細はこちらをご覧ください。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
                              「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
新しい日本!!
(昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。)
(時効なき戦争責任・戦争犯罪)

●731部隊
『731部隊の生物兵器とアメリカ』
(バイオテロの系譜) 2003年発行
(ピーター・ウィリアムズ / デビッド・ウォーレス=著 西里扶甬子=訳 かもがわ出版)
◆40年後の731部隊関係者
◆731部隊関連科学者たちの戦後
 かつて東京帝大伝研の第4部部長で、人体実験のために南京防疫給水部隊を訪問していた小島三郎教授も、戦後厚生省の予防衛生研究所に入り、1954(昭和29)年所長になった。かつて出版された書物の中では軍国主義支持を表明していた小島だが、戦後はトーンを劇的に変化させている。生い立ちの記の中で、陸軍幼年学校の入学試験にどのように落ちたかを述べて、冷静に次のように書いている。

 あの時陸軍が私を合格させていれば、後になって日本がこの“聖戦”に参加するのを阻止するために最善を尽く す策士を手中にしたことになったのだ。そうすればおそらく日本にとってはもっと幸せな歴史が展開していただ ろう。

 1963(昭和38)年のアメリカ諜報機関筋の情報によれば、第100部隊の隊長だった若松有次郎は国立予防衛生研究所にあって、小学生の間の百日咳流行をさかんに研究していた。
10年間731部隊の植物伝染病のエキスパートだった八木沢正博士は、日本ペニシリン協会の事務長となり、抗生物質協会にも入った。また国立予防衛生研究所でも仕事をした。
※このように様々な学者が731部隊で活躍していたことが分かる。小島は防疫研究室の嘱託として731に間接的に関わり、若松はあの長春にあった731部隊の姉妹部隊、第100部隊関東軍軍馬防疫廠の隊長である。
小島について内藤良一の話が載っている。(『医学者たちの組織犯罪:常石敬一著:朝日新聞社』)より
【東大の先生にもいろいろ頼んだ。ただ医学部よりも、細菌学者が集まっている伝研(東大伝染病研究所のこと)とのつながりが強かった。特に、何人かの先生には防研の嘱託になってもらい、月数回来てもらっていた。また、こちらから出かけることもあった。嘱託研究者の顔ぶれは小島三郎、細谷省吾、それに乾燥BCGを作った柳沢謙などの先生方だった。それ以外では大阪の谷口腆二先生、慶応の小林六造先生などにもお願いしていた。
●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
目撃された虐殺の凄まじさ
王琰(男、63歳)の証言
 何日かして、父が私の前から住まっていた所は安全でないと見、家中の者を「紅十字」会の建物の後ろの葦ず張りの小屋に引き移らせましたが、その日もう1人の年老いたお婆さんも15、6歳の孫娘を連れてきて住まったところ、日本兵が2人入って来てその娘さんを強姦してしまい、2日後に、お婆さんたちは引き移って行きました。
 半月ほど後に、難民区の中に日本軍がたくさん闖入し、男性の青壮年と見ては捕まえ、全部で千人余り捕まえて、山西路の広場(今の鼓楼区図書館の門口)に集め、周りに機関銃を据え付け、売国奴の勝渇h光が話をしたのでは、妻子ある者は引き取らせ、引き取る人のない者は連れて行くということで、その時私と姉の夫もその中にいて、母と姉とが引き取りに出て来ましたが、ほとんどの人はやはり連れて行かれ、集団銃殺されてしまったと思われます。
 やがて、難民区の中は少し静かになりましたが、しょっちゅう日本兵が闖入して来て姦淫したり略奪したりしました。私はやることが無く自転車に乗る練習をしました。ある日、寧海路か乗って莫乾路の方へ行ったら、日本兵とぶつかり、自転車をかっぱらわれてしまいました。当時難民区では「セーター、自転車、腕時計、日本軍に見られたら逃げ切れない」と言う言葉がはやりました。(王琰自身が述べたもの:明日に続く)

●731部隊と天皇

 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。 
  日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
※*〜*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事