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全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」 武器よ!さらば! 「怨」 きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び! 新しい日本!! (昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。) (時効なき戦争責任・戦争犯罪) ●731部隊 『731部隊の生物兵器とアメリカ』 (バイオテロの系譜) 2003年発行 (ピーター・ウィリアムズ / デビッド・ウォーレス=著 西里扶甬子=訳 かもがわ出版) ◆40年後の731部隊関係者 ◆731部隊関連科学者たちの戦後 元隊員の多くが開業したり、事業家として成功した。 シンガポール防疫給水部隊隊員で、アメリカで黄熱病のウィルスを入手しようと画策し、ノモンハン事件では石井の防疫給水部隊の一員として参加した早川清博士は、早川予防衛生研究所の経営者となり、戦争中に獲得したワクチン製造の技術を利用した。 石井の腹心の部下であり副官だった増田知貞は戦後千葉で開業した。オートバイで往診中トラックと衝突。1952(昭和27)年4月5日、頭部の重傷がもとで、51歳で死亡した。 731部隊の結核研究班の班長だった二木秀雄博士は、S.J.社の社長となった。 731部隊の設立当初から隊員となった軍医の1人で、第2部部長でもあり、常徳に対する細菌爆弾攻撃を指揮した太田澄博士は、山口県の古い城下町萩に戻り、開業した。彼の友人の話によると、太田は2人の娘が死んだ後、自殺したという。 平房のペストの研究者の中でも指導的立場にあった高橋正彦は、千葉県の茂原にクリニックを開き、開業医となった。 ※増田や太田は南京の栄(さかえ)1644部隊の部隊長だった。事故死や自殺をしているが、その他の隊員は経営者として成功したり、開業医になっている。人間の人生についてよく私は分からないが、悪いことをしたら、人間が裁判よってその人間を裁くというのもあるが、それとは関係なく、やはり業というものがその人の人生に影響を及ぼすこともあるのか?娘の死や自殺、事故死をどのようにとらえたらいいのだろうか?でも中には事業の成功により儲ける者もいた。人生は全く不可解なり!! ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税) ※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! 2、日本軍の狂暴な個人的虐殺 目撃された虐殺の凄まじさ 王琰(男、63歳)の証言 時間が長く、私1人ただ家にいるだけで退屈し、両親も遊びに出しませんでした。しばらくして、私は埋葬隊の人たちと入魂になり、その人たちが毎日朝ごはんの後、トラック2台で屍を埋めに出かけるので、こっそり車に這いあがって遊びにくっついて行きました。その時は鼓楼から南はまだ道行く人の往来が無く、埋葬隊が道沿いに手近な所で屍を埋葬しました。初めの時は、私は屍を3つ見ましたが、若い婦人のそばに2歳くらいの子供がいたのと、爺さんが頭を何太刀も刺されていたとで、その地点は上海路でした。三山街の場景は見るに忍びないもので、地に倒れているのが男もあれば女もあり老いたのもいれば若いのもいて、ある屍は既に野犬に半分食われてしまっていました。埋葬隊は初めは葦ずを1枚使い屍を真ん中に置いて端を折り畳くくって埋めましたが、やがて葦ずが無くなってしまいました。ある日陰陽営へ行ったら、道の北側の沼にほとんどいっぱいに屍が詰まっているのが見え、埋葬隊は熊手で屍を引きずり、引きずり上げた全部を陰陽営路の南の高台の上に埋め、穴1つに数百人埋めました。何年か前に陰陽営で掘り出した「白骨坑」がその穴です。一度私は車について養虎巷まで行きましたが、ほとんどの家の囲い塀の中に犠牲者の屍がありました。 埋葬の仕事はだいたい1938年の夏までかかりました。時が経って屍が腐乱し手では抱えるわけにはいかず、埋葬隊は柄の長さ50センチの大きな鉄のシャベルを2つ注文してつくり、屍を片付ける時にシャベルの1つを頭に、もう1つのシャベルを足に添え屍を葦ずの上に平らにし、それから郊外に運んで埋めました。(以上:王琰自身が述べたもの) ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか? マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。* 731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。 ※*〜*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。 |
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