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1938年3月14日 南京では日本軍の虐殺が続いていた!!
日米間の密約はまだまだ存在する!! 全世界の究極の祈り・願い!! 「No more war!!」 武器よ!さらば! 沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は? 「怨」 きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 新しい日本!! 「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」 昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う! 時効なき戦争責任・戦争犯罪!! 政府は戦史資料を公開せよ!! 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ ●731部隊 『【真相】 石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』 郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より V 私は中国軍の捕虜だった 総務部調査課翻訳(情報)班 H・M 「あの兵器は、陛下がお許しにならぬ」 石井部隊長は着任すると、部隊業務の重点をそれまでの研究から兵器生産へと転換した。彼は、まずペスト兵器の量産を呼号し、約3000名の全隊員及びその家族に鼠の飼育を命じた。私も宿舎で鼠を小箱に入れて飼育、量産につとめる羽目になったのであった。 こうして量産した鼠をペスト菌に汚染させる。これらのペスト感染鼠を餌にして、蚤を飼う。鼠の斃死とともに、蚤は鼠を離れ、ペスト蚤となるのである。広大な作戦地にこのペスト蚤を放ってこれを汚染地とするには、ペスト蚤をトン・プランで生産しなければならぬ、ということであった。 田中技術中佐(動物学)の総指揮の下ですすめられたこのペスト蚤量産作業の過程で、犠牲者が出た。3名の隊員がペスト蚤の刺螫(しせき)をうけて、肺ペストで斃(たお)れたのである。3名の葬儀が部隊で行なわれた。 石井部隊長の着任とともに、我々翻訳班も改組されることになった。ソ連の文献の研究など必要ないというのである。我々は、仕事を失った。もっと実戦に役立つことをせよ、ということであった。 翻訳班には、一般の部隊では備えていないような無線機が持ち込まれた。ソ連のハバロフスク放送その他を傍受して、情報収集につとめよ、というのである。さらに、ハルピン特務機関からも情報を集めることになった。 翻訳班は、いまや情報班になった。「君が情報班長というのでは、わが部隊もたいしたことないな」と同僚の軍医たちに冷やかされながら、素人ばかりの、にわか情報班は一生懸命であった。 ※日本は、戦争末期、最後の反撃を考えていたのだろうか?東京は、昭和20年の4月といえば、空襲で焼け野原になり、全国各地でも空襲が続いていた。 それにしても、人海戦術で鼠を集めるとは大変な作業だと思う!! ※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43) 731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより) 731部隊では何が行われたのか ※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22) Unit 731 「731部隊(2/2)〜"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」 ※元部隊員の証言!!(7:25) 731部隊 | 日本を変える論客たち ※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46) 731細菌部隊と帝銀事件との真相1 ※エイズは人為的に作られた!!(6:33) 731細菌部隊と帝銀事件との真相2 問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 ① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 ②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 ③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 ④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 ⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 ⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! 6、被害同胞の屍体埋葬作業に参加した者の証言 袁従栄(男、73歳)の証言 日本軍が南京を占領した時、私は26歳で、その頃は左官工をしていました。民国26年の冬月19日に、私は江蘇路の西橋で、その頃そこは一面の墓地だったのですが、ある沼に日本軍に殺害された屍がいっぱいうずたかくなっているのを見かけ、あまねく屍ばっかり見えました。私も賀老五も日本軍に捕まって車に乗せられ、銃殺されに車が下関へ向かいました。私たちの車が寧海路の石炭ガス・スタンドまで来た時、不意に日本兵が付近で小さい子供の泣き声がしているのを聞きつけ、車を止めて降りその子供を探しに行ってしまいました。その時、車に乗せられていた人たちはみんな逃げてしまいましたが、私たちが虹橋まで逃げたら又日本兵に捕まりました。その時、日本軍は20何本かの銃剣を私たちに突きつけ、日本兵が「気を付け」と叫ぶや、私たちの中にいた中国兵が「直立不動」となり、結果としてみんなその場で銃剣で刺し殺されました。私は左官工だったので、気を付けが分からなく、日本兵は私たち「直立不動」できないのを押し出して、私を放ち去らせました。やがて、私は紅卍字会で雑用をしましたが、私たちの毎日の任務は死人のうずたかくなっている所へ行ってまだ生きている人を探すことで、見つかったら急いで病院へ運んで救急手当てをすることでした。劉雲発という人が首を突っつかれ穴が幾つも開いていて、気管は破れてなく、その時鼓楼病院に運ばれて助かったのですが、何年か前にその人はもう世を去ったのです。(謝秀瑾が調査) 兵士たちが記録した南京大虐殺1 兵士たちが記録した南京大虐殺2 兵士たちが記録した南京大虐殺4 兵士たちが記録した南京大虐殺5 兵士たちが記録した南京大虐殺6 ●「南京!南京!」が見られる映画サイト ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! |
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2011年03月14日
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