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此度は光栄ある任務を与へられ 勇躍出撃 必成を期し殊死奮戦 皇恩の万分の一に報いん覚悟に御座候
此期に臨み 顧みると吾等二人の過去は幸福に満てるものにして亦私は武人として重大なる覚悟を為さんとする時 親愛なる御前様に後事を託して何等の憂なきは 此上もなき仕合せと衷心より感謝致居候
お前様は私の今の心境をよく御了解になるべく 私は最後迄喜んでいたと思はれなばお前様の余生の淋しさを幾分にてもやはらげることと存じ候
心からお前様の幸福を祈りつつ
四月七日
整一
いとしき
最愛のちとせどの
この手紙は、伊藤整一海軍中将が軍艦「大和」艦内で沖縄特攻出撃時に妻・ちとせに宛てて書いた遺書である。
この遺書は作戦後、生還した森下第二艦隊参謀長と石田副官がじかに伊藤家を訪れて、家族に手渡したものである。
この時森下参謀長は「長官はあの忙しい中でよく手紙を書けた」と驚いたらしい。彼も、大和艦長の有賀幸作も出撃にあたって遺書を書く余裕――心も時間も――なかったのだ。今に伝わる有賀艦長の遺書も日米開戦初頭に書かれたものである。
これを読むと、伊藤と妻の間の細やかな愛情が感じられる。そして伊藤自身、家族――とりわけ妻を――遺して逝かねばならない心の奥の苦悩を垣間見ることができる。私は喜んで出撃してそして死んでいったのだとあなたが思われるなら、あなたのこの先の長い人生の淋しさを少しでも和らげることになるでしょう・・・そう言って懸命に妻を思いやり慰める伊藤の心の優しさに心打たれる。
また家に遺される二人の娘(長女はこの時点ですでに嫁いでいた)には、
淑子さん 貞子さん
私は今、可愛い貴女たちのことを思っております。そうして貴女たちのお父さんは、お国の為に立派な働きをしたといわれるようになりたいと、考えております。もう手紙も書けないかもしれませんが、大きくなったら、お母さんのような婦人になりなさいというのが、私の最後の教訓です。御身大切に
父より
四月五日
と遺している。海軍士官の妻となった長女へも細やかな手紙を残している。
これを書いている時、伊藤の脳裏にはいったいどのような思いや、映像が去来していたのだろうか。察するに余りあるせつない場面である。
そして長男の叡は父の死より後にはなるが沖縄周辺で特攻戦死している。父の後を追うように逝った子は、その最後に何を見つめ、何を叫んだのだろうか・・・。
そして妻のちとせもそれから間もなく人生の最期を迎えることになってしまう。終戦の翌年彼女はとある手術の「事故」がもとで死に至ってしまう。
戦死した息子、叡の告別式まで澄ませながらも、「沖縄の収容所に叡がいる」という噂を信じて手紙まで書き送った母は医療事故であえなく散った。
今ではきっと親子三人なかよく泉下で暮らしていることだろう。そう信じたい。
これらの話は、先日購入した本「四月七日の桜 戦艦「大和」と伊藤整一の最後」(中田整一 講談社刊)から引かせていただいた。
何気に目をやった書架にあった本で、新刊である。手に取りすぐ、買った。伊藤整一という人の名前は知っていても、その人が実際どんな人であったのか――軍人としても家庭人としても――知りたかったというのがある。
そしてこの本で、彼が東京杉並区に住まいがあったことも知ったし、彼が住まった後には今も彼の植えた桜が四月七日に満開を迎えるのだ、ということも。
一般将兵にとっても残酷だった「坊ノ岬沖海戦」であるが、その作戦を請けた方も大変な懊悩があったということを確信させた。
大和以下十隻に乗り組んだ将兵数千の命を東シナ海に死なせたその責任を、彼は「大和」長官室にこもって「大和」とともに海底深く沈むことで取ったのだろう。
あの作戦を立案し、伊藤に提示した海軍上層部の中の幾人が本当に責任を取ったのだろうか。取れたのだろうか。
伊藤を始め、あの海戦で戦死した将兵たちはどう思っているのだろうか。
なぜこのようなことを書いたかと言えばこの本のことをお知らせしたいという気持ちもですが、今日閣僚の靖国参拝が問題になりました。<そのせいで>韓国、中国との会談や訪日も中止になったと責められています。
「靖国」を政治問題化させる中・韓には腹が立つしもっと安部総理にははっきりした言葉で「何処が悪い」ということを言ってほしいのです。国の為に戦没した人々を国家国民が慰霊顕彰するのは至極当然で何処の国でもしていること。
それを「右傾化」とまで言う中国の言い分は聞き捨てなりませんし、単純に「右」というならそっちの方が正規軍ももつ右傾国家じゃないか!と言ってやりたいですね。まあ、同じ土俵に降りてまで論議するのもバカらしいですが。
話を戻しますと、そういった形で国内外で色眼鏡で見られる「靖国神社」とそこに祀られる人々が私は本当にかわいそうで気の毒でならない。本来なら国民こぞって慰霊をし、その働きを未来永劫の日本人に語り継ぐのが国家国民の役目なはずです。
政治家は「私人で参拝」などと言わないで堂々と「公人」として参拝してほしい。政治家の看板を掲げている間は、あなたたちに「私」はないと思ってほしい。「公の人」として堂々と参拝して初めて靖国や護国神社の英霊は心安らかになれるはず。それでも「私人として」というなら日曜日にでも私と一緒にラフなスタイルで行きましょう。「総理じゃない?」と言われても「私のいとこです、よく似てるって言われるんですよ」とかわしてやりますから。
ともあれ「公人として参拝」することが、何よりこの日本において「私」を持たない天皇陛下がご参拝を再開できる最短の道なのだと思うのです。
それこそが、国に殉じた英霊の最も望んでいらっしゃることだと思うからーー。
「四月七日の桜」の表表紙。
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