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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!! 「No more war!!」 武器よ!さらば!沖縄の米軍基地撤去! 「怨」 きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 新しい日本!! 「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」 (昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。) (時効なき戦争責任・戦争犯罪) ●731部隊 『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪) 西里扶甬子著:草の根出版:2002年発行 第三章 新しい証言者と新資料の出現 昭和天皇死去・「731部隊展」以降 敗戦間際の細菌戦決死隊「夜桜特攻隊」 本人たちには知らされなかった「具体的出撃方法」とは、服部卓四郎参謀本部作戦課長が、1944年4月の段階で提案している、「潜水艦にPx(ペスト菌かペストノミ)を積んでオーストラリア、ハワイ、ミッドウェイに特攻攻撃する」ということだったかもしれない。 この時ペスト班で教育を受けていた別の下士官は、班長の机の上にあった「別の対米特攻計画」の書類を目にした。これには第一次出撃隊20人の名簿と、具体的計画が書かれていた。出発は昭和20年9月22日、目的地はアメリカ西海岸のサンディエゴ軍港で、4000トン級の潜水艦に特攻隊員を乗せて、軍港の沖500キロのサンゴ礁に接近し、片道燃料の艦載機で軍港の後背地に強行着陸、ペスト菌やペストノミを自ら散布して玉砕するという計画だった。 ※陸軍はアメリカに対して細菌戦を強行しようとしていたことがよく分かる。私は全く軍事関係には素人だが、その当時の潜水艦に艦載機を搭載して飛び立たせることが果たしてできたのか?疑問だ!! もし、この計画がうまくいったとしても、ペスト菌を人力で散布して、どのくらいの威力が出たのだろうか?広いアメリカ、余り効果は望めなかったのでは? そして撒いた隊員は、その後自決するというシナリオは日本軍がいかに人命をおろそかにした軍隊であったかを物語る。 ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! 2、日本軍の狂暴な個人的虐殺 目撃された虐殺の凄まじさ 沈遐鴻(男、57歳)の証言 明くる日、日本軍がまた突っ込んで来て、その時兄は19歳で、正に日本兵が追いかけ狙っている対象でした。母は兄を部屋の隅の布団の中に隠れさせ、私と小さい妹とをその上に座らせて隠しました。私たちはもう三日三晩食べていなかったので、かわいそうな妹と私がお腹が減ってクークー鳴りっぱなしで、飢餓ってほんとに堪らないものでした!私と妹とがすやすや眠りに入ろうとした時に、日本兵の釘の着いた革靴がセメントの地面にカッツカッツと響き、隣の陳お婆さんの家で止まりましたが、すぐ続いて戸を蹴る音や斧で戸を割る音が聞こえました。部屋の中はあわてふためき、女の人のわめき叫ぶ声がして、私が壁の隙間からそっと覗いたら、いやもうすっかりたまげさせられました!日本軍が銃剣で陳さんの未婚の娘さんの首を支えながら強姦していて、娘さんの泣き叫ぶ声が人の肺腑を突き、お婆さんが地にひざまずいてゆるしを請い、陳叔父さんが自分の娘が獣兵の面前で辱しめられるに堪えかねて、日本兵の銃を手でぐっとつかんで反抗しました。「パーン」という音が聞こえたと思ったら、陳叔父さんがそれと同時に倒れ、腹が花みたいに開いて、血が腹の下から噴き出て来ました。(明日に続く:段月萍が沈遐鴻からの手紙により整理) ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 |
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