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1938年3月20日 南京では日本軍の虐殺が続いていた!!
日米間の密約はまだまだ存在する!! 全世界の究極の祈り・願い!! 「No more war!!」 武器よ!さらば! 沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は? 「怨」 きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 新しい日本!! 「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」 昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う! 時効なき戦争責任・戦争犯罪!! 政府は戦史資料を公開せよ!! 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ ●原子力 ヤフーの掲示板からの転載です!!原子力の被害が広がらないためにどうしたらいいのでしょう!!以下転載。 フランスは防護服1万着を日本に送った、とのこと。アメリカは100着。原発大国の日本とフランス。 2010年現在、フランスは59基、日本は54基。アメリカに次いで2位、3位を占めています。4位の旧ソ連が大事故を起こしているのですから、確率論から言って今回の事故は当然だったのでしょう。(向井) 子ども基金で、声明を出しました。広めていただけましたら幸いです。 子ども基金のホームページとブログには英文も掲載しています。 最新情報 http://homepage2.nifty.com/chernobyl_children/index.html 神楽坂事務局だより http://blog.goo.ne.jp/cherno1986jimukyoku/ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 福島原発50キロ圏までの避難範囲拡大と浜岡原発の即時停止を求めます!! 恐れていた「原発震災」が起きました。 3月11日午後2時46分、東北地方 を中心に巨大地震が発生、大津波によって多くの犠牲者を出すとともに、東京電力福島原子力発電所は制御不能の事態に陥り最悪の事態に向かって進んでいます。すでに環境には大量の放射能が放出され、周辺の人々への影響が心配されています。 政府は20キロ圏内に対して避難指示を出しました。しかし、30キロ、40キロの人の自主的避難は始まっています。特に妊産婦・子どもは率先して逃がすように政府・自治体の方にお願いします。爆発してしまったら、パニックになります。 各地では避難してくる人々のために公共施設を開放し受け入れを始めています。東京も、公共施設などの受け入れをはじめました。さらに避難場所を拡大してください。 私たち「チェルノブイリ子ども基金」は、フォトジャーナリストの広河隆一がチェルノブイリ原発事故の被災地で母親たちの訴えを聞いたことにより1991年に発足し、 募金活動を開始しました。20年間、さまざ まな救援活動をウクライナ・ベラルーシの被害者、特に子どもたちに対して行ってきました。 事故後25年が経過しよ うとしている今でも、事故後に生まれた子どもたちさえもが、重い病気になり、命を落としています。 「最悪の場合でも、チェルノブイリ事故ほどにはならない」との報道もあります。もちろん、私たちもチェルノブイリのような事態にならないことを強く願っています。しかし万が一の事態が起きてからでは遅いのです。日本国内のすべての原発を止めてください。特に、東海地震による「原発震災」が心配されている浜岡原発は即時停止すべきです。 原子力災害は 一地域、一国の問題にとどまらない世界的かつ事実上無期限の問題であることを、チェルノブイリ事故被害者の救援を長年続けてきた私たちは強く認識しています。政府、電力会社は、すべての情報を即時公開し、国際的支援と協力を早急に要請すべきです。 初めに被害を受けるのは子どもたちです。チェルノブイリで起きたことが繰り返されてはならないのです。 2011年3月18日 チェルノブイリ子ども基金 理事長/鈴村稔 事務局長/佐々木真理 顧問/広河隆一・黒部信一 理事・監事一同 162-0816東京都新宿区白銀町25メゾンド原207 Tel&Fax 03-5228-2680 cherno1986@tokyo.email.ne.jp 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ●731部隊 『【真相】 石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』 郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より V 私は中国軍の捕虜だった 総務部調査課翻訳(情報)班 H・M 「われ、ハルピンを脱出せず」 中村准尉以下の最後の731部隊員がトラックでハルピンを脱出した2日後に、8月23日、ソ連軍戦車隊がハルピンに入城した。 私は、ただ唯1人の731部隊員として、ハルピンに留まっていた。そのことに、全く不安がなかったわけではない。しかし、私には、不思議と犯罪者意識はなかった。実際に手を汚していない、という自負もあった。もちろん、私にロシア語の素養がなく、1軍医として731部隊に勤務し、実験を命ぜられていたら、私も、間違いなく「手を汚す」ことを下に違いなかった。 したがって、私が731部隊の軍医でありながら、手を汚さずにすんだのは、全くの僥倖(ぎょうこう)にすぎなかったといえる。わずか1年ちょっとの部隊勤務ではあったが、いざ敗戦となってみると、その僥倖は、得がたいものであった。 と同時にこのことが、私に、ハルピンに留まることへの勇気を与えてくれた。私は、731部隊の軍医であったこと自体を問われたら、堂々と自己の信念に従って、裁きを受け入れる覚悟であった。 ※ソ連の参戦によって特に満州は大変なことになってしまった。逃げ惑う日本人は数多く、決死の逃亡劇が始まり、多くの人々がその途中で病気になって倒れたり、殺された人もいただろう。大変な思いをして、命からがら逃げられた人は幸せだった。中には逃亡途中、親からはぐれて中国から帰れず残留孤児になって、中国人に育てられた子供や、大人でも中国に残った人も多くいただろう。 また、軍人などでは中国に残り、内戦を戦った人もいたし、ソ連軍の捕虜になり、シベリアで極寒の過酷な抑留生活を送った人々もいた。そのような状況の中で731部隊員は専用列車で最優先に日本に戻った。極秘部隊だったため、その実態が知れ渡ると大変になるからだ!! ※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43) 731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより) 731部隊では何が行われたのか ※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22) Unit 731 「731部隊(2/2)〜"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」 ※元部隊員の証言!!(7:25) 731部隊 | 日本を変える論客たち ※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46) 731細菌部隊と帝銀事件との真相1 ※エイズは人為的に作られた!!(6:33) 731細菌部隊と帝銀事件との真相2 問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 ① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 ②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 ③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 ④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 ⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 ⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! ベイツ 南京一瞥(1937年12月15日) 群をなしていた男子たちが、これまで中国軍だったと日本軍に見なされて捕まり、縛られて銃殺された。この兵士たちはとっくに自分の武器を放てきし、ある者たちは軍服までも脱ぎ捨てていたのだ。この群がっていた兵士たち以外に、日本軍に捕まった他の人たちが、連れて行かれて処刑されたというはっきりした形跡は、私たちにはまだ分からないが、日本軍は男を何人か残して他の所へ連れて行き、略奪した物資や装備を運搬する臨時工にさせている。日本軍が当地の警官たちを強いて、安全区のある建物の中から男を400人選ばせ、50人1組に縛り、歩兵と機関銃手とで取り囲んだ行列にして前進させた。この人たちの運命は、目撃した人たちの説明では、疑いの余地がない。 |
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2011年03月20日
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