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クタからタクシードライバーのマデさんとウブドへ向かいました。 サヌールからわざわざ来てもらいましたが、サーヌールからの料金は当然は含まれません。 クタからウブドまでトランスポートする際はぜひ自分を使ってくれと言われていたのです。 もちろんこちらが十分納得のいく金額で、ということで。 ◆ウブドの宿、ガネーシャ・インのある通り。黄色い看板はよく通ったマッサージ屋さん。 その日、マデさんはぜか正装をしていました。 マデさんに、今日はこの後オダラン(お祭り)に行くの?と聞くと、いや、朝から始まってたオダランを抜け出してきたんだよ、というお答え。 ほんとはオダラン優先なんだけどね〜・・・と言っていました。 ◆写真左はドライバーのマデさんと、宿のベランダにて。 写真、右は宿のある小路で、奥に見える二階が今回のお宿で、2002年にもお世話になったガネーシャ・インです。 2002年滞在中、工事をしていた2階の部屋が完成していました。 工事の騒音に閉口した日もあったけど、その工事で出来た部屋に泊まるというのも面白い縁です。 マデさんはまたトランスポート(移動)するなら、ここまで来るからぜひ自分に連絡をくれという。 サーヌールからここまで(ウブド)一時間はかかるけど,その経費は償却されるのかい?と疑問に思う。 もちろんこちらは金額さえ折り合えば使ってあげてもいいんだけど。 宿のマネージャー、ヤワンさんとドライバーのマデさんは私たちのことを話しているよう。 この客(私達のこと)のことについての情報交換のようでした。 ◆ベランダから望む田園。 数日後、オダラン(お祭り)があるということで、気兼ねなく寺院に入り参拝できるようにと正装をしてきました。 昨年は訳あって最後までオダランを見れなかったので、今回は最後まで寺院内に留まろうと万全の用意をした訳です。 ところが今回もちょとしたハプニングが・・・ オダラン=寺院の建立を記念する祭礼のことで、1年周期で「ウク暦(210日)或はサコ歴(256日)」で行われます。 その他に、ニュピやガルンガンとクニンガンの祭礼、満月や新月にも通りや寺院で祭事がある。 寺院は地域の中に複数あるので、バリではいつもどこかでお祭りがあるというような表現が使われたりします。 オダランではバリの様々な芸能がそのつど奉納されます。 正装=Apaという情報センターでは僅かな金額で衣装のレンタルと着付けをしてもらえます。
オダランの日程なども教えてもらますが、日本語はちょっと微妙・・・ また、たいていのヘヤーサロン等でもそういうサービスがあります。 |
Bali の思い出 2003
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2003年クタで起きたテロは衝撃的でした。 バリの人達もバリに行ったことのある各国の人達も、まさかバリで?何でバリで?と思ったと思います。 私達は、テロがあった三ヶ月前、爆発のあった処を幾度も行き交いしていたのです。 滞在していた時期が少しずれていれば、と思うと・・・ テロのあった半年後の2003年4月にその場所に立ち黙祷をしました。 それから、その現場から海岸に下る路地の、そのまた路地の奥にあるバリ・サンデーという宿に投宿しました。 カジュアルな値段の割には部屋は清潔だし、庭には広いプールもあります。 バリ・サンデーがある小さな路地に、ローカルユースの小さな雑貨屋がありました。
その路地は細く、夜は真っ暗なので、女性の一人歩きは避けた方が良さそうなレベルの路地です。 その雑貨屋の壁に、なぐり書きでマッサージと書いてあるので、「マッサージできるの?」とお店のおばさんに聞くと、できるよという。 「どこでやる訳?」と聞くと、ここでやる、つまり雑貨屋の床にゴザを敷いてという。 まあそいうのもいいかなと思って、やってもらうことにました。 ところがそのマッサージは思いのほか上手で、しかも料金は90分で500円位なので毎日のように行きました。 家の中の庭が見渡せるのですが、家の女の人達はせっせとチャナン(日々のお供え物)を作っています。 男衆はカゴに入れた立派な鶏を見せ合い自慢をし悦に入っているようです。 こういう光景を見ることは観光旅行ではできないので、自分としては大切な体験なのです。 クタまで送ってくれたマデさんが、ウブドに移動するなら安くするから、電話してきてよと言っていたので、マデさんに連絡を取り迎えにくるよう頼んでおきました。 |
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バリの中で一番初めに観光地としてデビューした処はサヌールという村です。 バリ島で最初の5つ星ホテルであるバリビーチホテル(現インナ・グランドバリビーチ)は、1966年に日本の戦争賠償金によってサヌールに建てられました。 1967年に、ングラライ(デンパサール)国際空港が開港すると、バリ島といえばサヌールいうポジションになっていきます。 そういう経緯から一般観光客はサヌールへ、バックパッカー(ヒッピー)、サーファーはクタへという図式が生まれました。 1970年初頭のクタは未だ小さな漁村に過ぎなかったのです。 ◆サヌール。宿からビーチに出る途中にある盆栽カフェ(Bonsai Cafe)というお店のお庭です。 日本人との長い関わりを感じさせるネーミングであります。 クタにおいては、1980年代にお金を落とさないヒッピー達は一掃され、一般の観光客がクタ・レギャンに集まりはじめます。 それに加え、政府の観光政策によって人工的に作り出されたリゾート、「ヌサドゥア」が1979年に誕生したことによって、サヌールはいっそう寂れた様相を呈していきます。 しかし、その事がサヌール本来の落ち着きを取り戻す切っ掛けとなり、現在年配の人達を中心にサヌールは人気を取り戻してきていると言われています。 マデズ・ホームステイ。入口はレストランなのですが、その中を通り抜けるとプールもある2階建の小綺麗な宿があります。 ここサヌールでの思い出は、桜島という日本食レストランでマグロの造りを食べたこと。 3つ色の違うマグロが三色旗のように盛りあわされて(トロとかいう訳でなく)、そうくるかと感心した。 ◆ややビーチの中に入って行くとクタとは違う雰囲気のお土産さんが並んでいます。 レンタルボードの値段を尋ねると、クタより随分高いので冷やかしで値切ってみると、ここはサヌールだからねと軽くあしらわれました。 クタのような下世話な場所じゃあないよってことかな。 ◆サヌールビーチににて、奥に見えている高い建物が、先に記したインナ・グランドバリビーチです。 空港から宿まで使ったタクシーのドライバーにバリ滞在初のチップの要求を受けたました。 もちろん拒否。ドライバーは「じゃあ荷物は部屋まで運ばないよ」って言いいます。 問題ないよと返し、あんさんはバリニーズなの?と聞くとぷいと行ってしまいました。 荷物はホテルの人が運ぶがな〜。 ◆サヌールリーフ。ニ三人サーファーが入っていますが、沖が遠過ぎて写真では見えません。 あんな遠くの沖までパドルしてまではやりたくないので、ここでのサーフィンは断念しました。 実は、2002年は足、2003年は腰を痛めていて荷物は一切自分で持っていないのです。 ドライバーか宿のスタッフが運んでくれたので問題はありませんでした。 もちろん特別な事や何かの手配をお願いしたような時には、チップは払いましたよ。 サヌールはやや閑散とした感はありましたが、それは2002年10月12日に発生した自爆テロの影響もあったのでしょう。
テロのあった現場へ向けて、宿のオーナー、「マデさん」に紹介されたタクシードライバー「マデさん」の車でクタまで向かいました。 |




