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1938年3月12日 南京では日本軍の虐殺が続いていた!!
日米間の密約はまだまだ存在する!! 全世界の究極の祈り・願い!! 「No more war!!」 武器よ!さらば! 沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は? 「怨」 きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 新しい日本!! 「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」 昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う! 時効なき戦争責任・戦争犯罪!! 政府は戦史資料を公開せよ!! 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ ●原子力問題 原爆投下を体験し、原子力の被害については国民もよく知っていると思うが、いつの間にかこの国は、原子力の魅力に取り付かれ原発を輸出するまでになっていた!!でも、危険がはいつでも付きまとう!! 制御室1千倍の放射線量 正門付近は8倍 福島第一原発2011年3月12日6時26分 「朝日新聞」より引用 経済産業省の原子力安全・保安院は12日朝に記者会見し、東京電力福島第一発電所の1号機(福島県大熊町)で、原子炉建屋内にある中央制御室の放射線量が、通常の約1千倍に達していることを明らかにした。正門付近では、通常の約8倍となっているという。 http://blog-imgs-35.fc2.com/n/o/b/nobu51g/TKY201103120193.jpg 保安院によると、中央制御室の通常の放射線量は1時間あたり0.16マイクロシーベルトだが、12日早朝の時点で150マイクロシーベルトに達していた。一方、正門付近では通常0.07マイクロシーベルトが0.59マイクロシーベルトだった。 通常、原発では建屋内にある原子炉格納容器から建屋に放射能が漏れ出ないように、建屋内より格納容器側の気圧を下げている。保安院は、この機能が失われているか、放射性物質が漏れ出ている可能性もあるとみている。 東電によると、1号機の原子炉内の水位は保たれており、炉内で想定外の核反応が起きている可能性は低いとしているが、政府は原発から半径3キロ以内としていた避難指示を半径10キロに拡大した。 一方、東電によると、福島第二原発(同県楢葉町、富岡町)の1、2、4号機の圧力抑制室の温度が100度を超えていることがわかった。同室では冷却用の水で炉内の蒸気を冷やす機能があるが、これがうまく働いていないとみられる。原子力災害特別措置法に基づく緊急事態が発生したと判断した。 . ●731部隊 『【真相】 石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』 郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より V 私は中国軍の捕虜だった 総務部調査課翻訳(情報)班 H・M 命令、満州第731部隊ニ転属ヲ命ズ 約1週間の教育、それも主として防諜教育(部隊の秘密保持のための)を終えると、私の配属先が明らかになった。731部隊総務部調査課翻訳班長兼ハルピン特務機関第2課勤務というのが、私の肩書きであった。 平房の部隊本部の建物から少し離れた所に講堂を備えた2階建ての建物があった。この通称63棟と呼ばれた建物の1階に図書室があり、その隣に我々の翻訳班があった。私の他に、狩野通訳官、小川通訳生、ハルピン学院出身の班員が4名という構成であった。いずれもロシア語専門である。 ハルピンに宿舎があった私は、通勤バスで平房の翻訳班に出勤したり、あるいは、ハルピン特務機関第2課に行って、そこの花房通訳官室で仕事をした。ソ連保健制度調査を援助するという形で、ソ連の細菌学、微生物学、免疫生物学関係の刊行物を探し出し、借り出すのである。 借り出した文献は、部隊に持ち帰り、翻訳班で日本語に訳す。前に述べたように、北野部隊長の関心は、当然、シベリア森林ダニ脳炎にあった。ところが、これに関する文献は、きわめて少なかった。 私は、自分の郷里福島にある郷土病と類似の野兎病(ウィルス感染)に関する書物などを見つけてきて、むしろこちらの方を熱心に研究したりしていた。温厚な北野部隊長から、「君は、何のためにやっているんだ」と叱られたこともある。 ※ソ連も細菌戦の研究をしていた。だが、ソ連ではある程度対人用病原体についての知見や経験が蓄積されてから、強制収容所に出向いて行き、人体実験を行なったようだ!!731部隊のように初めから、人間を収容して、それにいろいろな人体実験をするということは無かった!! それにしても、ソ連の当時の細菌学の最新の研究が簡単にソ連側から借りられるとは私には考えられない。当時の日ソ関係は緊張関係にあったのだから!! ※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43) 731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより) 731部隊では何が行われたのか ※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22) Unit 731 「731部隊(2/2)〜"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」 ※元部隊員の証言!!(7:25) 731部隊 | 日本を変える論客たち ※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46) 731細菌部隊と帝銀事件との真相1 ※エイズは人為的に作られた!!(6:33) 731細菌部隊と帝銀事件との真相2 問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 ① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 ②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 ③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 ④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 ⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 ⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! 6、被害同胞の屍体埋葬作業に参加した者の証言 菅開福(男、70歳)の証言 私は南京で生まれた者で、1937年には家は下関の五所村でした。民国26年の冬月に南京が陥落する前に、家は避難しに琅琊路小学校の難民区に入りました。その時私は直ぐに寧海路2号の世界紅卍字会で掃除人夫をやりました。日本軍が南京に攻め入ってから至る所で人を殺しましたが、金陵女子大学難民区の若い人たちを北京路に集めて、通訳にその人たちへ、「あんたたちの中で中央軍や警官だった者は出て来なさい、家へ帰らせるか仕事をさせるから、」と言わせました。本当だと思って、出て来た人たちは、結局車で下関まで引きずって行かれ、機関銃で掃射死させられました。後で又引きずって行かなかった20歳余りの若い人たちを引っ張って行って一方に立たせ、その人たちの頭に帽子をかぶったあとがあるかどうかを見、手にたこがあるかどうかを検査して、あるのが見つかったのは又引きずって行かれ銃殺されてしまいました。その頃は中山埠頭や草鞋峡や漢中門外や太平門外など、至る所死人ばっかりでした。紅卍字会での仕事は日本兵に殺害された中国同胞の屍を埋葬することでした。トラックに1台、又1台と引っ張り、ある者は中華門外に運び、ある者は南秀村(今の南京大学の天文台の中庭)に運んで埋葬しました。1度は、大方巷のある沼で、120余りの屍を集めました。「万人坑」に埋めたのは幾千幾万もの屍で、男のは1つの坑に埋め、女のは別の坑に埋めました。ある者は日本軍に機関銃で掃射死されられた後、更にガソリンで焼かれました。下関の挹江門や連絡船埠頭では、日本軍は中央軍を針金で縛って活きたまま焼き殺し、婦女も強姦してから焼き殺しました。ほんとに見るに忍びない凄まじさでした。 兵士たちが記録した南京大虐殺1 兵士たちが記録した南京大虐殺2 兵士たちが記録した南京大虐殺4 兵士たちが記録した南京大虐殺5 兵士たちが記録した南京大虐殺6 ●「南京!南京!」が見られる映画サイト |
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