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1938年3月13日 南京では日本軍の虐殺が続いていた!!
日米間の密約はまだまだ存在する!! 全世界の究極の祈り・願い!! 「No more war!!」 武器よ!さらば! 沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は? 「怨」 きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 新しい日本!! 「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」 昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う! 時効なき戦争責任・戦争犯罪!! 政府は戦史資料を公開せよ!! 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ ●731部隊 『【真相】 石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』 郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より V 私は中国軍の捕虜だった 総務部調査課翻訳(情報)班 H・M 命令、満州第731部隊ニ転属ヲ命ズ 昭和20年4月、北野部隊長は中将に昇進し、中支派遣軍幕僚として転出して行った。後任に、731部隊の創設者である石井四郎軍医中将が、第3代部隊長として着任した。初代に続いて、2回目の着任であった。 酒に酔うと、音楽学校出身のお嬢さんのピアノ伴奏で、シャリアピンばりに「ねずみの歌」を歌うなど、研究者肌の教養人であった北野部隊長と比べると、石井部隊長は、より軍人的であった。彼は、食べ物や飲み物をとると、最初少し口に入れて、パッと吐き出す。「青酸カリが入っていれば、味でわかる」と言うのである。あるいは、ハルピンに出てくると、最高級の大和ホテルの、もっとも奥まった一室に閉じこもってしまう。自分の創り出した、秘密細菌戦部隊という「作品」をいとおしみ、その部隊長であることを密かに楽しんでいる雰囲気が感じられた。 ※敗戦後、この2人の部隊長には何のお咎めもなかった!!ミドリ十字を設立した内藤良一の功が奏して、アメリカは731部隊員全員に戦犯免責を与えた。 戦後、2人は朝鮮戦争にも協力したのではないか? 北野は、ミドリ十字に勤め91歳まで生きた!! ●1945年からの石井四郎の歩み(ウキペディアより) http://blog-imgs-35.fc2.com/n/o/b/nobu51g/2011031306431473fs.jpg ・1945年(昭和20年) 3月、陸軍軍医中将に昇進。関東軍防疫給水部長に再度就任。 5月、終戦直前に満洲第731部隊を「満洲第25202部隊」と改称する。 8月、ソ連軍の侵攻によりハルピンを脱出し帰国。 11月10日、千葉県山武郡芝山町にて石井の偽装葬儀が行なわれる。 •戦後、東京都新宿区若松町で旅館を経営。極東国際軍事裁判(東京裁判)で戦犯容疑を受けるが、米軍に研 究資料を提供したため、訴追を免れたとされる。 •1959年(昭和34年)10月9日 喉頭癌のため国立東京第一病院で死去(67歳)。 葬儀委員長は一時期、関東軍防疫給水部長に就任した北野政次が務め、墓は河田町月桂寺に建てられる。 •2003年(平成15年) ジャーナリスト青木冨貴子により、石井本人が1945年に書いた大学ノート二冊 に及ぶ「終戦メモ」が発見される。 ●1945年からの北野政次の歩み(ウキペディアより) http://blog-imgs-35.fc2.com/n/o/b/nobu51g/20110313064420e5as.jpg ・1945年4月30日、陸軍軍医中将に昇進。支那派遣軍(上海)第13軍軍医部長となる。8月、終戦に伴い上海で捕虜となり、刑務所に拘留される。 •1946年1月9日、上海から帰国。 •1959年 ミドリ十字取蹄役、東京プラント長に就任。10月、石井四郎の死去に伴い葬儀委員長を務める。 •1986年 死去。91歳。 ※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43) 731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより) 731部隊では何が行われたのか ※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22) Unit 731 「731部隊(2/2)〜"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」 ※元部隊員の証言!!(7:25) 731部隊 | 日本を変える論客たち ※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46) 731細菌部隊と帝銀事件との真相1 ※エイズは人為的に作られた!!(6:33) 731細菌部隊と帝銀事件との真相2 問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 ① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 ②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 ③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 ④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 ⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 ⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! 6、被害同胞の屍体埋葬作業に参加した者の証言 高為民(男、77歳)の証言 日本軍が南京を占領した時私は銭塘路に住んでいました。覚えていますが、ある日、日本軍があらゆるラオパーイシン(=庶民)をある空き地に駆り立てて、張という通訳が大声で「これまでにあんたたちがやってきた事を何でも言えば、これからもそれと同じことをやらせる。将校だった者は将校になるし、兵だった者はやはり兵になる」と呼ばわりました。多くの人がほんとだと思って、みんな実際の通りに言ってしまいました。暗くなってから、本当のことを言ったその人たちは、みんな車に押し上げられ、分からない所へ連れて行かれました。暫くしたら草場門一帯の空が赤になったのですが、その人たちが車に押し上げられてから、ぐるっと車が一回りし、結局草場門で銃殺の憂き目に遭い、殺されてから又ガソリンをかけられて死体を焼かれたのでした。以上の情況は、私がこの眼で見たものです。私は又日本軍の青年婦女に対してした蹂躙や虐げや強姦などありとあらゆる野蛮な行為をこの眼で見ました。日本軍はそれにラオパーイシンの家に駆け込みたんすを倒し、長持ちをひっくり返して、好い物を見ればかっぱらって行きました。 やがて私は紅卍字会に行って救援の仕事をし、お粥を配るほかに、屍を埋葬する仕事もしました。屍を埋める時、屍の多くがもう腐って臭気を発していて、ほんとに見るに忍びない凄まじさでした。 兵士たちが記録した南京大虐殺1 兵士たちが記録した南京大虐殺2 兵士たちが記録した南京大虐殺4 兵士たちが記録した南京大虐殺5 兵士たちが記録した南京大虐殺6 ●「南京!南京!」が見られる映画サイト |
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