桜のためいき

日本と帝国海軍大好きな人間のつぶやきです。

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最近外国人が町に多いのはどこも同じだろうと思います。
 
日本人と同じ顔をしたシナ・朝鮮人は見分けがつかず正直困りますね。しかしちょっとした振る舞いとかなんとかで、(あ、こいつら所詮は日本人にはなれないよ)と思います、なってほしくもありませんがね。
 
気になるのは日本人にも最近多いのですが、開けた戸をきちんと閉めない人。自分が明けた扉を閉めてゆかないのが多いのに驚きます。
そしてその締め方なんですが、ものすごい勢いでピシャッとしめて、戸によってはその反動で一方の戸がすっ飛んでひらいてしまうことも。
 
部屋が冷房中であってもお構いなしで開けっぱなし。
自分の家なら、「冷房中でしょ、閉めて!」とすごい剣幕で言うのかもしれませんが人の家、しかも店とかならかまわないようですね、奥様方。
 
うちに時折来るのは元・某スポーツ選手の女房。この女房もその旦那の元選手も韓国人(帰化したのか否かは知りません。日本名で名乗ってるから帰化した??)。
これが韓国人にありがちな図々しさで来るから嫌いです。
 
昨日は会計の際、私に「ほいよ」と金を渡してきた。なんだと、ゴルア!!
しかも大きく扉を開けてそれを閉めてゆかない。
そのままで出て行っちゃった。
 
うちの旦那は「あけたら閉めてけってんだ、この野郎!」と怒ってましたね。私は「ああ、あいつらチョンだから日本の習慣わかんないんだね、いやだねえ」と言っておきました。
 
もう一人の韓国人は孫と思しき餓鬼が品物にあれこれ触っても笑ってるだけだし、若いシナの女は柔らかい品物の上にドスンとカバンを載せる大馬鹿野郎。
 
出てけ、シナもチョンも。
 
こういうのを見ていると、そう思いますよ。至極まともなシナ・朝鮮人がいたら申し訳ないが(いないか!)。
 
壕に入れば郷に従えというのがわからない民族なんでしょうか。自分たちの国のままで行動すんな、だいたいがこいつらの行動は迷惑千万だっての!
 
いつだったか大勢で大挙してやってきたシナ人連中は「まけろ、もっと安くしろ」とうるさいから「うちはこれ以上安くできないくらい安くしている。まけられない!」と言ったらシナ語で悪態ついていましたね。
 
こういうやつらをもっと日本に入れようという民主党の考えは全くわかりません。こういう連中をもっと入れたら日本の亡国につながりましょう?
よく考えてものを言ってほしいものです。
 
しかししかし、日本人ももっとおのれの立ち居振る舞いをしっかりと美しくせねば人のことは言えませんからね。
ほら見ろ、と言われないようにその辺はしっかりしようではありませんか。
 
日本人は古来から立ち居振る舞いに気をつけて、その振る舞いの美しさには定評があるはずです。
こういう時代だからこそ先人から受け継いだ美しさを継承して、行儀の悪いシナ・朝鮮に見せつけてやろうじゃありませんか!!
 
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こちらも見てね、http://haitiyoshi.blog73.fc2.com/「女だらけの戦艦大和」です。

軍艦大和ご英霊の話

先日の「軍艦大和」乗組みの小笠原兵曹長のお話に続き、今日も「大和」乗組みのご英霊のお話です。
 
事実上最後の出撃になってしまった昭和20年4月5日の出航。
 
瀬戸内海の桜が美しかったそうです。
いったん呉から三田尻に行った「大和」ほかの艦船は、そこから一路沖縄を目指します。
 
豊後水道を通る時も、対岸に咲く桜が美しかったと、生存者の方の回想にもあります。その桜を、今はご英霊となっていらっしゃる皆さんはどのようにご覧になっておられたのでしょうか。
 
出撃に際し、航海科の見張長・渡辺少尉は分隊長と話し合い、「生還を期さない出撃だから分隊員一人ひとりの身上を調べて、必要とあれば退艦も」と一人ずつを呼んで調べたそうです。
 
その中に、渡辺見張長が少し前に「結婚許可願」を受理し、出撃わずか一週間前に結婚式を挙げたばかりの二人の兵曹がいたといいます。
 
それとなく、「退艦」を匂わす見張長にしかし、その二人の兵曹はどちらも微動だにせず退艦を拒否されました。
その時の二人の兵曹のお心の中はいかばかりだったか。
そして見張長の心中も・・・。
 
また、艦橋上部の対空見張り用電探のある兵曹は出撃4日前に結婚式を挙げ初夜を迎えたばかりで、その後部下に「おなごの身体は柔らかいのう」とおおいにのろけたという。
 
出撃前夜の酒保開けの無礼講宴会で、同年兵のお世辞にもうまいとはいえない歌に上機嫌で手拍子を取って盛り上げてくれた18歳の少年兵。
 
新婚の3人の兵曹も、少年兵も皆、死んだ。
少年兵は配置で太ももに被弾して、医務室に同年兵の手で運ばれるその途中に出血多量で絶命してしまった。
 
新婚4日で出撃してのろけた兵曹は、機銃弾を首に受け即死。
 
残された妻たちはどのような思いでその戦死の知らせを受け取ったのだろうか。そしてその戦後をどのように生きて行ったのでしょうか。
 
「大和」だけで二千数百の人たちが戦死していきました。
傾斜を増し、もう最後という段になって残しておいたウイスキーを飲んだ兵。「俺たった19の人生か。もっと遊んどけばよかった」と言葉はおどけて死に就いた19歳の水兵長。
 
「皆思い残すことはないか、死んだら靖国神社で会おう」
 
そして「大和」はとうとう沈んでいったのでした。
 
第二艦隊すべてで3000人からの戦死者、その一人一人にそれまで生きてきた「人生」があり、残してきたいとしきものがあったと思うと、その数字の重さがひしひしと感じられます。
 
その重さを、今に生きる私たち日本人は自分のものとして受け取り、未来に伝えてゆかねばなりませんね。
「大和」だけに限らず、今次大戦で亡くなって行った皆さんの思いを受け止めることが慰霊の始まりであり、英霊顕彰ではないかと勝手に解釈している私です。
 
今年の猛暑は、あるいは英霊の皆さんから私たちに「もっとしっかりして国を立て直せ。何のために俺たちは死んだのか。その意味を考えてくれ」というメッセージではないかなあ・・と思う今日この頃です。
 
 
 
 
日本人ならだれしもが知っている、と言っても過言ではない「軍艦大和」。
昭和20年4月7日に菊水作戦発動とともに沖縄を守るため、第二艦隊の9隻とともに向かったものの東シナ海で待ち受ける米軍によって撃沈された「悲劇の軍艦」。
 
その乗組員の一人、小笠原嘉明兵曹長(戦死時上等兵曹)というかたを知ったのは、辺見じゅん氏の「男たちの大和」と「女たちの大和」(いずれもハルキ文庫)である。
工作科上等兵曹として海上特攻作戦にのぞみ、無傷でありながら「大和」とともに東シナ海にその身を沈めて行かれた小笠原兵曹長。
 
そのご尊顔を初めて拝したのは今から2年前のある日、靖国神社の遊就館でのことであります。
ご英霊のお写真のあるコーナーに置いてある検索用の名簿を何気なくめくっていたら「小笠原 嘉明」のお名前に胸がドキッとした。
「もしかして・・・」
と、そのお写真のある場所に向かう。
そこに小笠原兵曹長はいらした。確かに「大和」に乗っていて戦死なさった方です。
とても優しそうな、しかし強い意志がその瞳から伝わってきます。
 
この方の御遺書を、今(平成22年12月8日まで)靖国神社遊就館の「神風 そのふきゆくかなたへ」という特別展示でお写真とともに展示されています。
 
便せん数枚にびっしりと書かれた、ご両親と愛妻・愛子さまあての御遺書。
この御遺書は、辺見じゅん氏の「女たちの大和」、「故郷の護国神社と靖国神社 (靖国神社編 展転社発行)」の御本の中でその一部を読むことができます。
 
あの頃の軍人らしく、今読むにはちょっと難しい言い回しと文体の御遺書ではあるが、自分の頭で平易な文章に直してみるととても、特に愛妻・愛子さまに対する大きな愛とそして帝国海軍軍人としての覚悟に満ちたものであることを思い知らされる。
 
私なりの読み方でここにご紹介したいと思います。
            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 妻への遺言(抜粋)
 
私が国難に殉じてゆくことがあってもやたらに慌てふためくことなく普段からおしえてあるようにして泣いてはいけない。と言っても無理か。
泣きたいときは涙が枯れるほどに泣きなさい。そして涙が枯れたら元気に働いて自分で生きる道を探りなさい。働けば悲しみも忘れることができるだろう。
私は生きている間、家に対して献身をしたとは言えない。が、私に対しては短い縁ではあったが献身的な苦労もし、よく私に尽くして幸福な思いをもらったこと礼を言うが子供は親に対して三つの大恩があるのだ。
それはこの世に産んでくださった恩・教育をしてくださった恩・今日まで育ててくださった恩。私の親は愛子の親だ。
私はこの大きな恩に御恩返しをしないでゆくのだから、私がいなくなった後は私の分も親に孝行して従ってほしい。
だけれども、私亡きあとに私にちょっとばかりの義理立てして、せっかくの幸せを逃してはいけないよ。再婚の道があるならそれもいい、(あるいは)我が家を守って親に従うものいい。
「(戒)自活の道を開くは良しなれど女子、男子を知りたる者貞操を守り難し。男子、女子を知りたる者貞操守り難しと申すゆゑ不義にて家名を汚すなれば誰に遠慮することなく再婚すべし」 子供ができていても私の両親にゆだねて再婚しなさい。私は国民の幸せのために死んでゆくんだから、愛子がもう一度幸せになれたらこれもまた私の喜びなんだよ。
今や一億国民が打ち揃って一丸となって、火の玉になって国難に当たる時だ。自己主義者なんかは敵だ。気ままとかわがままなど許される時ではないぞ。
以上、色々と話してはきたけれど夫としてたった一つ残念でならないことは健全な血統を残せなかったことか。
私の身体は例え南海の藻屑となって消え去ったとしても、私の心は愛子の血の中に生きているのだから、それを心に深く刻んでおきなさい。
  昭和二十年一月
                         海軍上等工作兵曹 小笠原 嘉明
  愛子へ
            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
原文にない表現があるかもしれませんがこれが私なりに読ませていただいた小笠原兵曹長の愛妻・愛子さまへの御遺書です。
深い愛情と、自分が亡い後の妻の行く先を案じる心、老いた親に対する心配、そして国を想う心・・・
それらがないまぜになって、これを読む「平和の時代」を生きる私を圧倒します。
これをお書きになったわずか2カ月ほど後、兵曹長は戦死なさいます。
4月8日未明、呉市の自宅二階でお休みになっていた愛子さまは、「あいこ、愛子・・」と名前を3回呼ばれて目を覚まし、下の玄関に降りてゆかれました。
玄関には白の海軍服を着た兵曹長が立っていましたが「お帰りなさい」と声をかけたとたん、背を向けて消えてしまわれたそう。
兵曹長はそのご最期に臨んで愛する奥様に別れを告げにいらしたのでしょう。
この辺と、その後の事情に関しては辺見じゅん氏の「「女たちの大和」を読んでいただければと思います。
 
愛する者を、心を断ちきって戦いに臨んで、そして散っていた多くの兵士の皆さんがいたということを私たちは決して忘れてはいけませんね。
その尊い御霊にこたえるためにも今を生きる私たちはもっと真剣に日本の明日・未来を考えて作ってゆかねばなりません。
 
 
私のつたない、語彙の乏しい表現で大事な御遺書を汚してしまったことを、ここに小笠原兵曹長の御霊と、奥様の愛子様にお詫びいたしますとともに、兵曹長のご冥福を衷心よりお祈りいたします。
 
 

暑さに飽き飽き!

こんばんは
 
まあ熱帯夜も今日で43日目とかなんとか。
聴きたくないです、うんざりであります。
 
夜は寝苦しく、たまりませんね。
うちは商店なので店に冷房を入れています。一応「動力」なので電気料金はまあ、安いんですが問題は家庭用の電気料金。
 
夏休みなので娘たちうちにいますし、リビングには冷房を入れておかないと休憩とか昼食を取りに入った時暑いので、入れっぱなし。
当然、夜もかけっぱなし。
 
というわけで自然、電気料金は高い。
 
うちの「旦那」という名の口やかましい査察官のような男は、二階の私と子供たちが使っている部屋に時々来ては「この部屋寒い!」と言い捨てては去ってゆきます。
 
でも冷房温度は28度設定です。
風呂上がりなんかは一時的に26度くらいにはしますが、その後は28度。
 
でもそういうので、最近は腹が立つので寝るときに扇風機だけ回してクーラーは切ります。
暑いです。
でもよほどのことがない限り、朝までクーラーを入れることはないですね。
 
2,3日前の晩それをしたら明け方に気分が悪くなって目覚めました。
馬鹿みたい・・・
 
でも私は窓を開けて外の空気を入れながら、(このくらいの暑さで参るな!南方の兵隊さんはもっと暑くて大変だったんだぞ。耐えろ、耐えろ!)と自分に喝。
 
そう思えば大抵のことは我慢できますが、それにしても今年の暑さよ・・・
 
いい加減飽きました。
雨が欲しいです。
このところ、雨が降りませんから埃っぽいし植物がガラガラに枯れて困ります。
 
ゲリラ豪雨はいりませんが、いわゆる夕立がしてほしいものです。
 
暑さのせいなのか人もいらついています。
その代表格が私ですね。
 
店のお客の若い親にキレています。最近の若い親は子供をしからなさすぎる。野猿のようなガキを放し飼いにするな、迷惑だ。
しっかりつないどけ。
 
かと思えば、「普通の奥さん」風の人が腕とかに入れ墨を入れてるのを発見して驚いたことも。
子供がまだ幼稚園くらいなのに、入れ墨とか入れてたらプールに行けないんじゃない?
と、余計なことを考えましたが。
まあ、個人の自由ですから「ほっとけ!」と言われれば「はい」と言うしかないですがね。
 
そして何よりうちの姑にキレまくっている私。
 
家付き娘で「嫁」としての苦労を知らないから我がまま。女マザコン。
自分の息子と娘しか大事じゃない。私を使用人のように思ってる。
この人は戦時中集団疎開をしたもののあっという間に親が迎えに来て東京に帰ってしまったといういわくつき。
 
この人もその親も、子離れも親離れもできてなかったのですね。すごい親子のきずなですがなんか不気味な面もあります。
 
うちのずっと先にかつて「中島飛行機 武蔵野工場」があったそうで、いまだに不発弾が出ます。
このあたりも結構空襲があったんでしょうに、それでも子供を安全な疎開先から取り戻す親の気持ちって??死なばもろとも?
 
いやあ・・・私は例え自分は死んでも子供は生きてほしいですが・
 
まあこれも「個人の自由だ、ほっとけ」と言われれば「はい」というしかないんですが、ねww。
 
暑さでちょっと思考が変な私の独り言でした。
 
早く涼しくならないかな・・・・。

休日にはTVを消して

ちょっと二、三日気温が下がった東京…と思ったのですが今日22日は結構暑い(泣)。
しかし洗濯物は素晴らしく乾いたから、まあいいか。
でもうちの飼い犬が可愛そうなくらいだれている…がんばれ、モミチャン。
 
さて、最近私はあまりTVを見ない。
もっとも昼間は仕事で見る暇もないのだが、仕事が終わって寝付くまでの時間とか、休日はあまり見ることがない。
見るとしてもニュースとか、「これ!」と思ったドラマ位である。
 
14日の「帰国」は良かった。
これを見て、「英霊」の思いに気が付いた人もいるのではないかな・・・?
 
しかしそれ以外の番組で記憶に残るものがない。
 
この頃のバラエティー番組というものが嫌いだ。
 
芸人やタレントの楽屋話ばかりの内容や、下品な笑いに満ちてほとほと「疲れた」。
意味もなく人をたたいたり、罠にかけるような内容に至っては何をかいわんや。
 
それから、気が付けば最近はそういうことが無くなっているがアニメの「ちびまる子」。
これは原作もそうだから仕方なかったのか知れないが、親に対して主人公の「まる子」なる小学3年ほどの女の子が「あんた」と言っていた。
 
これがものすごく嫌だった。
「ちびまる子」の後に放映の「サザエさん」と比較するとその言葉使いの悪さは際立っていてよく小さかったころの子供に「お父さんやお母さんに『あんた』って言っていいのかな、この子。どう思う?」と尋ねたものだ。
 
子供たちはむろん、「いけないこと」と言っていたが。
 
最近はそういうセリフがないから、もしかしたら何らかの抗議があったのかもしれないですね。
 
ただでさえ乱れている日本の家族を、子供が見るようなアニメという媒体で余計に乱すような真似はいけない。
 
そのように、不愉快なことが多いのであまりTVは見ない。
 
しかし今日の朝TBSのサンデーモーニングで先の一週間にあったことをしていたがやはり15日の靖国神社に参拝した議員さんに対して批判をするコメンテーターがいて不愉快になった。
 
ああ。
今の日本にまともな番組はないのであろうか。
 
         〜〜〜〜〜〜〜〜
 
以前やっていたブログでこういうことを書いたらあるコメントに「真面目なんですね」と揶揄とも何ともつかない書き方をされてなんだか複雑な気分になったことがあります。
「真面目」「ふまじめ」という問題ではなく、万民が視聴するTVという媒体で時間を考えながら放送できないかということが言いたかったのですが。
まあ、ちょっと理解されない話ではあるかもしれませんね。
 
 
            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こちらも見てね、http://haitiyoshi.blog73.fc2.com/「女だらけの戦艦大和」です。

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