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1938年3月5日 南京では日本軍の虐殺が続いていた!!
日米間の密約はまだまだ存在する!!

全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

●731部隊
『【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』

郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録 
   第2部5課(攻撃・実戦担当 K・S
8月10日、終日200体の「丸太」死体を焼却
 どうするのかな、と思っていると、ボイラー室の脇に積まれていた石炭殻が中庭に運び込まれてきた。我々は、シャベルを手にとって、まだ熱い「丸太」の骨をすくい、これと石炭殻を混ぜ合わせた。足で踏み固めるようにして、骨と石炭殻を砕いて粉々にし、判別できないようにするのである。
 もう夜になっていた。我々は、ただ黙々と働いた。石炭殻を混ぜ合わされて、黒っぽい色の粉末状になった「丸太」の骨は、もはや、知らない人間がこれを見ても、識別できないようになった。
 我々は、この粉末を、用意されたカマスに詰めていった。カマスは何袋も何袋も一杯になっていく。別の隊員が、このカマスを担いで中庭を出て行く。外で待っているトラックに積み込むのである。
 数台のトラックに積まれたカマスは、夜陰にまぎれて部隊本部を出て、遠く松花江(スンガリー)河畔に達し、そこで河の中に投棄された。「丸太」の痕跡は、完全に消えてしまった。
 翌8月11日は、何をしたのか、まるで記憶がない。ハルピンから工兵隊が来て、1棟の玄関に50キロ爆弾を仕掛けたのを見たように思う。
 8月12日、私は、自分の宿舎に火を放った。畳を立てて2枚ずつ向かい合わせに重ねてから、支給された5合のガソリンをふりかけて、火を放った。そして後も見ずに宿舎を出た。

※「丸太」は石炭殻と混ぜ合わせになり、人の骨には判別できないようにして松花江に捨てられた!!部隊建物も爆破され、宿舎は、ガソリンを撒いて火を放たれた!!証拠湮滅が徹底された!!このようなことをして731部隊は自らの罪業を消し去った。日本政府は、731部隊の存在を認めても、そこでどんなことが行なわれていたかを戦後60余年が経った今も公式に明らかにしていなし、謝罪ももちろん無い!!隠したままだ!!!

寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)〜"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
6、被害同胞の屍体埋葬作業に参加した者の証言
沈錫恩(男、76歳)の証言
 日本の軍隊が南京に入る前は、家は鶏鷲巷礼拝寺でした。一家は9人で、父と母と私たち夫婦に子供たち5人でした。私も父もイスラム教の教法師でした。
 1937年の陰暦10月末に、情勢が厳しくなって来たので、私たちは豆菜橋28号の難民区に引き移って、2階に住まいました。冬月12日に、日本兵が入って来るなり焼き殺しかすめて、闖入された家はどの家もとんだ目に遭いました。豆菜橋に日本兵が3人来て、その内の1人が家に闖入しました。家の後ろの部屋にいた隣人の李拡飛は、28歳の娘さんでしたが、日本兵が入って来たのを見かけて、とっさに我が家の3歳の女の子の月雲を抱いて、私たちのそばに座り、自分はもう子供のお母さんなのだと思わせようとしました。日本軍は彼女が綺麗なのを見て、月雲を無理に拡飛の手から奪い取って、壁の隅にばあんと投げ、拡飛を押したり突いたりして後ろの部屋に追いやり強姦してしまいました。家の子は投げ出されて半死半生になり、眼がずっと上に見開かれたまま、2日もしないで死んでしまいました。やがて拡飛とその母親とは金陵大学に隠れたのに、日本兵がなおも煩わしく彼女に付きまとうので、母娘2人は万策尽きて、金陵大学の池に跳び込んで死を求めましたが、幸い人々に救助されました。(明日に続く:井昇安と劉興林が記録)

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。

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