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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!沖縄の米軍基地撤去!

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。)
(時効なき戦争責任・戦争犯罪)

 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 

●731部隊
『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)
西里扶甬子著:草の根出版:2002年発行
被害地への旅
寧波の細菌学者

 1998年2月、第1回口頭弁論の東京地裁法廷に立つために来日することに意欲を燃やし、パスポートまで準備していた銭貴法は、その2か月前、骨髄ガンのため死去してしまった。入院中の銭老人を森正孝らが見舞うと、彼は森とビデオ撮影のカメラマンだけを残し、他の人たちを病室から出した。それから下半身裸になって、鼠頸部のリンパ腺の手術跡を撮影してほしいと頼んだという。日本政府に謝罪と賠償を請求する原告として、細菌戦被害の貴重な生き証人として、死期の間近いことを悟った上でのふるまいであった。
 黄可泰によると、ペストノミに足を刺されれば腿のリンパ腺が腫れ、手を刺されれば脇の下のリンパ腺が腫れ、顔を刺されれば首のリンパ腺が腫れるという。銭老人も例外なく腺ペストにかかり、両方の太腿のリンパ腺が腫れて、切除手術を受けた。森によれば銭老人の鼠頸部には手術の傷跡が残り、その部分が黒ずんでいたという。
※ペスト感染から辛うじて生き延びた銭老人にも、消すことができないペストの傷跡が残っていた。その傷跡をみると銭老人も過去の苦しかった死線をさまよった状況を思い出したのだろう!!
●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
目撃された虐殺の凄まじさ
郭秀珍(女、69歳)の証言
 日本軍が南京を占領した時は、とても寒く、あの時私はもう22歳で、小さい頃から人に家の幼な許嫁になっていて、虎踞関の難民キャンプに住まっていました。
 日本軍が来たばかりの頃は、毎日姦淫し焼き殺し、ホアクーニャン(=若い娘)を欲しがり、お婆さんすらも放ちませんでした。私たち昼間は天井の上に隠れ、屋外であちこち身を隠すこともありました。ある日、突然日本兵が来たので、私は隠れられず、急いで鍋のすすを顔に塗り付けましたら、日本兵の1人が私の髪の毛を引っつかみ、ちらっと見て、余りに醜く見えたのと、背も小さかったからでしょう、私を放して他の人を追いに行ってしまいました。
 やがて、日本兵は捕まえて来た人たちを、一緒に集め、彼女たちに家族としての認定に行かせ、認定して引き取る人がいるのは放ち行かせ、引き取る人がいないのは車に乗せて行って殺しました。私は前後3人家族と認めて引き取ったのですが、1人は兄と認め、1人は夫と認め、1人は年が40歳余りの男の人を父親として引き取りました。その人たちは私の認定で放たれたのですが、その頃は戦争でごたごたしていましたから、やがて居なくなり、その人たちの名前も聞かなければ住所も聞きませんでした。
 ある日、私は下関の駅で、薬を売っていた男の人が1人、日本兵に調べ上げられ、縛られて、銃の床で脚を打たれているのを見かけましたが、その人は一言も答えず、結局どうなったのかは分かりません(唐青方が記録)

●731部隊と天皇

  欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

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