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1938年3月26日 南京では日本軍の虐殺が続いていた!!
日米間の密約はまだまだ存在する!! 全世界の究極の祈り・願い!! 「No more war!!」 武器よ!さらば! 沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は? 「怨」 きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 新しい日本!! 「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」 昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う! 時効なき戦争責任・戦争犯罪!! 政府は戦史資料を公開せよ!! 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ ●731部隊 『【真相】 石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』 郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より V 私は中国軍の捕虜だった 総務部調査課翻訳(情報)班 H・M 「戦犯として奉天市公安局地下独房へ 私が連行された所は、奉天市公安局の地下にある独房であった。狭いコンクリートの独房には、裸電球が1つ、ポツンとぶら下がっているだけである。夜ともなると、寒くて仕方がなかった。 足元をよく見ると、南京虫が死んでいる。戸外で運動できるのは、1日1回、15分だけである。食事は、朝昼晩と3食であったが、いずれも塩汁である。ただ、どういうわけか、土曜の夜には、この塩汁の中に、豆腐が2、3切れ入っていた。私にとって、このわずか2、3切れの豆腐が、どれほどか待ち遠しく、また楽しみなものであったことか。 それでも不思議なもので、私は痩せなかった。といっても、むくみがきただけのことであるが。こうして、4ヶ月をこの独房で過ごした。その間、いわゆる取調べは、全く無かった。 4ヶ月ほど経った頃、私は突然、撫順監獄(戦犯管理所)に移送された。今度は、奉天の地下室と比べて、まるで天と地ほどにも違う、素晴らしい待遇であった。鉄格子こそはまっていたものの、もはや地下室ではなく、清潔な独房が与えられた。 3度の食事も奉天の時とは比べものにならないほどのご馳走となり、煙草もふんだんに与えられた。そして私は、この独房で、翻訳の仕事を与えられたのである。 翻訳は、政府の仕事らしかった。大部のソ連の衛生学書を訳すのである。翻訳し終わるのに、数ヶ月を要した。 ※大変な奉天での監獄生活であったと思う。ただ、中国当局の対応で驚くのは、日本軍の監獄でよく行なわれていた厳しい取調べや拷問がなかったことである。また、食事も粗末ではあるか3度出たことも不思議だ!!当時の中国の状況も戦後の混乱で大変だったと思う。 さらに驚くのは撫順監獄に移送されてからは、待遇が素晴らしくよくなり、ご馳走が出て、取調べのことは書いてないがほとんど無かったのではないか?そして、翻訳の仕事を与えられた。 この撫順戦犯管理所では、自由な時間もあり、運動もできた。最初は、自分たちは上官の命令で人を突き殺したり、焼き殺したりので、自分たちには全く罪はないと言っていた戦犯たちも、時間が経つに連れて自分たちの非道な所業を自ら告白し、悔い改めるようになっていった。ここ撫順に収容された戦犯は一人も死刑されずに日本に帰された。これを「撫順の奇跡」というのだそうだ。この方々が、日本に帰られてから、「中国帰還者連絡会」を立ち上げ、戦後の日本で自らが中国で行なった非人道的な所業を地道に証言していった!! 撫順戦犯管理所 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 撫順戦犯管理所(ぶじゅんせんぱんかんりしょ、抚顺战犯管理所)は、撫順市順城区にあった中華人民共和国による戦犯管理所。 満州国時代は、撫順監獄であったところを戦犯管理所に改造し、1950年ソ連より引き渡された900人以上の日本人や満州国の戦犯を収容した。満州国戦犯の中で愛新覚羅溥儀が最も有名で、有名な映画「ラスト・エンペラー」は、かつてここで撮影された。日本人戦犯は、1964年迄に帰国し中国帰還者連絡会を結成した。 1987年、観光地として開放的された。2006年、撫順戦犯管理所旧址として、中華人民共和国全国重点文物保護単位(分類近現代重要史跡及代表性建築、編号6-920)に登録された。 主な収容者 •愛新覚羅溥儀、愛新覚羅毓セン、張景恵、張煥相、盧元善 •武部六蔵(国務院総務庁長官)、古海忠之(国務院総務庁次長)、今吉均(満州国警察総局警務処長)、柏葉勇一(撫順警察局長)、斉藤美夫(満州国憲兵訓練所長少将)、富永順太郎(日本特務華北交通防衛本部、いわゆる富永機関)、鈴木啓久(陸軍中将)、藤田茂(陸軍中将)、城野宏(山西省軍司令官)、佐々真之助(陸軍少将)、金子安次(陸軍兵士) ・「撫順戦犯管理所」より http://blog-imgs-35.fc2.com/n/o/b/nobu51g/201103260658127a8.jpg 講堂の反省台ー戦犯らは壇上から罪状を告白するなどして人間教育を受けた 1949年9月、日本の侵略を打ち破り中華人民共和国を成立させた中国共産党は、日本人戦犯を各地の戦犯管理所に収監し、戦争犯罪の記録を克明に記録させたという。撫順管理所もその一つで、今回同行させていただいた小山一郎さんはここに5年間、ラストエンペラー溥儀(ふぎ)らとともに収監され、「人間改造」教育を受けた。 ・「撫順戦犯管理所の思い出」より 中島宗一・・・そうですなぁ、わしや偽満州国の警察に長くおったんですが、あの昨日の自分たちに対する処理を宣告された時、検察員先生の方が、ここにいる戦争犯罪者は人道主義に反し、国際法に反した罪行を犯した者と言われました。私もひとつの例をあげてみるならば、日本が東北を侵略した時、これに反抗して立ち上がった抗日軍を指揮した趙尚志将軍を道案内したというたったひとつの理由でオロチョンの方をとらえ、日本刀で首をきり、さらにその上脳味噌を取り黒やきにして薬だといってのんだ、人間では考えられない行爲をした自分が、だんだん人間としての気もちをもつようになり、私のやった事が本当に悪いことであることを知り、当然中国人民に厳重な処罰をうけなくちゃならないというふうに考えていました。それがこのような寛大処理の恩典によくして、あの時の自分は電気にうたれたようになりました(一同同感の声)。あの時の感謝と感激は一生忘れられません。 ※オロチョン・・・中国の内モンゴル自治区や黒龍江省の北部に居住する民族 ・「中国帰還者連絡会」より 私たちは、先の日中15年戦争の間、日本軍国主義の積極的な手先となって数多くの非人道的な罪を犯し、敗戦後、中国の「撫順戦犯管理所」(969名)と「太原戦犯管理所」(140名)とに、戦犯として拘留されました。 中国の戦犯管理所では強制労働がないばかりか、有り余る時間が私たち戦犯に与えられました。中国政府の戦犯にたいする方針は「戦犯とても人間である。その人格を尊重せよ」という人道主義の政策であり、管理所の全工作員も個人の恨みを超えて、この政策を忠実に実行されました。工作員たちは、日々コウリャン飯を食べながら、戦犯には白米飯と豊かな副食を精一杯調え、罵る戦犯には笑顔で応え、病人には高価な貴重薬を惜しげもなく投与しました。その他、衛生・運動・文化・学習などすべてに好い条件を保証されました。 ・中国『撫順戦犯管理所』が60周年式典 ●3月26日(土)午後1時半〜5時 以下のような学習会が予定されています。予定のつく方はどうぞ!!場所:中野区勤労福祉会館3階大会議室 http://blog-imgs-35.fc2.com/n/o/b/nobu51g/20110323175432818.jpg ※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43) 731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより) 731部隊では何が行われたのか ※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22) Unit 731 「731部隊(2/2)〜"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」 ※元部隊員の証言!!(7:25) 731部隊 | 日本を変える論客たち ※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46) 731細菌部隊と帝銀事件との真相1 ※エイズは人為的に作られた!!(6:33) 731細菌部隊と帝銀事件との真相2 ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! ベイツ 日本大使館宛の書簡(1937年12月16日〜27日) 12月16日、木曜日 今日午前に差し上げました手紙の第2項に、少し補充させて下さいますように。 私の学校の農業経済系(小桃園)[Agricultural Economics Department(Hsiano T’ao Yuan)]で強姦された者は、30人を超えていて、それは夕べ日本軍が大勢、絶えずやってきてはやらかしたのです。私はすでにそれを全部調べて、報告事項の正確さを確かめました。 市街のその部分の状況は極めて悲惨なものです。皆さん方が軍当局に、すでに充分に表明しておられ、同時に充分な同情の想いをも表しておられるのを、私たちは確信しております。数万の一般市民にとっては、命を保つのが当面の急務なのです。 金陵大学は安全区に位置していて、この地域の環境と存在という問題から影響を直接受けています。何がしかの(日本の)上級官吏が以前に友好的な態度を表明され、安全区の働きの趣旨を了解されました。他の人たちは冷ややかで猜疑的でした。何とかその人たちに、(安全区)国際委員会が始まってから今までにやったことを、すべてはっきりと知っていただきたいです。どの事務室も建物も、安全区国際委員会のメンバー誰しもの行動も、毎日いつでも門戸を開いていて検査が受けられます。委員会は情勢が正常に回復し、人道主義的な救済はもう要らないということで、解散されるならば、大いに喜び小躍りするでしょう。私たちはただただ最大限の努力をし、極めて困難な条件の下で、あの戦争で家から追い出され、いまだにはなはだしい恐怖の只中で生活している人たちのために、住まいと食物とを提供しているだけなのです。 |
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2011年03月26日
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