|
(この記事は見張り員の別ブログからの転載です)
日本はこの先どこへ行くのだろうか?日本の行く末を、そして英霊の皆さんはどうご覧になっていらっしゃるのだろうか?
最近頭に浮かんだことを書いてみたいと思います・・・
「東京都小笠原村硫黄島(とうきょうと おがさわらむら いおうとう)」は映画・「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」で注目を集めた場所でもあります。かつては住民もいましたが現在では住民はいません。海上自衛隊や一部の民間業者以外は原則立ち入り禁止となっています。
ここは大東亜戦争中最初の国内の玉砕地となりました。当初ここを攻めんとしたアメリカ軍は島の大きさや日本軍の規模から5日程度もあれば占領できると思っていたらしいですが、栗林中将以下の陸軍部隊と市丸利之助海軍中将率いる海軍部隊はそれを必死の攻防で阻止し三十日以上死守し、やがて玉砕しました。
戦闘の詳細はここではお話しませんが大変な戦いで、日本軍の戦死者は一万八千以上を数えました。ベルリン五輪の馬術に出場なさった西竹一陸軍大佐も戦車部隊で戦死なさいましたし、召集で軍隊に入った兵隊さんたちがたくさん亡くなりました。市井の会社員だったり商店の主人だったりした人たちです。
しかしその戦死者も日本の敗戦とともに忘れ去られて、場所も場所だけに御遺骨の帰還もままならぬ状態、しかもたくさんの日本人将兵の遺体を集めた場所は米軍占領後、「遺体の上から」コンクリートを敷き詰めてしまい現在にいたっているわけです。
そのような島ですから当然のように不思議な現象があると言います。
まず、かの地で戦病死なさった陸軍中迫撃砲第二大隊の永瀬二六中尉は(昭和二〇年二月三日没)位牌をその戦友が作って弔いました。戦後五〇年もたって地下から見つかったその位牌には墨痕鮮やかな中尉のお名前がありましたがご遺族のもとに戻ると間もなくきれいに消えてしまったのでした。このご位牌は靖国神社・遊就館にあります。見つかった当時の写真と比較しますと短期間でこのようにきれいさっぱり消えるものではないのに?と不思議に感じます。
また、かの地に赴任中の海上自衛官はよく旧海軍の人たちの幽霊を見ると言いますし、硫黄島から本土への海上自衛隊の輸送機が飛ぶわけですが滑走中どうも機体が重い。
離陸後機長が「荷物室にそんなに重いものがあったのか?」と言い、同乗者が見にゆき「荷物室は空ですが、何やら嬉しげな話声や笑い声が聞こえます」と報告すると機長は水平飛行に移ってから荷物室に行き、そこに向かって「長い間ご苦労様でした。本機はただ今内地に向かって飛行中であります」と敬礼。
すると荷物室の声はすっと静まり、機体も軽くなったと言います。
また別の自衛官は、本土の基地へ向かう途中の操縦席の後ろから「よかったなあ、友軍の飛行機が来てくれたからやっと帰れるよ」という声を何度も聞いたと言います。
硫黄島の英霊はそうした形でしか帰還できないのでしょうか・・・
硫黄島では遺骨収集が行われていますが地形の関係、また火山島であるということ、どこに不発弾が埋まっているかわからないという理由などではかばかしくないのが現状です。
先の内閣総理大臣・管直人は「(硫黄島の遺骨を)一体残らず収集する」と言いましたが本当にそう思うのならそれはあまりに現状を知らなさすぎですね。どこのどれだけの遺骨があるのかも全く分からない状態なのに「一体残らず」とはいかなる根拠なのか?
それこそ英霊に対する冒涜ではないかと私などは思います。最も仮にそれが可能だとしてもいっさい靖国に見向きもしないような総理がしても誰も喜ばないでしょう。まず靖国参拝ありき、でしょうに。
単なるパフォーマンスです。本当にする気なら、滑走路のアスファルトをすべて引きはがしてその下に閉じ込められている御遺骨を収集すべきでしょう?そして第一線に立って陣頭指揮に当たるべきです。たとえ総理を退いたとしてもするべきでした。言った以上は。
ちなみにアスファルトの引きはがし等に掛る予算は概算で三百億円です。これ、高いと思いますか?
とある女性作家はTVの討論会でCMになった時「そんな金があるなら幼稚園とかを作ったらいいのに」と言ったと、(株)独立総合研究所社長の青山繁晴さんは講演会でおっしゃっておられましたが。確かに幼稚園も大事かもしれませんがそれ以前に今の自分がどうしてここに存在しているのか、存在しえるのかということを真摯に考えないから今の日本はだめになった。まず戦没者の慰霊・顕彰が大事ではないんですか?
硫黄島で命を投げうって戦ってくれた兵士がいたから今の自分たちがいて未来の日本人がいる。そういう考え方のできない民族は早晩滅びますよ。この国は自分たちが昨日今日作り上げたんじゃない、先人たちの血と汗がここまでにしてそれを私たちが継承してゆくんじゃないのか?
何か間違っているような気がしてなりません、私には。私が間違っていると言われればそうですかと言うしかないですが、では戦没していった兵隊さんたちの心を一体誰が汲んであげるんでしょうか。国はもう、その辺に関して耳をふさぎ目をふさぐ。一部の心ある議員や国民が聞くだけではだめなんではないかと思うのです。この話は「日本と日本人全体の話」ですから。
戦後、特にここ二〇年ほどで日本は激変したと思っています。心がすさみ命を大事にしなくなりました・・・自分の命も他人の命も。それはきっと、英霊の言葉に耳を澄まさなくなったつけかもしれません。
親が子を殺し、子が親を殺す。金や欲のためなら他人を殺してでも思いを遂げる。挙句に国を売るようなことをしても平気で国政の座に着く政治家たち。
これが英霊たちが夢見た「未来の日本」の姿であっていいわけがない。国のために死んでいった人たちを裏切るような国や国民であっていいわけがない。
あの震災以後、「絆 きずな」という言葉が日本中を駆け巡りましたけども、絆は生きている人間だけじゃなくて亡くなって行った人――ここでは英霊の方たち――ともつなげなくてはいけないものではないかと切に思うわけです。
なぜなら彼らは私たちの「先祖」であるわけですから。私たちが今に未来に生きる道を作ってくれた恩人でありますから。
その恩人に感謝せずして人の道は語れない・・・そう思う次第です。
冒頭に「霊(たましい)」の話をしたからというわけではないですが私のちょっとした体験を。昨年私は「女だらけの〜」で、回天考案者のお一人・仁科関夫さんのことを書くためにずいぶん回天関連の本を読みました。昔日南市南郷に行った際、「回天訓練の地」という大きな石碑があったのを思い出し、また油津と言う土地には回天の基地もあったのを思い出していました。油津には何回か行きましたからもしかしたら彼らの足跡と重なった時もあったかなあと思ったりして、話を書き、夜更けるまで本を読んでいました。
そのうちどうしても気になるお一人がいて目を閉じるとその方が戦死した時の情景のようなものさえ見えるようになって怖くなりました。
怖い、と言うとちょっと違うんですが回天搭乗の際の気分とかなんだかいまにも自分が実際に乗るような気になったことが何度もあって・・・
そんなある夜、なんだか眠りが浅いようで深いような妙な具合で横になっていたら私のそばのスツールに誰かが座っているのを感じました。
実体は見えませんが、だれかがいました。私の方を見ているようでもあり、なんだか考え込んでいるような雰囲気もあり・・・。
全く怖さを感じなかったのが不思議でした。いったいあれは誰だったのだろう、と今も考えます。よかったらぜひお話がしたいと思うこのごろです。もし…それが回天の方の魂なら私は是非今の日本のていたらくをお詫びしたいと思います。そして私の命ある限り皆さんを忘れず、靖国にお参りすることをお誓いしたいのです。
英霊の皆さんの安らかな鎮もりと日本の本当の安泰のために――。
転載元はこちら、「見張りんの大和の国は桜花爛漫」http://haitiyoshi.blog73.fc2.com/
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用





