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【転送歓迎】

日本軍「慰安婦」問題の解決を希求する日本人男性の皆様
緊急の取り組みにご協力ください!
 (8月23日までの取り組みです)

韓国強制併合100年を機に日本軍「慰安婦」問題の解決を求める
日本軍兵士の息子たち100人宣言
に賛同してください
<宣言文は下にあります>
 韓国挺対協では、韓国強制併合100年を機に、日本軍慰安婦問題の解決を求める「100人宣言」運動が取り組まれています。
 これは8月25日に韓国のメディア向けに公表されます。
 
 日本側からも、是非これに発信する必要があると考えています。
 被害者側でこのような取り組みが進められているのに、日本側から何のアピールもないのはやはり立場性が問われてしまいますし、なによりも被害者であるハルモニ達に「日本人はどうして何もいわないのだろう」と思われたくはありません。

 日本ではすでに「在日」女性100人宣言と、日本人女性100人宣言が取り組まれています。
 日本人男性として何がアピールできるのか悩みましたが、やはりここで黙って何も取り組まないわけにはいきません。日本人として、男性として、アピールしなければならないことがあるはずです。
 そこで下記のような宣言を作成しました。
 日本人男性の皆様、是非ご協力ください。

 表題は「
日本軍兵士の息子たち100人宣言」となっていはいますが、実際に日本軍兵士の息子や孫である必要はありません。日本人であればOKです。

 余談ではありますが、私自身は、祖父がフィリピンで戦死しています。母の顔を見ることなく、異国で戦死しました。以前祖父の戦友から話を聞く機会がありました。大岡昇平の小説を引き合いに出すまでもなく、ひどい戦場だったようです。そういうことに心を痛めないはずがありません。ただそこの「酋長」の娘を隊員が強姦した話を、思い出話っぽくの自己批判もなしに語られたのには驚きました。日本軍兵士のメンタリティがそのようなものであるということは、当時のことを想像すれば、私も日本人男性ではあるし、理解できなくはありません。残念ながら現実として日本人はそういうものであるし、男性とはそういうものです。だからこそ、許せないのです。そういう思いを宣言文にのせました。

 日本軍「慰安婦」問題は、男性で取り組まれている方が非常に少ないのが実際です。正直100人集まるかどうかはわかりません。しかし100人集まらなければこの企画は成立しません。

 賛同される方は
peaceright2001@hotmail.comあてにお名前(必須)フリガナ(必須)をお知らせください。同様の市民宣言も同時並行して進めているので「日本軍兵士の息子たち100人宣言」か「日本人男性100人宣言」と明記していただければありがたく存じます。
 締め切りは8月23日です。

 是非とも日本人男性の友人知人を巻き込んで、賛同者を広げてください。
 よろしくお願いします。

(おかだだい 拝)




韓国強制併合100年を機に日本軍「慰安婦」問題の解決を求める
日本軍兵士の息子たち100人宣言

 今年は韓国を強制的に「併合」した1910年よりちょうど100年を迎えます。私たちは日本軍兵士の息子として、孫として、深い反省と自己批判なしにこの年を迎えることができません。
 日本軍は、中国大陸に、フィリピンやインドネシアなどの太平洋地域に、沖縄に、日本軍が侵略し戦場となったありとあらゆるところに「慰安所」を設置しました。そこには朝鮮人女性がとりわけ多く連れて行かれ、日本軍兵士の「慰安」を強要されました。
 「慰安所」は戦場・占領地の日常風景の一つでした。当時そこにいた父や祖父たちの多くはそれを常識として無批判に受け入れ、「利用」したことでしょう。
 当時戦場・占領地に生きていた父や祖父たちとは異なり、私たちは今に生きています。何の疑問もなく「慰安所」を受けいれていた父や祖父たちとは異なり、私たちは「慰安婦」とされた女性たちが当時、どのような耐え難い日々を生きていたか知っています。一日に何十人もの兵士たちの「慰安」をさせられ、弾の飛び交う前線にまで引きずり回され、逆らえば殴られ、切られ、心をズタズタにされ、生きて解放を迎えられぁw)スことそのものが奇跡でした。
 戦争の終わった8月15日は、彼女たちにとって解放とはなりませんでした。戦後生き残った私たちの父や祖父たちの多くは日本に帰国し、何事もなかったかのように生きてきた人が多かったのですが、「慰安婦」とされた女性は現地に放置されたり、「こんな体になって帰れない」と帰国船から身を投げたり、朝鮮半島に帰っても多くの人が家族の元には帰れなかったりしました。そして戦後半世紀の間、「慰安所」での体験を誰にも明かすことなく生き抜いてきました。
 私たちの父や祖父たちが苦労をしなかったとは思いません。しかし「慰安婦」とされた女性たちの苦難と絶望を思えば、あまりにも大きな隔たりがあるといわざるを得ません。父や祖父たちの行為が直接的に彼女たちの苦しみの源になったことを思えば、それはなおさらです。
 現在日本には、日本軍「慰安婦」問題を口にすれば「父や祖父を冒涜する行為だ」と非難する人たちがいます。しかしそれは全く間違いです。まずは「父や祖父を冒涜したい」のではなく、慰安所を設置し女性に「慰安」行為を強いた日本政府の責任を問いたいのです。それを前帖w)qcjして、あえていいます。子孫の私たちが加害の行為に目を瞑っていては、・u痰竭c父たちはいつまでも罪を背負ったままです。父や祖父たちの罪をその背から下ろし、私たちに相続された罪を清算するためには、まずは事実に向き合わなければなりません。仮に戦争を生き残り、今も生きる元日本軍兵士たちが彼女たちに向き合わなかったとしても、今を生きる私たちは、父や祖父の加害行為に向き合わなければなりません。
 そして現在も日々生まれ続けている女性に対する差別や犯罪を根絶するためにも、向き合わなければなりません。男性が持つ加害者性という属性を払拭するためにも、向き合わなければならないのです。
 朝鮮植民地支配の最大の罪のひとつがこの日本軍「慰安婦」問題であり、戦時性暴力を象徴するものでもあります。植民地支配から100年を経過した今年こそ、この問題を清算しなければなりません。

日本人男性として、今年こそ日本軍「慰安婦」問題の解決を求めます
日本政府の謝罪と補償を実行し、被害女性の尊厳回復を実現することを求めます

2010年8月29日
(以下賛同者100人)


日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!沖縄の米軍基地撤去!

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。)
(時効なき戦争責任・戦争犯罪)

 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 

●731部隊
『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)
西里扶甬子著:草の根出版:2002年発行
実戦の被害地
1942(昭和17年)浙贛作戦における細菌戦
 1942(昭和17)年4月18日、日本近海のアメリカ空母から飛び立ったB25爆撃機は、浙江省衢州の飛行場を着陸基地として、東京・名古屋を初空襲した。これに驚いた陸軍中央は、浙江省の前線の飛行場を徹底的に破壊することを決定した。これが「大陸命(大本営陸軍部作戦命令)612号」による「浙贛(せっかん)作戦」である。大本営作戦参謀井本熊男大佐の日記によれば、5月30日には細菌戦実施を指示する「大陸指(大本営陸軍部作戦司令)」が、参謀本部第一部長田中新一少将から、石井四郎少将、増田美保少佐らの実戦指揮者に伝達されている。7月26日には贛州(かんじょう)、建甌(じぇんおう)で飛行機から細菌の撒布が実行されたことが記されている。
地上撒布は、日本軍に被害が出ないように、侵攻した日本軍が反転し、撤退した8月19日以降に実施された。「井本日記」8月28日には、井本大佐が支那派遣軍参謀の長尾大佐から、「ホ実施現況」として細菌戦の実施状況の報告を受けている。これは細菌撒布の地上戦に関する報告で、広信、広豊、玉山にはペスト菌、江山、常山に対してはコレラ菌を、衢県、麗水には腸チフス菌、パラチフス菌を撒布したと記されている。
※井本日誌には浙贛作戦の仔細な情報が記されていた。
●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
目撃された虐殺の凄まじさ
毛徳林(男)の証言
 一度、日本軍が突然図書館に来て、ホアクーニャン(=若い娘)を欲しがりました。私たちは方法が無く、東奔西走してアメリカ人を探して来て話をしてもらおうとしました。けれども既に婦人が日本の賊に引きずられて行っていました。数日後に、ある人がやっと後になって人の言うのを聞いたのですが、新婚の女の子が放たれて戻って来たけれど、顔色は真っ青で、がりがりに痩せさらばえ、動けなかったのです。その子は終日涙を流し、食べようとせず、ただ早く死にたがるだけでした。その子は鼓楼の東にあった傳厚崗の日本軍駐屯地に引っ張って行かれて輪姦されたと言うことです。その子を少しでも慰めるのに、私たちはその子を3階の新聞を保存しておく小さな部屋に移して、休ませ、戸の外に鍵をかけ、その子の夫が何時でも世話するようにして、難民区が解散する時に、2人とも立ち去りました。こういうことはしょっちゅう見られることで、私たちにも手に負えませんでした。その頃、両親が娘を連れて涙を流し、私たちに女の子たちを学校の寮の中に入れて欲しがりました。けれども寮はもうみんないっぱいで、自分たちで何とかさせるしかありませんでした。日本の賊がこういう低級なことをやらない時はなく、私は本当にこういう事を多く語るに忍びません。
 金陵女子大学はもっぱら婦女難民を収容していたのですが、後にある人が私に言うには、日本の賊がしょっちゅう塀を乗り越えて行き婦女を引っ張って行った由です。アメリカの女子校長ヴォートリンさんが出て来て阻止しても無駄で、それで彼女は何度も泣きました。(以上:高興祖が記録) 

●731部隊と天皇

  欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

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