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昭和20年4月7日、東シナ海。
今まさに覆没せんとする「軍艦大和」艦上第三砲塔の上に、その人は軍刀を持って座り込んだーーー
あの、「大和」の沈没の際にはたくさんの「ドラマ」が生まれました。
伝えられきれないものもたくさんあるでしょうし、それを目撃した人も直後に帰らぬ人となってその人の永遠の記憶の中だけにしか残らなかった「ドラマ」もあることだと思います。
これからの話は、今に伝わるお話。
和田健三少尉(階級は戦死後のもの)は「剣道の達人で勤勉、実直。厳格な人」だったとのちに「大和」で部下になった人が語っている。
和田さんは昭和11年、友人の妹で11歳下の当時16歳の澄枝さんと結婚した。
亭主関白なところのある夫ではあったようだが、その当時勤務していた『空母・龍驤』に、岳母と3人で乗ったという。
その時の写真では、妻の澄枝さんは抜けるような色白の美人。
きっとその美人妻を自慢したかったのでしょう。
武骨い海軍さんとはちょっと裏腹な感じがほほえましいエピソードですね。
そのあと、昭和18年和田さんは念願の「大和」勤務になります。嬉しそうに「希望がかなったよ、「大和」に乗ることになった」と澄枝さんに話した和田さん。
もうこの頃にはお二人の間には、二人のお嬢さんがいました。
やがて戦争が激しくなり呉も空襲されるにおよび、澄枝さんとお子さん方は山間に疎開。
和田さんはお嬢さんたちを連れて疎開先で「どうかよろしくお願いします」とあいさつして回ったといいます。
そしてあの年の3月、いよいよ最後の上陸の時が来ましたが澄枝さんが苦労して切符を手に入れ呉の家にようよう着いたものの時すでに遅し、和田さんはもう艦に戻った後でした。
待っていたのは一通の置手紙。
「何度も呉の駅に行った。もう会えないかもしれない。達者で暮らしてくれ」
澄枝さんは港の見える丘に駆け昇ります。
すると・・・・大きな艦が出てゆくのが見えました。
それこそ「軍艦大和」の呉での最後の姿だったのでしょう。澄枝さんの目に焼き付いて離れない光景だそうです。
そして4月7日。
最後の時を迎えつつある「大和」では和田兵曹長の指揮する機銃群の真下に魚雷が命中。
シールドが吹き飛び、中の兵員も吹き飛んで散華してしまいます。シールドは甲板上に落ち、引き飛ばされた兵は海に落ちて行きました。
和田兵曹長は部下の兵たちが落ちて行った海を黙って見つめていました。
丸で見送るかのように・・・・・
和田兵曹長は、常々部下の兵に「お前達だけを死なせたりはしない。一緒に死んでくれ」と言っていたそうですから、その部下の兵たちの散華にどれほど心痛めていたかわかる気がします。
そして「総員退去!」の声の中、第三砲塔の上に座った和田兵曹長は、その手にした軍刀で自らの命を絶ったのでした。
当初、「戦死」と伝えられた和田兵曹長(戦死後少尉)の死。澄枝さんも「戦死」と疑う余地もなかったでしょう。
澄枝さんは戦後お二人のお子さんを抱えて大変な苦労をなさいながら、とうとう再婚されました。
夫を亡くした多くの妻たちは、戦後再婚した人も多くそうした人たちは新しい夫への遠慮もあって「大和」の慰霊祭には出席を控えていたようですが、澄枝さんの新しい御主人は御自分も海軍にいらしたという関係もあってか、「是非に」と慰霊祭への出席を勧められたそうです。
初めて出席した「大和」の慰霊祭で澄枝さんは驚愕の事実を知らされます。
「和田さんは、自決なさったんですよ・・・」
当初は夫を恨んだ澄枝さん。無理もないでしょう、戦後の苦労を思えば、夫がいてさえくれたらそれほど苦労しなくて済んだかもしれないんです。
「どうして私たちのために生きようとしてくれなかったの?」
心の奥底で、夫の和田兵曹長を責めたかもしれないですね。
しかし、時がたち生還者の話をきき、「お前達だけを死なせはしない・・・」という和田兵曹長の言葉を聞かされた時から澄枝さんの心は少しづつ変わってゆきます。
あの人は真面目だった、かわいい部下を死なせて自分だけ生き残るわけにいかない、とその道を選んだんだろう。
あの人らしい最期・・・。
そう思ったそうです。
和田健三兵曹長。戦死後一階級特進で「少尉」。
並々ならぬ精神力を剣道で鍛え、亭主関白ではありながら妻と子供思いのこの日本男児は「責任感」というものに殉じてゆきました。
本当なら傷一つ負っていない身体、しかも最上甲板にいたのだから生還できた確率は高かったはずですが、和田少尉は生きることを望まなかった。
「お前達だけを死なせない、一緒に死のう」
言葉に忠実に、自分の職務に忠実に、すべての責務を我が身に負って自決された和田少尉。
この精神の崇高さには頭が下がります。
以前御遺書を紹介させていただいた「大和」の小笠原嘉明兵曹長も御自分は傷一つ負わないのに、やはり御自分の職務の「責任」を追って沈みゆく「大和」に残られたのでした。
あの時代の男達の責任感の強さ。
命とさえ引き換えにするその責任感の強さを、今の日本の男性たちは見習うべきではないでしょうか。
特に日本の政治をつかさどる男性たちにはぜひ、この崇高な精神を学んでいただきたいものです。
今の日本の「無責任さ」を、和田少尉は泉下で嘆いておられることでしょう。
合掌。
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