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1938年3月3日 南京では日本軍の虐殺が続いていた!!
日米間の密約はまだまだ存在する!! 全世界の究極の祈り・願い!! 「No more war!!」 武器よ!さらば! 沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は? 「怨」 きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 新しい日本!! 「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」 昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う! 時効なき戦争責任・戦争犯罪!! 政府は戦史資料を公開せよ!! 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ ●731部隊 『【真相】 石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』 郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録 第2部5課(攻撃・実戦担当 K・S 8月10日、終日200体の「丸太」死体を焼却 もはや一刻も時間的余裕はなかった。毒ガスの専門家が呼ばれた。我々は俗に「チビ」という毒ガスが、「丸太」棟にかけられた。 監獄の中の、残った「丸太」たちは、バタバタと倒れていった。それでもなお死にきれないで、監房を出て、廊下に出て暴れるロシア人「丸太」がいた。彼らの生への執念は恐るべきものであった。 死にきれないで暴れる「丸太」は、隊員がパーン、パーンと小銃で射殺した。やがてあたりが静まった。すべての「丸太」が処分されたのであった。 ところが、本当の意味での処理は、それからであった。 7棟と8棟の近くに、それぞれ大きな穴が1つずつ掘られていた。この穴に、直径15センチぐらいの丸い鉄棒が何本も平行に渡された。ちょうど、巨大なバーベキューの網のようである。 私たちは、2人1組になって各監房から「丸太」の死体を中庭に運び出した。運び出した「丸太」の死体は、鉄棒の上に並べられた。その上に、確か重油だったと思うが、燃料がぶちまけられた。火が放たれた。瞬間、赤い焔とともにもうもうたる黒煙があがった。 「丸太」はこうして、次から次へと、鉄棒の金網の上で焼かれていった。全部で200体くらいはあったのではないか。 ※「丸太」の処分は徹底的に行なわれた。このように、全員殺してから、火で焼き、それを松花江(河)に捨てた!!731部隊の罪業は、生体実験や生体解剖などのような細菌兵器開発の実験や、その他無意味な実験などにもあったが、最後の「丸太」の処分にもあった!!余りにも残酷ではないか? ※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43) 731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより) 731部隊では何が行われたのか ※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22) Unit 731 「731部隊(2/2)〜"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」 ※元部隊員の証言!!(7:25) 731部隊 | 日本を変える論客たち ※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46) 731細菌部隊と帝銀事件との真相1 ※エイズは人為的に作られた!!(6:33) 731細菌部隊と帝銀事件との真相2 問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 ① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 ②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 ③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 ④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 ⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 ⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! 6、被害同胞の屍体埋葬作業に参加した者の証言 崔金貴(男、70歳)の証言 私は抗日戦争前には馬車を駆っていて、日本兵が入って来てからは働けなくなってしまいました。家の近くに崇善堂がありましたが、それは慈善団体で、満清時代からあって、小さい時から知っていました。崇善堂は抗戦前には、冬は綿入れを施したりお粥をやったりし、夏には湯茶を配っていました。日本兵が入って来てから、崇善堂が死体を集めて埋める人を探したので、それまでにお棺を担いでいた人や私のような暇で生活の資の無い人たちが行って、1日やって1円ぐらいでした。私が行ったのはもうかなり暖かい時で、3月が4月くらいのことでした。初めの日は水西門外二道○子の金華醤油廠に行き、その工場の醤油のかめから屍を掬い上げたのですが、それはどれも日本兵が中国人を抛り込んだもので、それに別の所から集めて来た屍もありました。暖かくなったので、屍は臭くてもう嗅ぐことができず、1日やって、やりたくなくなってしまいました。私と一緒に行ったのでもう1人私が前に馬車を駆っていた時の助手だった王小洋がいましたが、彼は同じチームになりませんでした。(明日に続く:戦国利と楊正元が記録)※○は日本の漢字に変換できない字 兵士たちが記録した南京大虐殺1 兵士たちが記録した南京大虐殺2 兵士たちが記録した南京大虐殺4 兵士たちが記録した南京大虐殺5 兵士たちが記録した南京大虐殺6 ●「南京!南京!」が見られる映画サイト ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 |
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