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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!! 「No more war!!」 武器よ!さらば!沖縄の米軍基地撤去! 「怨」 きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 新しい日本!! 「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」 (昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。) (時効なき戦争責任・戦争犯罪) ●731部隊 『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪) 西里扶甬子著:草の根出版:2002年発行 第三章 新しい証言者と新資料の出現 昭和天皇死去・「731部隊展」以降 連合軍に対する細菌戦 1944(昭和19)年に入り、日本にとって戦局は絶望的に展開してゆくなかで、「大塚備忘録」には、4月26日の陸軍省局長会議に石井少将が呼ばれて、連合軍に対する細菌兵器攻撃の実施が検討されたとある。服部卓四郎参謀本部作戦課長が、潜水艦にPx(ペスト菌かペストノミ)を積んで、オーストラリア、ハワイ、ミッドウェイに特攻攻撃するという案を出した。またこの日の日誌には、天皇はアメリカ軍に対する毒ガス攻撃に反対しており、細菌戦実施を上奏しても許可される見込みがないので、上奏せずに「臣下だけでやる非常手段」も検討されたとある。 このことは逆から考えれば、中国に対するそれまでの細菌戦、毒ガス戦は上奏されていたことを裏付けることにもなる。これまでの調べでは、この日の会議を受けて陸軍は4月、サイパン攻防戦に細菌戦部隊を船で送り出すが、その一部はサイパン島で玉砕、一部はトラック島に向かう途中の5月10日、アメリカ軍の潜水艦に撃沈されたという。 ※まず注目されるのは、中国における細菌戦や毒ガス戦については、天皇はその作戦を上奏され、許可していたこと。天皇は日本軍がどんな兵器を開発していたかをもちろん熟知していた。そして人道上許し難い細菌兵器や毒ガス兵器の使用を軍部に許可していたことだ!!そして2つ目はサイパン島での戦いで日本は細菌兵器を使おうとしていたことだ!!この作戦について、天皇がどのくらい知っていたかは知らない? それにしても日本人は中国人をチャンコロと呼び、馬鹿にし、残酷な行為をたくさんしていた。ちょっと過去にさかのぼれば、日本は中国の文化に大変影響を受け、学んでいた国であるのに、どうしてこんなことになったのか? 一方、アメリカに対しては、敗色が濃くなると、天皇は後の仕返しが恐いのか、細菌戦や毒ガス戦を拒否する。しかし、軍部は細菌戦をあえて実行する。中国とアメリカに対する天皇のこの温度差はいったいどこから来るものか?福沢諭吉の唱えた「脱亜入欧」に影響されたのか? ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税) ※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! 2、日本軍の狂暴な個人的虐殺 目撃された虐殺の凄まじさ 韓湘淋(男)の証言 城門は、挹江門の大きな門2つがまだ煙を上げていて、門の中に停まっていた一輪車20台余りがみんなもう焼かれていました。城門を出ると、西に死体が5、6体あり、ほとんどが男で、子供の死体も2、3体あり、東にも何十体かありました。死体の様子から見て、ほとんどが惨殺されたものでした。下関は至る所まだ煙を上げていて、ずうっと止みませんでした。 その時は恵民河は水がとても浅く、浅瀬に小さな船がたくさんいましたが、どの船端にも死体が3体、5体、10体余りと色々でした。 自分の見える限りで、河端にもみんな死体がありました。 首都電気工廠は、兵士の死体が50ないし60体あって、電気工廠の労働者はみんな和記洋行に逃げて行ってしまっていました。 下関から城内へ入ると、熱河路が破壊されて様を為さなくなっていました。両側の家が9割がた焼き払われていて、焼け焦げた大人や婦人や子供の死体もありました。(明日に続く:高興祖が記録) ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 |
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2010年08月01日
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