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アンラプラはティルタガンガとウジュンの中間にある町で、観光地という訳ではりませんが、「アングス・カランガスン」という王宮があり観光客に開放されています。 この町を少し歩いてみましたが、短い通りは家電屋等が非常に多く独特の雰囲気があります。 バリの日本橋といったところか・・・? こういう家電屋さんが多く軒を並べています。 値段は自分が想っていたより安くはなかったです。この手のものはここでも十分高いと感じました。 コロンビアという電気メーカーのショップを冷かしてみました。 帰国して貿易をしている友人に聞くと南アジアでは有名な家電メーカーだと言っていました。 バイクのパーツ屋さん。愛想いいです。 顔つきを見て尋ねたら、やっぱりスラウェシ島から来ていると言ってました。 スラウェシからバリに働きに来ている人は結構多いと感じました。 アンラプラからウブドに帰る途中、ランチ休憩した町、クルンクルンの通り。 クルンクルンは19世紀のオランダの軍事的侵入に対し、バリの中で最後まで抵抗した王国なのです。 1908年、オランダは最後に残ったクルンクン王国を滅ぼし、バリ全土を植民地とするに至りました。 この際にバリ島の王侯貴族らがみせたププタン=無抵抗の大量自決によってオランダは国際的な非難を浴びることになります。 そのことを背景とし、オランダ植民地政府はバリの伝統文化を保全する方針を打ち出すことになるのです。 スマラプラ王宮内の博物館で見た、オランダ軍との最後の戦いを描いた油絵。 ■ププタン(puputan)とは、古来よりあるバリの風習で、王が戦闘で敗北すると自決を選び、多くの華族、家臣が殉死をすること。バリ語で「終焉」を意味する。<ウキペディアより>
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2009年09月16日
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ティルタガンガからウジュンという村まで行ってみました。 ウジュンには、1921年にアングルラー王によって建てられた水の王宮がありましたが、1979年の地震によって大きなダメージを受け、自分達が見たものは正しく廃墟でした。 ここまできた本当の理由は別にあって、実は海岸線に出て海を見たかったのです。 このあたりの海岸線ならで、「サーフィンできるんちゃうかな〜」という発想はサーフィンを続けている者の一種の病気でしょう。 ここは幸い漁村であったので舗装はありませんが、道は海岸まで続いていました。 さて海岸線に出てみると、遠くにレギラーの波が割れているではありませんか。 足元が悪く多少距離もありましたが、興奮してスタスタ歩いてブレークの前まで行ってみました。 グランド・スウェルという感じ。 マッシーですが、ムネ位のポイントブレークです。 バリ東部、チャンディダザや先に訪れたアメッド、その北のトゥランベンはダイビング・スポットとして知られていますが、サーファーはここまでは来ないのでしょうか? ボードがないので、サーフィンはできませんが、波は当てたという感じ。 サーファブルな波は見るだけでも興奮するものです。 もっといいポイントが他にあるので、ここでわざわざやらんでもっていう感じでしょうか? 日本なら絶対何名かのサーファーが入ってるコンディヨンだと思いました。 ブレークの手前からスタスタ歩いて来た所を振り返ると、けっこうな絶景。 海岸への入口はボートの見えるもっと向こうです。 強い日差しの中、よほどの酔狂な旅行者でないとここまでは入ってこないでしょう。 |
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