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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!! 「No more war!!」 武器よ!さらば!沖縄の米軍基地撤去! 「怨」 きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 新しい日本!! 「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」 (昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。) (時効なき戦争責任・戦争犯罪) ●731部隊 『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪) 西里扶甬子著:草の根出版:2002年発行 第三章 新しい証言者と新資料の出現 昭和天皇死去・「731部隊展」以降 敗戦間際の細菌戦決死隊「夜桜特攻隊」 1995年になってから明るみに出た「夜桜特攻隊」というのは、終戦の年、1945年の3月になってから平房の731部隊で行われた、「関東軍集合特別教育」に参加した衛生兵長約60名を隊長に、同年7月、満州で召集された初年兵約500名を、20名前後の班に分けて編成されることになっていた細菌戦決死部隊だった。 この衛生兵長60名は731部隊各支部から集められ、1か月の訓練の後に衛生伍長などの下士官に昇進して、ほとんどがペスト班に配属になった。林口支部から参加し、第2部に配属になってノミの増殖に励んでいた四国出身の小幡石男は、6月のある日隊長室に呼ばれ、石井部隊長自ら「夜桜特攻隊長」を命じられたという。 私は17名の特攻隊の隊長を命じられ、8月17日、第1回出撃予定と知らされていました。全員遺書を書き、軍服の写真を撮って、髪の毛、爪とともに親元に送りました。 具体的に出撃方法は教えられなかったが、ペストノミやペスト菌を持って敵地に乗り込んでばらまき、玉砕すると覚悟していました。標的はアメリカとは、はっきり言われたわけではありませんが、当然頭のなかではアメリカを考えていました。 8月までの2か月に、60回のペストの予防注射をしました。8月9日のソ連侵攻によってわが部隊は爆破され、大半が脱出したので、特攻隊の出撃もないまま終戦となりました。 ※731部隊にも特攻部隊があったのだ。そして準備をしていた。ところが、余りにも情勢が悪かったのか、中止になってしまった 。日本の軍隊を見ていると、物資は不足し、兵器もほとんどなかった絶望的な状況で、天皇の軍隊は、人の命を大切にせず、ただむやみやたらに肉弾戦を強行しようとした。 ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税) ※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! 2、日本軍の狂暴な個人的虐殺 目撃された虐殺の凄まじさ 沈遐鴻(男、57歳)の証言 爆撃が済んだら、私たち一家は又どおっと動く人の流れにつれて難民区へ難民区へと急ぎました。私たち難民区の豆菜橋まで逃げて、王叔父さんの家の門番小屋に一先ず落ち着きました。明くる日、確か12月13日に、中華門の近くはただもう真っ黒な煙が逆巻き、砲声が天を震わせ、真っ赤な火の玉が城内へと紛れ込み、続いて敵機がキューンと鋭い音を立てて入れ代わり立ち代わり急降下してきて、爆弾の炸裂音が絶え間なく耳をつんざきました。そうした狂わんばかりの猛爆が2時間にもわたって続き、中華門の城壁が爆破され、続いて日本軍がタンクに援護されつつ、割れ目裂け目を跳び抜けて南京城にどうっと突入してきたのでした。 次の朝、日本兵がもう豆菜橋に突っ込んできました。馬に乗った日本の将校が兵何人かを連れて私たちの中庭に闖入して来ましたが、その将校は勝手に手綱を父に投げてよこし、日本兵2人を連れホアクーニャン(=若い娘)を探しに建物を上がって行きました。その時上の姉と母の隣のお姉さんや娘さんたちがみんな王叔父さんの4階にいて、大変なパニックになりました!日本兵が恐ろしげに銃を突き出して駆け上がって来るのを見て、みんな恐くて震えどうしでしたが、ちょうど日本軍の1人が楊という娘さんに飛びかかった時に、もう1人の日本軍が姉を捕まえようとしました。母がその時どこから湧いたか分からない力で、片手で日本軍をさえぎり、もう一方の手で姉を階段の下へ押しやったので、その日本軍が怒ってワッワーと叫び続けながら、銃剣を両手で突き出しまっすぐ母を刺してきました。母はさっと身をかわすや、階段を転がり降りました。ただかわいそうに隣の家の小琴や小英など若い娘さんたちは蹂躙を脱することができずに、その場で日本軍に強姦されました。(明日に続く:段月萍が沈遐鴻からの手紙により整理) ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 |
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