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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!沖縄の米軍基地撤去!

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。)
(時効なき戦争責任・戦争犯罪)

広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 

●731部隊
『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)
西里扶甬子著:草の根出版:2002年発行
被害地への旅
寧波の細菌学者

(黄医師が、細菌学者として寧波の細菌戦被害については、静岡で行った講演から抜粋)
 11月30日の夜、開明街を中心とする周囲5000平方メートルの範囲にある115戸を一気に焼き払いました。寧波(ニンポー)の中心地に一大廃墟ができました。60年代までこれは「ペスト広場」と呼ばれて残っていました。この地域で家を焼かれ、路頭に迷った人は約400人に上りました。
 ペストが「鼠疫」と言われるゆえんは、元来ネズミ類の伝染病だったからです。先ずネズミに伝染して広がり、大量のネズミの死骸が発生してから、人間にも伝染するというのが、一般的な医学的常識です。しかし、寧波のペストの場合、ネズミの死骸が発見されなかったということは、ネズミ族の中で流行しなかった証拠です。何故でしょうか?それは発生源が731細菌戦部隊が空からまいたペストノミだからです。甲部隔離病院の62病例を分析してみると、ほとんどが腺ペストで、肺ペストが見当たりません。ということはペストノミに食われて感染したということです。しかも寧波でペストが流行した11月は、腺ペストの発生しにくい季節なのです。
 軍国主義下の命令で「731」の悪行に加担した旧日本軍人のある人は悔い改め、裁判で証言しようとしています。このことを喜んで受け入れたいと思います。また歴史の事実を理解したジャーナリスト・学者・関係者が立ち上がり、道理を説いてくれます。
 みなさん、一握りの軍国主義者たちが、中日関係史の一頁を暗黒に塗りたくりましたが、中日2千年にわたる友好往来の道からすれば、所詮ほんの一瞬に過ぎません。
 中国は日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言しました。しかし、放棄したのは戦争賠償であり、中国の被害者が被害の賠償を要求するのは公民としての権利です。寧波老龍弯の地では、100名にのぼる非業の死を遂げた人々の魂が、人間として公平に扱われるのを待っています。「前事を忘れず 後事の師となす」史実をもって、後世に警鐘を鳴らし、歴史的悲劇が再び起こらぬようにしましょう。
※日本軍が中国の寧波で行った細菌戦のことがよく分かる。こういう史実をきちんと高校の教科書には記述すべだと思う!!
●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
目撃された虐殺の凄まじさ
蘇桂珍(女、65歳)の証言
 日本軍が攻め込んで来た時、私たちは五台山の難民区に住まっていました。日本軍が入って来た3日目か4日目かに、一度、私が沼で薪を切っていたら、馬車を駆る人が2人、渡し板の上で米を研いでいるのが見えたのですが見えたのですが、その時、日本軍が2人やって来て、銃でその人たちを撃ち殺したので、死体が渡し板の上に横たわり、頭と脚とが水に浸りました。その時、私は日本軍が叫ぶのが聞こえたので、人1人ほどの高さの草の中に隠れたところ、日本軍が1人やって来て私を一蹴りしましたが、私がじっと動かないでいると、死人だと思って、行ってしまいました。日本軍が行ってしまってから、私は急いで家へ逃げ帰りました。
 五台山の難民区で、私は中国人がいっぱい日本軍に引きずり出されて通りで殺されるのをこの眼で見ました。石鼓路のアメリカ人のイエス教会に行った時、死体の上を走り、それからは教会堂に隠れて出て来られませんでした。至る所に煙があがっていましたが、それは日本軍が火を放ってラオパーイシンを(=庶民)の家を焼いたのです。五台山の近くの小塘河の岸辺で、私は30歳余りの中国の男の青年が1人日本軍に胸を一太刀刺され、すぐさま地に倒れて、息を引き取り死んでしまったのをこの眼で見ました。(張志龍が記録)

●731部隊と天皇

  欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

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